同じ家庭、同じ親

親によって子どもへの態度や家庭のあり方に対する考え方が異なります。ある家庭ではユーモアが徳とされ、笑いがその報酬とみなされます。おもしろいことを言うのであれば子どもたちも会話に割りこみ、少々生意気な口を利くことも許されます。ハリスは、まさに自分はそのような家庭で育ったと言っています。彼女には、高校時代の友人にレノアという子がいたそうですが、ハリスの家は知的とはほど遠かったのに比べて、彼女の家庭は知的な雰囲気だったそうです。ある晩、彼女がハリスの家でタ食を食べることになったそうです。食後に彼女は、「この家の子どもだったらよかったのにな」と言ったそうです。ハリスの家の夕食はにぎやかで、皆が一度にしゃべり、冗談や笑いが飛び交っていました。一方エレノアの親は厳格で礼儀正しい人でした。彼女いわく、彼女の家庭の夕食はまったくつまらなかったそうです。ハリスの家庭で育てられた人はレノアの家庭で育てられた人よりも笑い性の得点が高くなるのではないでしょうか。二人ともハリスの家庭で育てられた場合と、一人がハリスの家庭でもう一人が、レノアの家庭で育てられた場合では、二人ともがハリスの家庭で育てられた場合の方が二人の笑い性のレベルが似るのではないでしょうか。

もし子どもが「どちらにもなりうる」、つまり子どもたちは親と同じようになるかもしれないし、また同じようにすんなりと逆の方向に向かうかもしれないと考えているのであれば、それはすなわち、親は子どもに予測しうる影響を及ぼさないと考えていることになります。その観点を多少柔軟にとらえて、ほとんどの子どもは親の影響を受けますが、中には反抗して逆の方向に進む子もいると考えるのであれば、子どもの多くは反抗しないことから、きょうだいは似るものだという全体的な傾向が見いだせるはずです。本来子どもとは一人一人異なるものであり、きょうだいが親の態度や行動にまったく同じように反応するとは思わないと言います。とはいえ、概して冗談や笑いが奨励される家庭で育てられた人間は、「何がおもしろいの?」的な家庭で育てられた人よりも笑い性の程度は高くなるはずです。

ところが、行動遺伝学において明らかになった結果はそれとは異なっていたそうです。行動遺伝学者たちがあらゆる性格特性について調べたところ、すべてにおいてほぼ同じ結果が出たそうです。データを見るかぎり、同じ家庭で、同じ親によって育てられても、そのことは成人後のきょうだいの性格になんら影響を及ぼしてはいなかったそうです。影響を及ぼしているとしてもごくわずかだったそうです。一緒に育てられたきょうだいは性格的に似てはいましたが、その類似性は遺伝的に規定される程度に過ぎなかったそうです。彼らの共有する遺伝子だけで、彼らの類似性をすべて説明できてしまうのです。説明しきれずに、共通する環境にまで説明を求めざるを得ない状況にはいたらなかったのです。いくつかの心理的な特徴、特に知性は、子ども時代に家庭環境の影響を一時的に受けていることが実証されているそうです。養子縁組によるきょうだいの思春期前の値にはわずかだそうですが相関関係が認められたそうです。ところが、思春期後半ばともなると、遣伝的に規定されているもの以外の類似性はすべて消え去ってしまっていたそうです。IQも性格と同じように、養子縁組によって同じ家庭で育てられた養子間の成人後の相関関係はゼロに近かったそうです。

同じ家庭、同じ親” への6件のコメント

  1. 「この家の子どもだったらよかったのにな」ハリス氏のご両親への最高の賛辞ですね。そんな風に思ってもらえる家庭を築けることは素晴らしいことだと思うのは、ハリス氏の育った家庭環境を心地好さそうだと感じる思いがあるからで、それは遺伝がそう思わせるのでしょうか、それとも育ってきた環境がそう思わせるのでしょうか。もちろんレノア氏の育った「厳格で礼儀正しい」「知的な雰囲気」というものを心地好さと捉える人もいるわけで、そう思うと、それ程までに人は人によって極端な程に違いがあるものなのだと思えてきます。

  2. 行動遺伝学においての結果は驚くべきものですね。きょうだい間で似ているないし似ていないのは親でも家庭の影響でもないんですね。では、何が影響を与えているのでしょう。自分もそうですが、弟と全くと言っていいほど似ていませんが、親以外の他者の影響を受けているのであろうと今回の内容を読みながら思いました。考えてみれば、残っている言葉や先輩後輩などの上下関係など家庭では味わうことのない経験を他者からすることができ、その影響は知らず知らずのうちに影響を及ぼしているのかもしれないと思いました。

  3. “一緒に育てられたきょうだいは性格的に似てはいましたが、その類似性は遺伝的に規定される程度に過ぎなかった”と、行動遺伝学では、考えられているのですね。違う家庭で育った人にも遺伝子的に似てるものがあるといった考え方でもいいのでしょうか。遺伝子的には違っても、遺伝子のなかの細かいところが類似しているような感じでしょうか。また、最初にあったような家庭環境がそれぞれ違うことにより、それが当たり前であると考えるのではなく、
    “この家の子どもだったらよかったのにな」”という言葉が出るのには、楽観的な部分の居心地を感じたこともあると思いますが、やはり、もっている遺伝子がそう思うのかなと考えられました。

  4. 私は4人兄弟の年長者です。弟や妹がいます。外見の類似性は確認できます。しかし、性格や趣向は・・・?まぁ、私は幸か不幸か弟妹と議論のようなことをまともにしたことがなく、そういった意味では、それぞれの性格についてあまりよくわかっていないところがあります。ですから、弟はどうの、妹はどうの、という評価めいたことはあまりしたことがありませんね。同じ親、同じ家庭で育って、結果は、私たち4人は、互いに頼ることなく、それぞれの生き方をしてきています。「同じ家庭で、同じ親によって育てられても、そのことは成人後のきょうだいの性格になんら影響を及ぼしてはいなかったそうです。」との行動遺伝学の研究調査結果は私の場合、腑に落ちたところです。もっとも、互いをよく観察しあえば、おそらくは似ているところもたくさん発見できるのかも・・・う~ん、外見は似ているけれど、成人後のそれぞれの生きざまを見れば、親や家庭の影響による類似性はやはりさほどではないことがわかります。

  5. 今現在の自分の兄弟の性格などを客観的に見るとやはり、皆性格は異なっています。「同じ家庭で、同じ親によって育てられても、そのことは成人後のきょうだいの性格になんら影響を及ぼしてはいなかったそうです。」という部分だけを見るとなるほどと納得がいきますね。性格は似ることはなくても影響は大きいですね。あの時あの行動をとった兄弟から学ぶことは大きかったこたは覚えています。それは親ではなく兄弟の環境といえるのですかね。コメントは難しいですが、こうした結果が出ているのですね。

  6. 同じ家庭、同じ親で生活しても兄弟で性格が違うのは身をもって理解できます。私の二人の息子も似ているようで、似ていません。兄弟だから、同じ親、家庭だから似ているというのは、やはり先入観を持っているのかもしれません。自分を振り返ってみると、例えば兄の姿を見ているからこそ、似ている部分もあれば、あえて違う考えを持つようになったり、さらに言うと大学、社会人になるともっと環境が違ってくると、親との血縁関係、兄弟という枠から外れて、一人の人間としての生き方というのが備わってくるようにも思います。もちろん生まれ持った性格も影響していると思いますが、その上で環境というのが重要になってくると思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です