おとぎ話に見る家庭の環境

昔から語り継がれる民話には、家ではいじめられていましたが最後には家を出て大成功をおさめる主人公がしばしば登場します。その一例がシンデレラです。ハリスが子どもの頃に読んだシンデレラの本は次のようにはじまっていたそうです。

昔むかし、あるところにうぬぼれの強いわがままな女の人を二度目の妻として迎えた男の人がいました。この女の人には娘が二人いましたが、二人とも母親と同じようにうぬほれが強くわがままでした。一方男の人にも娘が一人いましたが、この娘はやさしく親切でうぬぼれることなどまったくありませんでした。

この「やさしく親切な娘」というのがもちろんシンデレラです。ディズニー映画とは異なり、この本では姉たちは容姿端麗な女性として描かれていて、醜いのは性格だけです。この点では母親にうりふたつでした。シンデレラの天性のやさしさはおそらくすでに他界した母親から受け継いだものなのでしょう。当時母親が死ぬということは決して珍しいことではありませんでした。今日では離婚によって家族が離散しますが、当時は多くの家族が死によって引き裂かれたのでした。

おとぎ話では簡略化されてしまっていますが、シンデレラは何年間も継母や姉たちのいじめを堪え忍んできたに違いありません。彼女には頼れる人は誰一人いませんでした。父親は彼女を守る気がなかったのか、それともできなかったのか、さらに当時は子どもを虐待から守る法律も機関もありませんでした。目立たないことが一番だと、言われたとおりに行動し、侮辱されても暴力を振るわれても抵抗してはいけないということを、シンデレラは早々に学んだに違いありません。そしてついに舞踏会が、妖精が、そして王子様が現われたのです。

原作者は読者に次の事柄を前提として認めるよう求めています。シンデレラは姉に気づかれずに舞踏会に行くことができた、何年間も自尊心が傷つけられていたにもかかわらず王子ような高尚な人物を楽しませ魅了することができた、王子が彼女の自宅で普段着姿の彼女に気づかなかった、さらにはンンデレラが王女として、そしていずれは女王として務まると王子は信じて疑いもしませんでした。

このようなことは、不合理でしょうか?そうでもないのかもしれません。ハリスは、単純なことを一つだけ受け入れることができれば、すべてつじつまが合うと言います。そのこととは、子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の「顔」をつくり上げるということです。継母の前では彼女の嫉妬を買わないよう、目立たないのが一番だということをシンデレラはまだ相当幼い時分に学びました。もっとも、厳重に見張られてさえいなければ、子どもなら誰でもするように、彼女もまた家を抜け出し、遊び相手を求めたでしょう。それは、彼女をその狭い家の中に閉じこめることなどとうてい無理だったからです。なぜなら、家の中にはトイレがなかったからです。

おとぎ話に見る家庭の環境” への9件のコメント

  1. ホラーのような怖い話に触れた時のような読後感の後に、なるほどトイレがなかったことが彼女にとって不幸中の幸いであり、それは彼女の手にする成功から逆算した時に不可欠な成功要因だったかもわかりません。そう考えると、例えば現状に不満があるとして、時が経つにつれそれがどのような意味をもつかわからないという解釈もできるように思えてきます。それは結果論になってしまうのかもわかりませんが、人間が最期に自分の人生を最高の人生だったと心から思えることが成功だとするならば、その終末に向けて現状が存在しているのかもしれず、そう思うと全てが感謝の対象となるのかもわかりません。感謝の多い人が幸せに見える理由はこういうところにもあるのかもわからないと思いました。

  2. シンデレラを紐解いてみると、なるほどという思いがでました。確かに、シンデレラはかわいそうであり、しかし、そのひた向きな性格で、我慢をして、いたに違いありませんし、父親に扱いがひどいことを訴えれば、いいものもそれも必要にしなかったことは思っていましたが、シンデレラなりにそのときにあった環境の背景をみての行動だったのでしょうね。”子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の「顔」をつくり上げるということ”という言葉があることは、まさにこのことが当てはまるのかなと思いました。環境にあわせた別の顔、子どもが与えられた環境のなかで、生きるために柔軟性をもった対応といった子どものもつ力がなせるものだと思いました。

