神話

最近、遺伝子検査が行われています。それは、生まれつきどのような病気になりやすいのかということを調べるのに多く使われますが、もし、事前に遺伝子操作ができるようになったとしたらどうでしょうか?かなり前のことですが、ワイアード誌の1998年1月号に、ある科学ジャーナリストが「子どもがどのような人間に育つのか、それを実際に左右する力は親がもつことになる」と書いていたそうです。そしてさらに「だが、親はすでにその力を、そのかなりの部分もっている」とつけ加えているそうです。もちろん、それは、遺伝子操作のことではなく、親が子どものいろいろなことに影響を与えているからです。それは、彼が、こう考えているからです。「親は子どもがどのような人間になるのかを左右する力をもっている。なぜなら親が子どもに環境を与えているからだ。」

この発言は、子どもは生まれつきというよりも、生まれた後の環境による影響が大きいということです。生まれつきなのか、その後の環境なのかは、以前のブログでも書きましたが、現在は、その両方が組み合わさっていると考えられているのです。子どもたちがどのような人間になるのか、それを決定する要因は二つ、「生まれ」すなわちその子がもって生まれた遺伝子、それと「育ち」すなわち親の育て方であるというのです。これは一般的な考え方でもあるし、心理学の専門家とも意見が一致しています。それに対して、誰も異議を唱えません。生まれと育ちが決め手であるというのです。生まれとは、親が子を授かることであり、それがどのような結果を迎えるかは、親の育て方次第だというのです。理想的な育て方をすれば、いくつもの遺伝子的なハンディキャップを補うことができますし、逆に育ちに欠ければ豊かな才能を台無しにしてしまいかねないのです。

こんな誰でも納得する考え方に、疑問を持ったのが、ジュディス・リッチ・ハリスです。もちろん、環境も遺伝子同様に重要であることは間違いありません。成長過程での経験は、生得性的に持ち合わせているもの同様に重要であることに変わりはありません。しかし、ハリスが考え方を変えたのは、「育ち」を「環境」の同義語とすることが問題の発端だったというのです。よく私が“そもそも”を考えるように、ハリスは、まず言葉の語源から考察しています。まず、“生まれ(nature)と育ち(nurture)”の「nurture」という言葉ですが、この言葉には深い意味と歴史があり、辞書的には「養う」とか「育てる」を意味するそうです。語源はnourish (育む、養う)やnurse (育てる、授乳する)と同しラテン語です。

「養育」を「環境」の同義語として扱うようになったのは、遺伝子以外で子どもの成長に影響を及ぼすのは親の育て方であるという仮説に基づいているからです。ハリスは、それを「子育て神話」と呼んでいます。彼女自身は、多くの研究がそうであったように、自身の子どもを二人育てた経験からこの神話がおかしいと思うようになったと言います。ダーウィンにしても、ピアジェもフレーベルもマルツォフにしても、自分の子どもの観察がきっかけです。

いろいろなことに神話があります。よく聞くのが、「三歳児神話」ですが、神話と呼ぶのには理由があります。それは、証拠を必要としないからです。ハリスは、「子育て神話」がそれ以上のものではなく、それが単なる仮説にすぎないことを示そうとしたのです。

神話” への9件のコメント

  1. 「生まれ」か「育ち」か、親である身としてとても興味深いテーマであると同時に、園にいる子どもたち、例えばあの子は、この子は、どうしてこのような子なのか、それはその子の性質なのか保護者の育て方なのか、そしてその子を保育はどのように育てていくことができるのか、その後どのような大人へとなっていくのか、尽きない疑問と課題の狭間に保育は常にあるように思えてきます。「ハリスは、「子育て神話」がそれ以上のものではなく、それが単なる仮説にすぎないことを示そうとしたのです。」動機は我が子を思う気持ちなのですね、読み進めていくことがとても楽しみです。

  2. 子どもへの影響力は「生まれ」なのか「育ち」が大きいのかというのは我が子をもつ以前から、何かあるたびに考えていたことですが、我が子をみていると同じように育ててきたつもりでも、全然違ってきていますね。当然といえば当然で自分は片付けてしまっていましたが、ハリス氏はそこも疑問をもち、〝「育ち」を「環境」の同義語とすることが問題の発端だった〟とありましたが、大人へと発達していく過程を大切なものと捉えていらからこその視点であるのかなと思います。
    始まりは子どもを思う親心のようなものであるんですね。

