14年目に入って

2005年8月29日から始まったこのブログも、随分とその趣旨が初めのころと違ってきました。そのために、コメントを入れていただく方々も代わってきました。最初の回に、「“私は何がしたいのだろうか。”という問いを自分にしてみました。するとそのときに読んでいた本(司馬遼太郎著「峠」)の中の文が答えを代わりに言ってくれている気がしました。」とあります。先日、河合継之助博物館から「峠」という会報が送られてきました。この会報の名前は、もちろん、司馬遼太郎著「峠」から採ったものでしょう。

始めた時にこの本の中から引用した言葉は、「心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とは何か。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」でした。送られてきた会報の中にあった河合の言葉は、「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ」でした。随分と激しいですが、方谷から学んだ陽明学の心を表しています。私はそれほど激しい心は持ってはいませんが、最近のブログは始めたころに引用した言葉から最近は少しこのような心境になって書いています。

今回、私のところに会報が送られてきたのは、少し前に長岡に講演に行ったときに、河合継之助博物館を訪れ、彼の言葉集という本を購入してきたからです。ブログを始めたきっかけも彼の言葉でしたが、現在の心境を表しているのも彼の言葉です。その言葉をその博物館で見つけたのです。

彼は、藩主であった忠雅の世子・牧野忠恭のお国入りにあたり、経史の講義を行うよう命じられます。しかし河井継之助は「己は講釈などをするために学問をしたのではない、講釈をさせる入用があるなら講釈師に頼むが良い」とこれを跳ね除けたのです。もちろんそのため、藩庁からお叱りを受けるのですが、私も常に、講演をするとき、ブログの書くとき、それを忘れないでいるのです。ということで、ブログを書きはじめたころは、身の回りのさまざまな花鳥風月に心を寄せ、様々なことに好奇心を持ち、心を澄ませ、感応力を鋭敏にすることを心掛けてきました。しかし、そのころに学んだことを、実際に行動に移し、実際の現場に活用しなければ、それまでの知識はただの記録に過ぎず、また、講演は講釈を垂れているだけになってしまいます。

実際に保育を考えるにあたって、最近は様々な知見が生まれています。新しい知見によっていろいろなことが解明されています。先日もある人から、保育を目指す学生さん向けに「皆さんの仕事は、白紙で生まれた子どもに絵を描いていく仕事です」と説明をした人がいたと聞きました。いまだに、堂々とそのような今では否定された考え方を述べる人がいるようです。次々に出される新しい知見を、保育に携わる人、子どもに関係する人たちに、ブログを通して紹介しようということで書いています。随分と内容はときには難しく、私もなかなか理解できないことも多いのですが、少しずつ今までの刷り込みが減ってきたらと思っています。

河合継之助の言葉に「(長崎にて)何を見ても面白し、商売交易の地ゆえか、則ちその心持ちになる様なり」があります。私は今、長崎に向かう飛行機の中でこれを書いています。機内でもネットのできるようになったのですね。

14年目に入って” への9件のコメント

  1. 先生おめでとうございます。胸の震えるような感動を得ました。『峠』は臥竜塾ブログにとって、先生にとって、掛け替えのないものですね。改めて読み返してみようと思います。
    今コメントを書いていて、まるで過去のブログにコメントを入れている時のような感覚になりました。臥竜塾ブログは14年間、それ以前から心を澄ませ、磨き続けてこられた先生から放たれる日々の作品であり、その澄んだ心の中心にあるものが14年前と何ら変わりがないからこそ、どの日のブログも共通の光と学びを読者に与えるのかもしれません。これからもたくさんのことを学ばさせて下さい。

  2. 「私は何がしたいのだろうか」

    久しぶりに(申し訳ありません)こちらのブログを拝読させて頂こうと訪問した日に、今、私が自問自答を繰り返している言葉を見つけました。

    衝撃的でした。でも今の私には、答えはまだ見つかりません。ですが、変わらずこのブログが導きになっています。

    14年目のブログ、今後とも拝読させて頂きます。

  3. もう14年も書き続けていらっしゃるんですね。自分はコメントを始めてまだ3.4年の新参者ですが、これからも拙い文章になるかと思いますが、よろしくお願いします。
    コメントを考えていると、このブログにコメントを始めた時のことを思い出してしまいました。藤森先生に「平田くんはしないと思った」と言われてから始めたコメントですが、自分のことをよく理解して頂いている藤森先生であるからこそのあの言葉であり、コメントを始めることができました。感謝しています。
    司馬遼太郎は自分も何冊か読んだことがあります。「峠」俄然興味が湧きました。今度読んでみたいです。
    最後になりましたが、これからもこのブログとコメントを書くことからたくさん学ばせて頂きます。ありがとうございます。

