新生児の世界

ハリスによって現代風に言いかえてみると「人は社会的状況に応じて行動を変える」というウィリアム・ジェイムズの考え方を示している昨日のブログで紹介した彼の文章は、彼の著書『心理学』から引用したものだそうです。この本はアメリカにおける心理学の教科書第1号で、1890年に出版されたものです。当時心理学という学問ははじまったばかりで、しばらくはジェイムズの独壇場で、彼はあらゆる分野に着手したそうです。性格、認知、言語、感覚、知覚、そして児童発達までを網羅していたのです。ジェイムズは、後に誤りであることが判明したそうですが、当時、新生児の世界は「一つの大きな騒々しい混乱の世界である」と言ったそうです。

今日では心理学も専門分野が完全に細分化され、一度大学院まで進んでしまうと自分の領域外の論文には目もほとんど通さないような専門家ばかりだとハリスは言います。彼女からすると、成人の性格に関する狭義な議論が社会化研究者たちの気を引くこともないですし、「自我」という言葉はほとんどの行動遺伝学者の辞書にはないというのです。

これは残念なことだと言います。なぜなら、これは今取り上げている問題と関連があると考えられるからです。確かに人は社会的状况に応じて行動を変えるというジェイムズの考え方、さらにそれにつづく、なぜそうなるのか、その下に「真の」性格は隠されているのかに関する議論の中には性格形成における大きな謎の一つを解くための重大な鍵が隠されているとハリスは思っていると言います。

彼女は、その謎をこう説明しています。親は子どもの生得性な性格を変えることはできません。少なくともその子どもの成長後にも調整の跡が残るような形ではそれを行なうことは不可能であると、これまでのブログで紹介しているように実証されています。もしそれが真実であるならば、なぜ人々は親は子どもの性格に大な影響を及ぼすと確信しているのでしょうか?

イブの三つの顔とは異なり、ほとんどの人は相互の記憶が遮断されているような多重人格とは無縁です。正常な人は社会的状況に応じて行動を変えることもあるでしょうが、その場合、それぞれの状況下での記憶は次へと引き継がれると言われています。それにもかかわらず、ある状况で学習した事象を必ずしも別の状況で応用しようとはしないそうです。

実際、人は新たな状況に既存の知識や技術をもちこまない傾向が強いと言われています。学習理論学者ダグラス・デターマンによると、新しい状況が直前の状況と酷似している場合は別にして、人がある状況で身につけたものを新たな状況へ自発的にもちこむことを示す確固たる証拠はないと言っています。デターマンは、一般化しすぎるよりも一般化を控えた方が状況に適応しやすいのではないかと指摘しているそうです。古いルールが新しい状況でも有効だと思いこみ、軽率に前進してしまうよりも、新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要があると考える方が無難であるとハリスは考えています。

新生児の世界” への9件のコメント

  1. 「なぜ人々は親は子どもの性格に大な影響を及ぼすと確信しているのでしょうか?」子どもは無力な存在で、白紙の状態で生まれてくるといった子ども理解が主であった時代ともし同じ時代に築き上げられた概念だとすると、何となく納得することもできるように思えてきます。子どもを育てること、教育することは教え込むことであり、もしかするとその人格や性格ですら大人の手によって作り上げられることが出来るとされていたのでしょうか。
    「古いルールが新しい状況でも有効だと思いこみ、軽率に前進してしまうよりも、新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要がある」これは至言ですね。このような高度な営みの中にヒトが存在していると思うと、ヒトが社会的な生き物であるということを改めて感じるような気がしました。

  2. 〝成人の性格に関する狭義な議論が社会化研究者たちの気を引くこともないですし、「自我」という言葉はほとんどの行動遺伝学者の辞書にはない〟とありました。このことが子どもの性格に親が多大な影響を与えるということとつながっていると考えると、思い込みや刷り込み、古い考えが強い影響を及ぼしているのだと考えられます。
    最後の文章にあった新しい知見や情報をもとに、ルールを見極める力が必要であることに同感します。「伝統を守るために変わることが必要」という藤森先生の言葉を思い出させます。

