育児法

「遺伝子か環境」ということを「生まれと育ち」という表現がありますが、この言葉の生みの親とされているのは、チャールズ・ダーウインといとこ関係にあるフランシス・ゴールトンだと言われています。ハリスは、ゴールトンのこの言葉は、おそらくシェイクスピアからヒントを得たのだろうが、実は、これはシェイクスピアの考案でもないと言います。シェイクスピアは、「テンペスト」という作品の中にこの二つの言葉を並べて登場させました。しかし、その30年前に、リチャード・マルキャスターという英国の教育者が次のような記述を残しているそうです。「生まれることで未来が開け、育てられることによって未来へ進む」という言葉です。その300年後、ゴールトンはこの二つの単語を対にして標語としたというのです。それが的を射た広告コピーのように人々に受け入れられ、すっかり私たちの言語の一部となったというわけです。

しかし子育て神話の実質的な生みの親はジークムント・フロイトだとハリスは考えています。また、フロイトかと思ってしまいます。彼の影響は多大なものがありますね。確かに彼は偉大であり、一世を風靡したことは確かです。しかし、その多くは、私からすると情緒的刷り込みを作ってしまった気がしています。フロイトは、成人期の心理的苦悩はそのすべてが幼年期、とりわけ親とのかかわりが深い時期の体験に起囚するという考え抜かれたンナリオ(ハリスはこう表現しています)、その大半は事実無根ですが、それを書き上げたのがフロイトなのだというのです。フロイト派によると、「性の異なる親が二人存在すること自体が幼年期の子どもにたいへんな苦悩を与えている。誰もその苦悩を避けては通れない。もっとも良心的な親でさえも子どもをその苦悩から守ることはできない。そういう親はむしろその苦悩を悪化させてしまうかもしれない。男の子であれば誰でもエデイプス・コンプレックスを克服しなければならない。女の子ならば誰もが安易に考え出されたその女性版を体験する。母親(父親ではなく母親のみ)はまた幼児期の二大危機である離乳と排泄訓練の責任をも負わされているのだ。」と主張したのです。

今考えると変な説だと思うのですが、当時フロイト派の考え方は20世紀前半に広く支持され、スポック博士のかの有名な育児書にまで登場したのです。このスポック博士の育児書は、1946年にアメリカで刊行されましたが、日本でも1966年に出版され、一世を風靡しました。というのも、育児についての指南書というべき本がなかったからかもしれません。ほかに42か国語に翻訳され、5000万冊発売されたそうです。ということは、この育児の考え方が、世界の中で常識として広がっていったのです。私は、この育児書によって、伝統的育児が否定され、若い人たちが年を取った人の育児論に「今は違うのよ!」と新しい育児の考え方に飛びついてしまったことの功罪を生み出した気がしています。

「スポック博士の育児書」の原題は、「The Common Sense Book of Baby and Child Care」というように、この考え方が常識となっていきます。もともとは、ジョン・デューイの教育思想を具体化したものだと言われていますが、本当に彼がそう言っているのかわかりませんが、こんなことが書かれてあります。「3ヶ月になったら、たとえば寝る時間がきたら、やさしく、しかしはっきりと、もう寝なければいけない。そして、お母さんはそばにいられない、ということをわからせ、すこしぐらい泣いていても、放っておきます。」とか、「2才ぐらいになると、ひとりでベッドから出てきて、親のベッドへきたがる子です。こんなときは、運動具店からバドミントンのネットを買っていらっしゃい。こどもを(ベッドに)入れたらネットをかぶせて、こどもの手のとどかないベッドの下で、数カ所を、これもテープか紐でスプリングにしっかり結びつけられるようにしておきます。」

今でも、ヨーロッパでは信じられているようです。

オランダの園のお昼寝ベッド