  4. 14年目のブログ、長く続けることによって、新たな考え方が産まれてくる、ひとつのことに追求できるための好奇心溢れる姿は、私自身の学びにも、とても貢献していただいているというように受け止めており、日々の、精進のため、今できることは何かと自問自答を繰り返しながら生活しているところです。
    様々な視点をもった生活が保育につながる、それが、子どもたちのためになるのならば、それが私自身の貢献だと考えます。私も、藤森先生のブログを通して、学びを増やしていきたいと思います。

  5. 私は人間力があまり強くないので、すぐに心が折れてしまいます。すると、ブログを読むことを後回しにしてしまいます。私は何故ここにいるのか、と自問します。答えは明確です。それは藤森平司先生から学ぶため。されど、煩悩熾盛。この煩悩とはブログを読み、コメントを入れることを妨げます。本来14年目の記念すべき回にタイムリーに入れるべきかと思いますが、ひと月近く遅れて14年目のブログに寿ぎを捧げます。煩悩熾盛の我でありながら、絶えず、学び続ける。これが私の性です。山田方谷、河合継之助、詳細を知っているわけではありませんが、何か鏡にしたいと思うのは、藤森平司先生のおかげでしょう。私は我儘なので捉われることを是としません。よって、パートナーとか弟子とか、そういうふうに自分を規定せず、私自身あるがままに藤森先生と対峙させて頂きたいと思っております。心が折れやすいのですが、立ち直ることもできます。当ブログを通じて自己研鑽に励みます。よろしくお願いします。

  6. コメントを続けておそらく10年が経過したと思います。相変わらず一日も抜けずに毎日この量の文章を書かれている事に改めて脱帽します・・・。よく最初の頃、藤森先生の話の中で「私は勉強家ではありません」という言葉を聞いて「いやいやこれだけ知識があるのだから相当勉強しているでしょ」と思っていました。しかし「身の回りのさまざまな花鳥風月に心を寄せ、様々なことに好奇心を持ち、心を澄ませ、感応力を鋭敏にすること」と書かれている事まさにその通りでした。その精神を受け継ぎ、これからも精進していきたいと思います。これかもよろしくお願いします。

  7. このブログを拝見してからコメントに至るまで少し時間がかかり、今何年コメントさせていただいているでしょうか。私は漫画も本もあまり読みません。しかし、このブログだけは読むことを続けています。それは自分のためになるという確信があるからだと思っています。そして「身の回りのさまざまな花鳥風月に心を寄せ、様々なことに好奇心を持ち、心を澄ませ、感応力を鋭敏にすることを心掛けてきました。」という言葉から先生のお人柄のようなものを感じます。ブラ平司での「ただ歩いてるだけじゃないんだよ。」という言葉が僕の中で印象にあります。なにを言いたいかまとまりませんが人生でこんなにも続けていることは初めてです。これからもブログを読み精進していきたいと思います。おめでとうございます。

  8. 「学んだことを、実際に行動に移し、実際の現場に活用しなければ、それまでの知識はただの記録に過ぎず、また、講演は講釈を垂れているだけになってしまいます。」このことはとても自分の中で課題になっていることです。話すのも難しいのですが、実践するのはさらに難しく、特に最近は一人ではできることが限られていると当たり前のことにぶつかっています。すぐサボろうとしてしまう自分の性格を何とかしなければいけないと思うこともしばしば、「志高く、行動は後回し」にならぬよう、帯を締めなおさなければいけないと改めて感じます。藤森先生の14年にもわたる臥龍塾ブログはそんな自分の中でも、継続し続け、学び続けているコンテンツです。今後ともよろしくお願いいたします。

  9. 今年は気持ちに余裕がなかった時期があり、コメントが追いついていないというのが現状です。このことを真摯に受け止め、コツコツ少しずつコメントすることで、現在のブログに追いついていきたいと思います。このブログへのコメントから、コツコツ続けていくことをちゃんと実践し、それを自分の自信にしていきたいなと思っています。小さいことかもしれませんが、このブログからはそのような姿勢も学ばさせていただいているように思います。「そのころに学んだことを、実際に行動に移し、実際の現場に活用しなければ、それまでの知識はただの記録に過ぎず、また、講演は講釈を垂れているだけになってしまいます」という言葉がとても印象的でした。人として丁寧に生きていきたいなと思いました。

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