  3. 子どものもつ生得的な性格は変えられないことによって、”なぜ人々は親は子どもの性格に大な影響を及ぼすと確信しているのでしょうか?”とあり、確かにそう思えます。その事に対しては、状況と状況を合わせて考えようとすることで、親も私もこういう姿があったとかと合わせようとする傾向があることが考えられます。そうしたことが影響及ぼした結果、似ているとか感じるのかなとも思えます。また、子どもは白紙の状態で産まれてくるという考え方をもっているのならば、子どもの行動には、親が教えたことによって見られていると刷り込まれた記憶のように思ってしまうことも十分に考えられます。

  4. データマンの理論は確かにその通りだなと思われます。保育界を見渡すとき、「古いルールが新しい状況でも有効だと思いこみ、軽率に前進してしま」っている現実を目の当たりにすることがあります。時代は新しくなっているのに、その一つ前の「古いルール」を当てはめようとします。どうせ「古いルール」を当てはめるのであれば、もっと古い時代のルールを当てはめようとしても良さそうなのに、それはせず、結局、一つ前の古いルールに則るようです。ハリス女史も認めているように「新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要があると考える方が無難」との言説は私たち保育界において最も適用されるべき言説です。子ども主体といいつつ、誘導による保育が厳然として罷り通っています。子ども主体といいつつ、大人の意図性という誘導感が先行します。多くの保育園や幼稚園、そして学校は、新たな状況下に子どもたちは生きているのに相変わらず「古いルール」を子どもたちに適用としています。結果、多くの不幸な問題があちらこちらで起きているのだと思います。

  5. 「古いルールが新しい状況でも有効だと思いこみ、軽率に前進してしまうよりも、新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要があると考える方が無難である」というところが印象に残ります。現在はAIが進歩してきている中でなんともこうした心理的な考え方というのに人間らしさというものを感じます。機械だと間違いなく過去のデータを参考にしていくことを縛られるずに見極めていく方法を見つける人間。人としての在り方でもあるのかなと感じます。

  6. 読みながら「温故知新」がふと頭をよぎりました。新しい状況に対して古い考え方に縛られるのでなく、新しい考え方を編み出し対応していく。しかし、何でもかんでも新しい物が良わけでなく、古い考え方からも学べることもあると思います。藤森先生が人類の進化から保育を考えるという事は、個人的には似ているように思いました。教育という分野を人類の進化から見るのは新しい考え方でもありますが、そもそも人類が昔から行われていた子育てを見直し、そこから藤森先生独自の理論がプラスされる事で、見極めることができているように思いました。

  7. 「人は新たな状況に既存の知識や技術をもちこまない傾向が強いと言われています」とあり、また「デターマンは、一般化しすぎるよりも一般化を控えた方が状況に適応しやすいのではないかと指摘しているそうです」とありました。このようなことが考えられているのですね。「ここでのやり方があるの!」のようなセリフをドラマで聞くことがよくあります。社会の集団もそうで、例えば、新しくその集団に来た人が以前いた集団の考え方で動いているとなんだか違和感を感じるようなことがあるように思います。良いか悪いのかは分かりませんが、集団が変わったのであるから、その集団のやり方に適応することの方が自然なことであるように感じてしまいます。最後に「新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要があると考える方が無難であるとハリスは考えています」とあります。まさに集団で生きる上での鍵をハリスが言っているように感じました。

  8. 「古いルールが新しい状況でも有効だと思いこみ、軽率に前進してしまうよりも、新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要がある」このことは今の教育でも言われることですね。そして自分自身も気を付けていなければいけないことであると感じています。つい変えることは面倒であったり、またはエネルギーを使うことであったりと、なかなか変える必要があってもできないことがあります。しかし、だからといってそのまま前進することもジリ貧になることにつながります。見通しを持ちながら、本当に必要なことを必要な時に発揮できるようにするということはとても難しいことだとは思いますが、心がけていきたいところですね。そして、それはどの分野でも同じなのですね。

  9. 「なぜ人々は親は子どもの性格に大な影響を及ぼすと確信しているのでしょうか?」とありました。正にこのブログの内容と出会う前の私です。「親も親なら子も子」や「この親にしてこの子あり」など、いかに親が子に与える影響が絶大であるかを示しているかのような言葉があるのも、そう考えている人が多い原因であるようにも思います。また「古いルールが新しい状況でも有効だと思いこみ、軽率に前進してしまうよりも、新たな状况には新たなルールがあり、そのルールが何であるかを見極める必要があると考える方が無難である」とありました。これは保育の世界でも言えることですね。古いことに囚われず、今に合った形を模索していく必要がありますね。

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