  3. 私が保育園勤めをするようになって以来、違和感を持ったことがいくつかあります。その一つが、「母子関係」というタームの頻出でした。私は父親のひとりです。「母子関係が大事だ」「母子関係のような保育を」ということを何度耳にしたことか。そのたびに、父親だって立派な養育者であり、父子関係が大事だし、父子関係のような保育があってもいいだろう、と思ったものです。それから、保育園は「大きな家庭」、と言われた時です。子ども時分に保育園に通っていました。私が生まれ育った家庭と異なり、当時も今も、学校みたいなところでした。家庭とは違うのです、良くても悪くても。ですから、保育園における保育が家庭的な保育、と言われたときは、どうしても首肯できなかった。それは今も変わりません。保育園や子ども園は、子どもにとっては、家庭とは異なる、別の世界なのです。だから、様々な可能性をその場において見出すことができるのだと思うのです。私は「環境」と「養育」は同じであると思ったことがありませんが、環境によってヒトは如何様にもその成長発達を遂げることができるとは思っています。ごはんさえ食わせてくれれば、子どもは育つ。しかし、より善く育つには、より善い人やより善い物的空間的条件が必要だと思うのです。

  4. “子どもは生まれつきというよりも、生まれた後の環境による影響が大きいということ”ということから、子どもには、様々な個性があるが、その個性がすべて、社会という枠組みのなかで、活用できるわけではない。そこを大人が理解した上で、子ども自身の発達を見極め、必要なスキルを身に付けることができるような経験をすることで、その積み重なった経験が社会で生きていくなかで、適応力として表れるといった考えをもつことができ、そうした環境が子どもを取り巻く環境として私たちが考えなければということを感じさせられます。子どもがそれぞれもつ性質は、「生まれ」か「育ち」という問いには、例え、どんなに同じ環境で育ちを経たとしても、皆が同じになるわけはなく、生まれもったものが左右されながら、発達していくことを考えることができます。

  5. 「親は子どもがどのような人間になるのかを左右する力をもっている。なぜなら親が子どもに環境を与えているからだ。」とありました。正にその通りだと思いましたし、深い一文だなとも感じました。子どもは生まれつきというよりも、生まれた後の環境による影響が大きいともありましたが、両方が組み合わさったりと相互作用することがうかがえます。この誰でも納得する考え方に、疑問を持ったハリスという方がいるとありました。ここで感じるのが切り口と言いますか、疑問を呈していくことが何事にもできるんだろうなということを感じました。そうすることでより深まる印象もありますし、こういう立ち位置、ポジションの人の存在もまた大切であるように感じまいした。

  6. 「生まれ」すなわちその子がもって生まれた遺伝子、それと「育ち」すなわち親の育て方」というのは確かに納得がいくことだと思いますね。しかしそこにそもそもという考えに近い考えで疑うというか考え直すというのは大事なことのように思います。実際に自分に子どもができて想像していたものと全く違う生活を送っていると考えが変わります。また経験してみないとわからないことな世の中にはたくさんあることをより知りました。知っておや?と疑問に思うことから考え直すことでまた世界が広がります。

  7. 結果的に私は良かったと思うことですが、藤森先生の講演やブログから多くの事を学んでいるので、神話というのを変に信じたことがないかもしれません。逆に、出会ってなければ3歳児神話、子育て神話を信じて、自分の子育てに影響を与えていたかもしれません。実際に子育てをしてみると、参考書などに書かれてある通りのこともあれば、全く違うこともあると思います。最終的には目の前にいる我が子をどう真摯に向き合うか、そこが大切のような気がします。

  8. 子どもがどのような人間になるのか、それには「生まれ」と「育ち」が組み合わさっているのですね。その話を聞くと、遺伝が全てを決定付けるという研究結果が出なくて良かったと思ってしまいます。子どもが育つ環境によって、「生まれ」にあたる部分がカバーできることは私たちが保育の質を高めようと努めることに意味があることを示してくれているように思います。保育が今よりもっと重視されるようなり、小学校や中学校へと子どもたがより良い環境で成長して行けるような社会が実現されるように、学びを深めていきたいです。

  9. 「神話と呼ぶのには理由があります。それは、証拠を必要としないからです」神話という呼び方にはそのような裏があったとは!とても納得させられました。今回のブログからは「そもそも」を辿る、考えることの重要性を教えていただきました。そもそもを考えることで物事の本質を考えることになるのですね。そして、「自身の子どもを二人育てた経験からこの神話がおかしいと思うようになったと言います」とあるように、自らが体験したことから得たことを大切にしているということも重要なことですね。知識だけではなく、理屈だけではなく、体験、感じたことに基づいて物事を考えていくことが大切になってくるのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です