わずかな影響

親はなんら影響を及ぼさないのか、それとも親は子ども一人一人に対して異なる影響を及ぼすのか、マコビーとマーティンが世間に与えた選択肢はこの二つだけだったのです。社会化研究者はそのいずれも好意的には受けとめませんでした。それはまるで疫学者に対し、ブロッコリも運動も健康にはなんら効果がない、もしくはそれらによって健康になる人もいれば体調を崩す人でもいる、と公言するようなものでした。確かにプロッコリも運動もそれによる効果は人によって違うかもしれませんが、少なくとも疫学では野菜を食べ、定期的に運動することはほとんどの人にとって有益であると全体的には考えられています。マコビーとマーティンによると、社会化研究ではそんな全体的な傾向があるのかないのかすら明確になってはいないというのです。

このマコビーとマーティンの言葉は核心的といえるほど重大な意味をもっていますので、ハリスは、さらに掘り下げて考察しています。「これらの結果」とは、社会化研究によって明らかにされたゆるやかで、気まぐれな傾向のことであり、行動遺伝学研究によって明らかにされた一緒に育てられたきょうだい間の予想外に低い相関関係のことです。「親が子どもに与える物質的な環境も、家族内の子ども全員にとって本質的に同じである親の特徴も、わずかな影響しか及ぼさないことを強く示唆している」。という内容を違う言い方をすると、今まで子どもたちに重大な影響を及ぼすと考えられてきたもののほとんどは結局重大な影響を及ぼしていないということを意味しているのです。親が仕事をしようがしまいが、本を読もうが読むまいが、お酒を飲もうが飲むまいが、喧嘩をしようがしまいが、結婚生活を続けようが別れようが、それらは「家族内の子どもたち全員にとって本質的に同じ」であり、それゆえにこれらすべては子どもたちに「わずかな影響しか及ぼさない」と考えられるのです。

確かにこの結論は、当時は随分と反論されたでしょうね。長い間、親の子どもへの影響が大きい、また、子どもが悪いことをすると親のせいであると思われたことに対する反論ですから。保育園に我が子を入所させている親に対して、母親が働いているので、子どもは悪くなるといった根拠のない批判がよくされていました。確かにその影響が大きいのであれば、同じ環境で育てられたきょうだいは全員悪くなるはずです。

さらに、同様に家庭の物理的な環境に関しても、それがアパートだろうが、農家だろうが、広々としていようが、こみ合っていようが、散らかっていようが、きれいに整頓されていようが、画材道具が多くて豆腐をよく食べようが、車のパーツだらけで高カロリー菓子をよく食べようが、これらはすべて「家族内の子どもたち全員にとって本質的に同じ」であり、それゆえに、これらはすべて子どもたちに「わずかな影響しか及ぼさない」と考えられるのだというのです。

マコビーとマーティンはいとも簡単に、何十年も社会化研究者たちが生計を立ててきた事柄をほとんど否定してしまったのです。さらに彼らはわずかに残る部分でさえ否定しようとしましたが、その最後の判断を読者に委ねたのです。

わずかな影響” への6件のコメント

  1. マコビー氏とマーティン氏の出した結論、読み進める内になぜか鳥肌が立つようでした。人間は皆平等である、ということの意味を改めて知るようでもあり、また、富士山を登るように、麓からそれぞれの山道を選びながら一つの頂上を目指していくことを人生と考える、そんな考え方も肯定されるような感動がありました。今在るのは誰かのせいではなく、お陰であり、そして道中であり、そして誰しもがそうであることを理解できたような気がして、人間とは何と愛されている存在なのだろうと思えてきました。

  2. 前回のコメントで「子育ては大変だ」と書きましたが、今回の内容を読むと「大変にしているのは自分であり、それはわずかな影響しか与えず、ほぼ意味のないものである」という気さえしてきました。
    自分が自分であるのは、親のせいでなく自分のせいであり、親には感謝すること、今までもこれからも感謝していくことでつながっていくものがあるような、改めてここまで生きてこれたことは親や周りの人のおかげであるということを感じました。

  3. “今まで子どもたちに重大な影響を及ぼすと考えられてきたもののほとんどは結局重大な影響を及ぼしていないということを意味している”とあり、子どもという存在にとって、親が特質的な存在であっても、おおきな影響を成さないとなると、親の子ども時代の姿、行動と親となり、子育てをした子どもの姿が似ているというのは、環境が近いかったという観点をもつほうが適切なのかなと思います。だからこそ、一人一人の存在がそれぞれあり、多様な存在として、社会にいる、それは、遺伝子的にはつながっていますが、やはり、一人一人がしっかりとした人格者だということを感じるところです。

  4. マコビーとマーティンの研究結果は、かなり刺激的ですね。家庭が一番とか、親子関係の良好さがその子の将来を決めるとか、塾にやらない親はダメ親とか、・・・。家庭信仰、親信仰がまだまだ世間では強いですね。この信仰によれば、家庭がない子や親がいない子は、果たしてその存在は認められていると言えるのか?保育園が社会悪のひとつのように見られていた頃がありましたね。私が大学に入った頃、幼稚園出身か保育園出身か、ということがあり、前者は優、後者は劣、的な雰囲気があったことも思い出しました。「今まで子どもたちに重大な影響を及ぼすと考えられてきたもののほとんどは結局重大な影響を及ぼしていないということを意味している」。「マコビーとマーティンはいとも簡単に、何十年も社会化研究者たちが生計を立ててきた事柄をほとんど否定してしまったのです。」これは相当大変なことですね。まぁ、いまだに世間は社会化研究者の理論が一般化されているようです。現在は、子ども、特に赤ちゃんに関する研究が目覚ましい成果を遂げ、世の中に提示されています。子どもとはそもそもいかなる存在であるか、この視点に立って研究していくならば、社会化研究や行動遺伝学はそれぞれ進化を遂げ、アウフヘーベンされ、新たなる世界を出現させてくるのでしょうね。

  5. 「今まで子どもたちに重大な影響を及ぼすと考えられてきたもののほとんどは結局重大な影響を及ぼしていないということを意味しているのです」というのはやはり読み進めていながらも少し驚きます。それこそ自分に刷り込みがあることに気付かされますね。あー、それは親の遺伝だねーなんていう会話はそこらじゅうである中での内容ですので。親である責任がある中で影響力の無さには少し寂しさを感じますが、それ以上に子どもは自ら生きる力をより持っているのではないかと思えてきます。

  6. 親は子に「わずかな影響」しか与える事しかできない。読む人によってはショックを受ける人もいるでしょう。我が子のために幼い時から色々な塾に通わせ、親の価値観で「立派な人」になってもらいたいと思い、時間と労力をかけている親にしたら「そんなわけない!」と逆に信じないでしょうね。または、それを聞いて安心する親もいるかもしれません。しかし、ふと思うことが、わずかな影響しか与えないというのは理解したとして、だからと言って何もしないわけではなく、親として子どもに最低でも何をすればいいのだろう?と思いました。その限られた中で我が子のために考える事が親としての役割なのかもしれませんね。

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