ジレンマ解消

サロウェイの意向とおそらく彼の幼少時の記憶にも反して、親の愛情と関心の一番おいしいところをもらえるのは上の子ではなく、下の子なのだとハリスは言います。これは万国共通のことだともいうのです。昔ながらの子育てが行なわれている地域では、赤ちゃんの頃はかわいがられますが、下のきょうだいが生まれると何の予告も弁解もなく三歳児はその地位から引きすり降ろされてしまいます。王国や大邸宅、家族の農場を受け継ぐのは上のお兄ちゃんかもしれませんが、だからといって母親が彼を一番愛しているとは限らないのです。彼が一番のお気に入りだったとしてもそれは彼が最初に生まれたからではないのです。

出生順位について、最後にもう一度ハリスは、エルンストとアングストの見解を紹介しています。

「出生順位に関する研究は、きょうだいの順番もその人数も明確であることから、いとも簡単そうに見えます。コンピュータに数値を打ちこみ、関連する要因間で有意差が認められれば、その後にもっともらしい説明をつけるのは簡単です。たとえばもし末子が他の順位の子どもより不安を示すという結果が出れば、それはその子が長いこと家族で一番弱い存在であったからだと説明できます。もし第一子が他よりも臆病であるという結果が出れば、それは経験の浅い母親による一貫性に欠けるしつけによるものだと説明できます。逆にもし中間の子がもっとも不安を感していれば、それは第一子でも末子でもないことから親におろそかにされたからだと説明できます。想像力さえはたらかせれば、四人きょうだいの二番目の女の子が不安をかかえている理由ですら説明することは可能です。かかる研究は時間と金の無駄遣い以外の何ものでもない。」

行動遺伝学者たちのジレンマ解消には出生順位説こそ理想的に思われたのですが、彼らは結局エルンストとアングストの忠告を受け入れ、不本意ながらも出生順位説をあきらめました。親の行動がさまざまであること、すなわち親が子ども一人一人に対して違う行動をとることは彼らもそのときすでに承知していたのです。行動遺伝学者にとって必要だったのは、こうした親の姿勢に見られるばらつきは、たんに子どものもつ生まれつきの特徴への反応、すなわち子から親への影響であるだけでなく、実際にはそれが子どもの性格に重大な影響すなわち親から子への影響を及ぼしていることを実証することだったのです。出生順位説ならそれが可能だと思われたのです。特定の子どもを他よりもかわいがるといった親の態度の違いが実際に子どもの性格を左右するのであれば、多くの親が下の子をよりかわいがっていることを踏まえると、出生順位の研究でもその形跡が結果に現われたはずです。しかしほとんどの研究、特に最近行なわれた大規模で綿密な研究では成人後の第一子とそれ以降の子どもの間には性格の違いはまったく見られませんでした。これらの結果から唯一論理的に結論が導けるとするならばそれは、親のお気に入り度といった徴環境の違いが子どの性格に一生残るような影響を及ぼすことはない、ということです。成人してからもまだ痕跡が残るような影響は何もないのです。

マコピーとマーティンが提示した一つ目の選択肢は、親は子どもになんら影響を及ぼさないというものでした。二つ目は、親の姿勢のうちで何が子どもに影響を及ぼすかは家族内でも子どもによって異なるという内容でした。出生順位はこの二つ目の選択肢を裏づける証拠となるはずでした。出生順位による作用を裏づける説得力のある証拠が見つからなかったことで、この問題もまた宙に浮いたままとなってしまったのです。

ジレンマ解消” への6件のコメント

  1. 遺伝的に、持って生まれた気質によってある意味では親の愛情を意のようにコントロールし、自分に適した環境を作り出しているとすれば、赤ちゃんや子どもは何と賢く、また、逞しい存在なのだろうと思います。生きる、という信念を携えて生まれてくるようで、生きることについてとても自主的な存在と言えるように思え、やはりそれを最大限に援助する手立ては見守ることであり、温かな笑顔で応答的であることであると解釈できるように思えます。

  2. 以前のブログに子どもの影響を親が受けている、という内容がありましたが、親の環境の違いが一生残るような影響を与えることはないとありました。微環境の違いが影響を与えることはないということで、子ども自身でどこから影響を受けるのかを選んでいるような、そんな気がしました。そのように考えていくと、生きるということは選んでいくことであり、自主的なことであるように思えます。
    自分のことをそのような性格ではないと思っている人には、自分も含めて朗報であるように思います。

  3. 子どもがもつ遺伝子というものは親が違えば、様々な遺伝子が存在する社会であり、その子どもという存在は、環境という取り巻くものが子どもに対して、どのように働くのか、不思議ではありますが、これもそれぞれによって遺伝子が左右する部分がある、しかし、それが出生順によるものだけではなく、大人になって影響を及ばすわけではない、様々な要因があって子どもは成長している、このことは、十分にわかっています。考えることは、こういった背景があり、子どもは育つということを感じてます。

  4. いや~研究とはこういうもんだ!を思い知らされる今回のブログの内容です。出生順位説の挫折、とでも申しましょうか。行動遺伝学者が寄って立ってきた仮説がものの見事に崩壊する。そして「親は子どもになんら影響を及ぼさない」そして「親の姿勢のうちで何が子どもに影響を及ぼすかは家族内でも子どもによって異なる」は出生順位説の瓦解でついに「宙に浮いたまま」。この時点では何が何だかよくわからん!ということなのでしょうね。親子関係の順接「蛙の子は蛙」。親子関係の逆説「鳶が鷹を生む」。いつの頃から日本において言い伝えられてきたこれらのフレーズ。概して親子間の影響-被影響関係を表現した言い回しのように思われます。これらはどう説明されていくのだろうか。とても興味津々ですね。いずれにせよ、影響関係は親子間ではなくても何等かの関係因子によって生じているはずです。ここでは、必ずしも親と子の影響関係に特化する必要はないのだということを学べます。

  5. 親は子どもになんら影響を及ぼさないという見解からこれまでの流れを考えるとやはり子どもというのは自分で道を選んでいるような印象を受けますね。親がどうであれ、そこからは自分の解釈の中で進んでいくようなイメージでしょうか。上手く言えませんが、その自主的な行動を見守る、困った時に助けられる存在が親であることを改めて感じる内容でした。

  6. 結局のところは出生順位が子どもの性格にはさほど影響を与えないというのは現状で、宙に浮いたままなのですね。納得したようで、なんだか未消化な感じで残っている感じです。しかし、よく藤森先生が講演でも言われていますが、今まで青少年の犯罪が起きる原因の一つとして母親の過干渉と父親が無関心の間で過ごした子どもは起こしやすいと言われています。確かに親は子にさほど影響を与えないのかもしれませんが、限度があるように思います。それこそ「見守る」事、これも藤森先生が言われますが、親という漢字は木の上に立って、見ていると書くように、普段は少し離れた木の上から見ており、時には木から降りて支えてあげる事が一番、大切だと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です