発達心理学

私が最近考えていることの一つに、ヒトにおける育児とはどのような行為なのかということです。ヒトは、他の生き物同様、地球に誕生してから長い間遺伝子をつないできました。そのために育児という行為は必要でした。そして、赤ちゃんは育児をされながら成長していきました。それは、次に育児する側になるための成長ともいえます。ということは、育児の意図ははっきりしています。それは、学問で学んだわけでもありませんし、言い伝えられてきたことでもありません。しかし、それは容易なことではなかったでしょう。それは、その行為を妨げたであろう様々なことが襲ってきたでしょう。様々な災害、病気、戦い、飢え。生存を脅かすようなことが襲ってきます。それらを克服しながら、また、そのリスクを抱えながらも今日まで遺伝子をつないできました。

最近、それらの脅威を人間の知恵で乗り越えることができるようになりました。しかし、その代わりに遺伝子をつないでいくための障害が新たに表れ始めてきました。それは、精神的な問題です。精神的に育児が困難になり始めてきたのです。鬱などの精神的な病気だけでなく、育児に対する喜び、多くの子どもを育児するための環境、様々な楽しさの出現などから、育児の優先順位が下がってきた気がします。

未熟な人間がどのように成熟した大人へと成長するかが専門的に研究されるようになったのは比較的最近、1890年頃のことだそうです。しかも、初期の発達心理学者は子どもには関心をおいても、その親にはさほど注目しませんでした。フロイトの学説や行動主義が浸透する以前の発達心理学の本には、子どもの性格形成における親の影響の記載は無に等しいそうです。1934年に初版が出版されたフローレンス・グッドイナフによる有名な教科書『発達心理学』には親子関係をとり上げた章はなかったそうです。研究は子どもそのものに向かい、少年非行の要因を論ずるときでも、その本の中でグッドイナフは「環境の悪さ」が及ぼす作用について言及しているそうですが、それは都市部の中でも住居が「崩れかかり、荒廃している」場所、もしくは「酒場や賭博場が多い」場所を指しているだけだったそうです。親や地域の人という環境についてはどう思っていたのでしょうか?

ちょうど同時期にウィンスロップとルエラのケロッグ夫妻が、以前ブログでも紹介した霊長類を育てる実験を行ない、その結果を報告しています。その実験とは、グアと名づけたチンパンジーを自分たちの息子ドナルドと一緒に自宅で育て、可能なかぎり両者を同等に扱いました。ケロッグの著書には「環境」という単語が何度も登場しますが、その単語はグアが本来なら育つであろうジャングルや動物園と「文明的な環境」もしくは「人間環境」とを区別するために使用されているものでした。ある家庭と別の家庭とを明確に区別する意味で「環境」が使われることはありませんでした。

おそらく初期の発達心理学者の中でも最も影響力があったのはアーノルド・ゲゼルだろうとハリスは言います。ゲゼルもグッドイナフも、親は子どもをとり巻く環境の中では評価の対象でもなく、際立った特徴もない、画一的な存在としてとらえていました。ある一定の年齢までの子どもたちも同様に画一的だと考えていたようです。ゲゼルは「あなたの四歳児」や「あなたの七歳児」の扱い方をまるで「あなたのフォード車」や「あなたのスチュードベーカー車」の取り扱い方法のように説明しました。家庭とは子どもたちが夜になると帰宅するガレージのようなもので、そこはさしたる特徴もない付き添い人がいて子どもたちをきれいに洗浄し、ワックスをかけ、タンクをいっぱいにすると捉えていたそうです。

発達心理学” への1件のコメント

  1. 「それは、精神的な問題です。精神的に育児が困難になり始めてきたのです。」この指摘は衝撃的であり、そして何故かホッと肩の荷がおりるような気分にもさせる効力を持っているように感じられました。未熟な人間が子育てをしているのです、そこに葛藤や不安、悩みや迷いがないわけがなく、幾たびもの困難を乗り越えるだけの精神力が試されるかのような日々が続きます。子育て中の現代人は皆その最中にいると思って差し支えないように思われますが、しかし、それでもやはり子どもは可愛い。その可愛いさが原動力と言えるかもわかりませんね。子は宝、とは何とも意味深く、現代でこそ掘り下げるべき価値観と言えるのかもわからないと思いました。

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