別の状況

人は新たな状況に既存の知識や技術をもちこまない傾向が強いと言われています。学習理論学者ダグラス・デターマンによると、新しい状況が直前の状況と酷似している場合は別にして、人がある状況で身につけたものを新たな状況へ自発的にもちこむことを示す確固たる証拠はないと言っています。少なくとも、赤ちゃんはそのようにできているようだとハリスは言います。発達心理学者キャロリン・ロヴィー=コリアーを中心とする研究チームは幼い赤ちゃんの学習能力に関する一連の実験を実施しました。赤ちゃんはべッド上で仰向けに寝かされ、頭上のモビールを見ます。赤ちゃんの一方の足首にリポンが結ばれ、その足を蹴るとモビールが動く仕組みになっています。生後六カ月の赤ちゃんはすぐにその仕組みを理解したそうです。自分の足を蹴ればモビールを動かすことができると知り、嬉しそうにしたそうです。さらにそのコツを二週間後にもまだ覚えていたそうです。しかし実験の装置などが少しでも変わると、たとえばモビールの飾りが少しでも違ったものにつけ替えられていたり、ベッドライナーの模様が少し変わっていたり、べッドそのものが別の部屋に置かれていたりすると、赤ちゃんはまるで生まれてはじめてそのものを見るかのように、ぼんやりとモビールを見にけるだけだったそうです。このことから赤ちゃんには学習機能があり、それにはある状況で学習したことは別の状況でも通用するとは限らないという警告機能が備えられていることがわかると言います。

この分析は面白いですね。しかも、大人でもそのような傾向があるようですが、特に赤ちゃんはそうであるということは、知っておく必要がありそうです。確かに、ある状況で学習したことは必ずしも別の状況でも通用するとは限らないのです。家で泣く子は運がよければ親にかまってもらえ、同情してもらえます。しかし幼稚園ではよく泣く子は仲間集団から避けられ、さらに小学校ではバカにされます。かわいらしく、赤ちゃんぽく行動する子に父親は喜んでも、同級生の反応はまったく違います。家では小利口なことを言って人の笑いを誘う子は、学校ではおしゃべりを慎まなければ校長室に呼び出されることになります。家ではきしむ車輪は油を差されますが、外の世界では出る杭は打たれるのだとハリスは言います。そしてシンデレラのようにその逆もありうるというのです。

シンデレラ同様、ほとんどの子どもたちは少なくとも二つの異なる環境をもっていると言います。家との外とではまったく別の世界です。それぞれの環境には独自のルールがあり、独自の懲罰もあれば報酬もあります。シンデレラのおかれた状況が特異だったのは、彼女の過ごす二つの環境とそれぞれでの彼女の性格があまりにもかけ離れていたからです。ごく一般的な中流階級のアメリカ人家族の子どもも家の中と外とでは行動が異なります。ハリスの子どもたちがまだ小学生だった頃、彼女ら夫婦は、娘たちの先生に会いに、親向けに夜間に行われる自由参加の保護者懇談会であるバック・トゥ・スクール・ナイトに出かけそうです。毎年そこで見る親たちの姿はいつも同じだったそうです。信じられないと頭を振りながら部屋から出てきて、「あの先生本当にうちの子のことを言っていたのかしら?」と冗談めかして言うのだったそうです。実際、先生がまったく別の子のことを言っているように感じることがあると言いますたいていの場合、親の知るその子の姿よりもしっかりしている場合が多いと言います。「家では意固地でたいへんなんですよ!」「あの子は一分たりとも黙っていないんです!」といった具合だと言うのです。このようなことは、日本でもよくありますね。

別の状況” への9件のコメント

  1. 本当ですね。保護者との日々のやりとりの中でそのような話になることもとても多いです。家での姿から保護者が子どもに感じる不安や心配がそっくりそのまま園でもそうかと言うと、そうでないことも多く、やはり直接見てもらうといいのではと思うのですが、仕事の忙しい保護者は中々日中園に訪れるということは難しいことですね。だからむしろ子育ては、見守る保育の三省にもあるように、心配するよりも信じてあげることなのだと思います。子どもにも外と内の世界があって、その世界の中で力強く生きているのだと信じること。今日も子どもたちが保育園で楽しく遊んでいる姿を想像して、安心して目の前の仕事に取り掛かっていきたいと思います。

  2. 別の状況に置かれた場合の反応は、必ずしも学習したことが通用するとは限らないという〝警告機能〟であるということでした。自分の園では運動会を近くの小学校の体育館を借りて行いますが、特に小さい子は泣いてしまったり、動かなくなってしまったりしてしまいます。やはり、人間にとって必要な警告機能であることを踏まえて、「仕方ないこと」ということを知っておくことが必要ですね。
    それと、園と家での姿がまるで別人のように感じるのはよくあることですね。保護者と話していて、お互いに「そうなんですね。」と思うことがあることで、話すのが楽しみにもなります。わが子たちも家ではあまり食が進みませんが、保育園ではおかわりしてたくさん食べるそうです。別の世界をもっていますね。

