精神分析

私は、一世を風靡した「スポック博士の育児書」の内容には、首をかしげる部分が多くあります。特に、親子関係についての考え方です。「育児にばかり集中はできない。こどもも人間なら、親だって人間なのです。」「常識のある父親(あるいは母親)なら、自分を犠牲にしてまで、こどもにつき合おうとは、おもわないはず。」など、彼は、伝統的育児を権威主義的で親を縛るものとして否定していきます。そして、その内容は、日本において、母子手帳の内容に影響していきます。

また、フロイトは人の心の中を探り分析する精神分析を創始した人物として有名です。彼は精神科医という立場で、患者通して、精神分析を確立したのです。そして、現在の精神治療では前提となっている無意識という概念を考え出しました。現代精神医療はフロイトが切り開いたといえます。こんな彼からの影響を多く受けたのは、精神科医たちであり臨床心理学者たちでした。彼らは、面接を通して患者の心の悩みを解決へと導く人たちだったからです。しかし同時に、研究を行なってその結果を学術誌に発表する研究系の心理学者たちにも衝撃を与えたと言われています。中にはフロイトの学説を実験的に証明しようと試みた学者もいたそうですが、そのほとんどは失敗に終わったようです。

また、行動学者たちにも影響を与えます。彼らは、1940年代および50年代にアメリカ国内の大学で主流となった心理学の一派で、ある意味でフロイト派に対抗して生まれた学派だと言われています。その行動主義者たちはフロイトの考え方である、性と暴力、イドと超自我、さらには意識までのはとんどすべてを否定しました。しかし、彼らも、幼年期、すなわち親のかかわりが絶対的な時期の体験が重大であるという基本概念は認めていたそうです。このことをハリスは、「フロイトの描いたサイコドラマのシナリオは拒否したが、登場人物はそのまま残したというわけだ。親が主人公であることには変わりはないが、彼らが演ずるのは性的な対象やハサミを振りまわすような役柄ではない。代わって行動主義者の描いた脚本で親が演しるのは反応を条件づける役や、賞罰を与える役だ。」と評しています。

行動主義の主唱者であったジョン・B・ワトソンは、実際には親は子どもの反応の条件づけをあまり系統的に行なってはいないことに気づき、その手本を示すことを申し出ました。どう示すかというと、12名の幼児を十分に統制のとれた実験室的な状況のもとで育てるというのです。次のような言葉を以前のブログで紹介しました。

「私に、健康で、いいからだをした1ダースの赤ん坊と、彼らを育てるための私自身の特殊な世界を与えたまえ。そうすれば、私はでたらめにそのうちの一人をとり、その子を訓練して、私が選んだある専門家-医者、法律家、芸術家、大実業家、そうだ、乞食、泥棒さえも-に、その子の祖先の才能、嗜好、傾向、能力、職業がどうだろうと、きっとしてみせよう。(安田一郎訳『行動主義の心理学』ちとせプレス)」

幸いワトンンのこの中し出に応した者はなく、1ダースの乳児は、難を逃れました。今日でも年配の行動主義者の中には、資金力さえあったらワトソンは自分の見解を実証できたと考えるものもいるかもしれないとハリスは考えています。

精神分析” への2件のコメント

  1. 凄い自信ですね。先日のブログで毒親の条件が挙げられていましたが、このような態度からくる保育や子育てというものがまともに子どもを育てられるものなのか疑問の湧いてくるところではありますが、このような研究が行えないからこそ保育に携わる人間は向上してきたと言えるのかもわからないと思えてきました。その時代によって正解へ向かうプロセスが変わる、ということをハリス氏の主張から感じています。ただ、どの時代でも不変なものは、我を省みること、その日発した言葉、行動について明日はどうするのか、その積み重ねであるように思いました。

  2. 以前、講演会で「私なら子どものオムツを1週間でとれる」と豪語していた方の話を聞いたのを思い出しました。
    トイレが上手になるには、ある程度訓練が必要だともおっしゃっていたような記憶があります。その先生のその自信はどこからくるのか謎でありましたが、そのような子育てや育児からはどのような子どもになり、大人になっていくのか気になるところです。
    根拠のないものが日本の母子手帳の内容に影響を与えているということに疑問が生まれます。絶対の自信のある人の意見は強く、影響を受けてしまいそうになりますが、それで困る人が誰なのかということを考えていかなければなりませんね。

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