親が子どもに与える影響

心理学の研究結果はその多くがはかないものであるとハリスは言います。それは、ある研究で興味深い影響が見つかったとしても、その多くは次の研究では見つからないことが多いからです。しかし、行動遺伝学の研究結果は統計学者の言うところの「確固たるもの」だと言います。どの研究でも同じ結果が出ます。成人後のきょうだい間で見られる類似性は、そのほとんどすべてが共有する遺伝子に由来するものです。二人か幼少時に共有した環境によって生ずる類似性は皆無に等しいと言います。

同じ家庭で育てられたからといって、きょうだい同士が似るとは限らないのです。もし「毒親」が存在するとしても、子どもたち全員に対して毒親になるわけではないと言うのです。たとえその子どもが一卵性双生児であっても、子どもたちはその毒性に対してそれぞれ違った反応を示すだろうと言います。「毒親」の影響が、子どもの中でもたった一人だけに認められ、そしてその一人が相談所を訪れることになるのですが、他の子どもたちにはまったく問題が見られないことは何を意味するのだろうかとハリスは疑問を投げかけています。

多くの社会化研究者たちは行動遺伝学者が未解決のまま放置している結果を見て見ぬふりをしてきたとハリスは指摘します。それに注目した数少ない研究者の中でももっとも卓越した存在であったのが、以前のブログでも紹介した、スタンフォード大学教授のエレノア・マコビーです。彼女は、誕生当初の社会化研究が失敗であったことを長い年月の後に認めたその本人です。

1983年、マコビーは同僚のジョン・マーティンとともに、社会化研究に関する透徹した長い論評を発表しました。その中で彼らは社会化研究で活用される研究方法、結果、さらには仮説を考察し、親が子どもに与える影響、そして子どもが親に与える影響についても議論を展開しました。字がぎっしり詰まった80ページにも及ぶ論評の後、彼らはこの分野に関していだいた印象を数段落にまとめました。彼らは親の行動と子どもの特徴の間で見られた相関関係は強いものでもなければ、常時見られるものでもないと指摘し、サンプル数が大きかったことを踏まえ、認められた相関関係が偶然によるものではないかとも疑ったのです。さらに、同じ家庭で育てられた養子たちは性格的にはまったく異なり、さらに生物学的なきょうだいですらその相関関係は低いというような行動遺伝学で得られた不可解な結果に言及し、読者の関心を呼んだそうです。

社会化研究において見られた傾向がゆるやかであったこと、さらに行動遺伝学の研究から得られた不可思議な結果をふまえ、マコビーとマーティンは次のように結論づけたのです。

「これらの結果は、親が子どもに与える物質的な環境も、家族内の子ども全員にとって本質的に同じである親の特徴、たとえば教育姿勢や夫婦関係なども、わずかな影響しか及ぼさないことを強く示唆している。実際何を示唆しているのかと言えば、親の態度は何も影響を及ぼさないこと、もしくは親のあり方の中で何が効果的に作用するかは同じ家族内でも子どもによって大きく異なるということである。」

親はなんら影響を及ぼさないのか、それとも親は子ども一人一人に対して異なる影響を及ぼすのか、マコビーとマーティンが世間に与えた選択肢はこの二つだけだったのです。

親が子どもに与える影響” への6件のコメント

  1. 衣食住を整えること、それが親が子どもにしてあげられる、もしかしたら最小で最大限のことなのかもしれないと思えてきます。それは、親の力で子どもを幸せにしてあげることは出来ない、ということなのかもわかりません。その子が何に幸せを感じるかは当人の問題であり、だからこそ自発的に生きていこうとする子どもへ環境を通して保育をするように、応答的に関わるように、温かな笑顔で迎えてあげるようにと、示されているのかもわかりませんね。
    応答の中には「無記」のような応答もあります。子どもを育てるということが世間一通りのものでないことを改めて知る思いがします。

  2. 現代では受験や就職など社会で生きていくことでの壁とでもいいますか、分岐点となる場面があります。そのような場面では親として、子どもの大事な分岐点だと捉え、また、いつまでも子どもである感覚、幸せを願う親心などから干渉してしまうことがよくあるのかもしれませんが〝親の態度は何も影響を及ぼさないこと、もしくは親のあり方の中で何が効果的に作用するかは同じ家族内でも子どもによって大きく異なる〟とあり、親にできることというのは「文化的で健康的な最低限度の生活」ということになるのかもしれないと、読みながら感じました。
    その中で子どもにより影響力は異なることから、子ども一人一人に応答的な対応が求められるのだと思います。子育ては何人子どもがいても大変なものであるんですね。

  3. 様々な学論から検証された結果が年月をかけ、解き明かされてきていることにより、家庭における子育てであったり、人がもつ子ども観に対して大きく思考を展開させていかなければならないことを感じています。
    親ができることはと、今回の内容を通して考えると、やはり、子どもは親の操り人形ではなく、一人の人格者として認め、育てていくことを前提に置くことにし、そのなかで、子どもが主体である社会のなかで、生活できる環境を考えながら、構成することが必要だと感じます。子どもの感じる幸福感とはと考えていくと、子どもにとって必要な社会になっていくのではと思います。

  4. 親は「子どものため」に様々な養育環境を設定します。この「環境」には様々なありますね。家庭内のことですから、教育玩具を用意するとか、眠る時にモーツァルトのピアノコンチェルトを流すとか、本の読み聞かせをするとか、あるいは子どもが大きくなって塾通いや習い事にいそしむようにしむけるとか、食事も子どもの栄養等々を考慮して用意するとか、・・・兄弟がいると、よく耳にする親の発言の中に、「同じように育てのに・・・」。マコビーとマーティンの選択肢「親はなんら影響を及ぼさないのか、それとも親は子ども一人一人に対して異なる影響を及ぼすのか」。一人っ子の親としては、この選択肢は「親はなんらの影響を及ぼさないのか、それとも親は影響を及ぼすのか」、ということになるのか?またしても頭の中に去来するのは「蛙の子は蛙」とか「鳶が鷹を生む」とか。私は単純にその両方だろうと考えるのですが。社会化研究や行動遺伝学の研究からもっと知る必要がありますね。

  5. なんとも考えさせられる内容ですね。親は一体どんなことができるのか?と思うとやはり飯を食わせることが最低限で最大限のことなのかもしれないと思えてきます。ただそれは大きな視点からだとは思いますが。最近はお迎えが遅くなってしまうことがたまにあります。その影響力は大きくなった時にどんな影響があるのかと考えます。しかしいつも目の前にいる延長の園児たちを見ていてもさほど変わりはないのかなという印象もあります。しかしながらできる限りのことはしてあげたい、それが応答的になることなのかもしれないですね。

  6. 親の態度は何も影響を与えない、そして子どもによっても大きく違う。なんだか少しショックというか、これも先入観なんでしょうが、子どもの育ち、性格も親の関わり、姿を見て育っていくと思っていましたが、そうでもないのですね(笑)それこそ親の役割というのは、子どもが安心して生活できるように環境を整え、そして支えてあげる事しかできないというか、それが一番大切なのかもしれません。あとは子ども自身が自ら成長していくのを見守ってあげる事しかできないのでしょう。離れすぎてもいけませんし、近すぎてもダメ、子どもとの距離感を大切にして行こうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です