  3. 〝子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の「顔」をつくり上げるということ〟とありました。大人でもその場所、環境で「違う自分」を作り上げて過ごしていることもあるかと思います。多感な時期では「どれが本当の自分?」と多重人格ではないかと考えたこともありましたが、どれも自分であり、環境に合わせて表情を変化させているのだと思っています。
    シンデレラは目立たないようにする自分と王子を魅了する自分と大きくありました。このような一見正反対であるようなことも物語で描くとドラマチックなものとなるのでしょうね。また、トイレが家になかったのなら、外にあるのでしょうか。ラッキーですね。

  4. 私も生まれてから12年間「家の中にはトイレがなかった」そんな家で過ごしました。小学校高学年になって夜でも外のトイレに行けるようになりましたが、それまでは室内にオマルがあり用を足していました。懐かしい想い出の一つです。今では自分の部屋を出て5歩のところにトイレがあります。隔世の感これあり。さて、シンデレラの話を今回のように紹介されますと、あのお話が別の意味で自分自身に迫ってきますね。継母や継姉たちに虐げられて育った可哀想な子、でも運が味方をしてくれた。王子様に見初められてハッピーエンド。あ~良かった。で終わってはいけない。「子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の「顔」をつくり上げる」ということを読み解く。確かにこの通りですね。私たちは「環境に応じて」生きていると思うのです。幸い私たちには考える力があります。一見ネガティブなことでも考えようによってはポジティブになる。おそらくそうして与えられた生を全うしていくのでしょう。子どもの「生きる力」とはそうしたことでしょう。子どもの「思考力」とは生き延びるために様々なことを考える力なのかもしれません。我慢する力や耐える力も畢竟「思考力」の結果でしょう。

  5. シンデレラのお話は有名ですね。しかし、家庭環境まで考えたことはありませんが、こうして解説を読むと面白いですね。シンデレラのように別の顔を作る、最近藤森先生の話でも、子どもは園と家庭で使いわけているというのを聞きました。確かに、長男の例でいうと、園ではしっかりと給食を食べるのに、家ではあまり食べず、すぐに手伝ってと言います。二重人格までは言いませんが、家庭環境での自分と園環境での自分をうまく使い分けているのが子どもであり、それを知ろうとする大人は図々しいのかもしれませんね(笑)少しブログの内容とずれてしまったかもしれませんが、読みながらそんなことを考えました。

  6. シンデレラの話ではなんだか、えー、と思うような内容ですね。印象的なのは最後にある「子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の「顔」をつくり上げるということです。」というところです。それは現在の子ども園にいる子どもたちにも言えることですね。以前に藤森先生が仰っていたように、面談などで保育園の様子を赤裸々に保護者に話すことは…と使い分けをしている子どもからしてみたらと思うことです。それを理解した上での話であるのであればいいのかもしれませんが。

  7. シンデレラの話から「子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の顔をつくり上げるということです」ということを読み解くことができるのですね。「郷に入れば郷に従え」ではありませんが、やはりそのような環境に合わせるということが、その環境の中で生きていく最善の策なのだと思うと、人間の適応能力はすごいものだなと思ってしまいます。だとすると、環境が人を作っていくということになるのですね。そう思うと、現代は昔よりも環境を変えやすいといいますか、自分の意思で変えることができるのかもしれませんね。だからこそ、それを選択する力が大切になってくるように思います。それが見守る保育では培われますね。

  8. シンデレラを藤森先生の解説をもとにみると非常に面白いですね。「子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の「顔」を作り上げるというということです。」とあるのは確かに心当たりがあります。そういったことはよくありますね。園での子どもの姿と家庭での姿が違う。ということも多いですし、凶悪犯が普段見せる顔とその裏にある残虐な顔といったように2面性があるようすが伺えることはよくあります。以前藤森先生に「ヒトの顔色をうかがうのはどうなのでしょうか?」と質問したところ「最近の人は顔色を窺わなさすぎる」といわれたのを思い出しました。そうやって、子どもながらTPOに合わせた状況を察知し、合わせているのですね。

  9. このシンデレラストーリーからは「天は二物を与えず」という言葉が頭をよぎります。さらに「家の中にはトイレがなかったからです」という部分は自分の幼少期もそうだったので少し懐かしくなりました。確かにトイレが家の中になかったら外に出る頻度は高くなりますね。その環境が天から授かりし、備わった一物を開花させ披露する要因となるようなそんな印象を受けました。また「子どもとは環境に応じてそれぞれ別の自分を、別の顔をつくり上げる」というのは自分の経験からもすごく納得のいく思いですが、大人も同様であったりしないでしょうか。属している集団次第で自分の立ち位置や役割が違ったりといろんな自分が存在しているように今でも感じることがあります

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