  3. “赤ちゃんには学習機能があり、それにはある状況で学習したことは別の状況でも通用するとは限らないという警告機能が備えられている”てあり、つまり、応用できる場面でも応用ではなく、学習することで、また、新たなもとして学習しようとするのですね。こうすれば、いいのになとかあのときにやったやり方と同じとか思うのは、勝手なおもいであり、そういった声かけなどは、子どもにとって必要でないことがわかりました。家庭と保育園などでの子どもの姿の違い、保護者からの話を聞いていると、驚くこともあり、だからこそ、話をし、子どもの姿を共有する必要性があるのでしょうね。

  4. 大人の私もある状況で身に付けたことを別な状況に適応させようとして失敗することがあります。状況の変化にうまく対応できていない証拠でしょう。「ある状況で学習したことは必ずしも別の状況でも通用するとは限らないのです。」このことを肝に銘じて置くべきでしょう。大人の自分にも必要な座右の銘ですが、そうしたことをあずかり知らぬ子どもたちにとっては「通用するとは限らない事実」に納得いくまで泣きわめくのでしょう。そしてその泣きがやがて「通用するとは限らない」事実を子どもに知らせることになるのでしょう。赤ちゃんの泣き、あれは立派な自己主張です。家での顔と外での顔。自分ではあまり意識していないのですが、どうやら違っているようです。

  5. 赤ちゃんの実験は面白いですね。それだけ新しい環境に対して敏感に反応し気づくことができるのに、いつの間にか、その能力が失われているというかブログに書いてあるように、新たな状況に自発的に持ち込む証拠がないように、成長するにつれて慣れてしまうのでしょうか。
    最近、長男の園と家での姿が違うという事に関して妻と話しますが、どうしても重ねて考えてしまう癖があります。それこそ「園ではこうなのに、なぜ家では」と話していますが、意図的か無意識か分かりませんが、明らかに自分を使い分けている事に気づきますが、自分を思い出し見ても同じような事をしていたかもしれません。もしかしたら親は今の自分と同じように感じていたのかもしれません。最近のブログにも書かれてあったように、状況を使い分けるという事にマイナスなイメージを持っているからこそ、園での姿を重ねて比べてしまう気がします。もう少し、柔軟に捉えないといけませんね・・・。

  6. 「家との外とではまったく別の世界」というのは正にそうですね。シンデレラのあまりにも違う環境というのはなにかお金持ちの家のイメージを想像させます。ファミサポをしている先生に聞きましたが、「この子家と保育園では全く違うんです。」とおっしゃっていました。だからといって対応を変えるわけではありませんが、その子なりの外の態度を感じます。その態度がまたしっかりしているところを見るとなにか不思議さを感じますね。おそらく我が子もそうであるようにその使い分けをしているのでしょう。疲れないのかなと思いますが、子どもにとってそれが普通なのかもしれないですね。

  7. 「赤ちゃんはそのようにできているようだとハリスは言います」というのには驚きました。そして、「確かに、ある状況で学習したことは必ずしも別の状況でも通用するとは限らないのです」ということを子どもの頃から理解しているというのはやはり驚きです。この油断をしない姿勢というのでしょうか?これは私も見習いたいなと思います。油断するというのはあまりいいことではないですね笑。「ほとんどの子どもたちは少なくとも二つの異なる環境をもっていると言います」とありましたが、本当にそうですね。保育園、家庭。学校、家庭での子どもの姿はそれぞれ異なりますね。そういう意味でもそのような環境があることが重要であるということになると、やはり2歳まで家庭しか知らないというのは正常なことではないことを感じます。

  8. 赤ちゃんが学習しているというのは面白い実験ですね。今ある状況から変わると今ある状況とは違うということで、別の状況では通用するとは限らないと感じているのですね。今の状況と、別の状況で人は顔を変えているというのは確かによくあることです。家での様子と園での様子が違うということをいう親もいます。たいていそういう保護者は受け入れてくれることが多いのですが、最近は「家と園とでは子どもの様子が違う。園では自分を出していないのではないか。信頼する先生がいないのではないか」といわれることもしばしばあります。少子化になることでどんどん子どもたちの生活に一貫性が求められると逆に社会性が阻害されるのかもしれません。保護者の心配も分かりますが、そういった子どもの姿を理解することも必要ですね。

  9. 「赤ちゃんには学習機能があり、それにはある状況で学習したことは別の状況でも通用するとは限らないという警告機能が備えられている」ことは、今回の「家で泣く子は運がよければ親にかまってもらえ、同情してもらえます。しかし幼稚園ではよく泣く子は仲間集団から避けられ、さらに小学校ではバカにされます…」等でもあるように、そして実際の姿でも数多く見られると思います。よく園でのお子さんの姿を保護者の方にお伝えするとき、「家ではそんな姿が見られない、見てみたい」と言われることがありますが、内と外での使い分けを子どもたちは柔軟に行なっているように感じています。だからこそ、乳児期から外の環境に触れる機会を設けてあげることが重要なのだと改めて感じることができました。

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