動機付け

よく、内発的動機付けと外発的動機付けの例として出されるエピソードがあります。望ましい行動に近づくよう強化することによって新しい反応を生み出すことができるというものです。たとえば、おやつや褒め言葉といった「報酬」を与えることがどう作用するかということです。理論的には、友だちの怪我を手当てした子どもに報酬を与えることで医者を、また自転車から友たちが転げ落ちたとしてその自転車の製造元を訴えようとした子どもに報酬を与えることで、弁護士をこの世に送り出せることになるというものです。

しかし、ワトソンのリストで三番目に登場する芸術家はどうでしょうか。1970年代に行なわれた調査では、たんに飴やご褒美ンールといった報酬をあげるだけで子どもはよく絵を描くようになることがわかりました。ところが、その報酬は意外な結果をもたらした。報酬がもらえなくなると、子どもたちは途端に絵を描かなくなったのです。報酬をもらえなくなった途端にその子どもたちは、お絵かきでご褒美をもらうことのなかった子どもたちよりも、絵を描かなくなってしまったのです。この例は、外発的動機付けについて、短期的には効果があるが、長期的には、かえってその行為を以前よりしなくなるというもので、私が看護学校で教えていた時に、糖尿患者への食事の指導についての講義によく使いました。

しかし、その後の研究でこうした逆効果を及ぼすことなく報酬を施すことも可能であることがわかってきましたが、本来子どもとは一人一人違うものであり、報酬を施すタイミングや報酬の受け手の性格によっても徴妙に変わってくるため、結果を予測することは困難だということがわかったのです。

天才はその99パーセントが努力、1パーセントがインスビレーションであるといいます。行動主義ではその努力の部分にばかり注目し、インスビレーションなど眼中にありません。ハリスは、トム・ソーヤはスキナーよりも優秀な心理学者だったのではないかと言います。なぜならトムは友たちにフェンスのべンキ塗りをやらせておきながら、友たちの宝物を手に入れることができたのです。彼は友だちに仕事を押しつけることに成功したたけでなく、友だちに好んでその仕事を引き受けさせることをまんまとやってのけたのです。この話のこの部分のエピソードはそう考えると、心理学的ですね。

以前の実験で、ワトソンは本気で12名の健康な幼児を実験台にしようとしていたわけではないだろうとハリスは考えています。。彼女は、彼は、子どもは可鍛性に富む存在であり、才能や気質といった生得的な素質ではなく、彼らをとり巻く環境こそが運命を決定するという行動主義の基本的な考え方を大げさに表現したにすぎないのではないかと言うのです。こうした極端な言動は売名のためだったのではないか。ワトソンは自らを環境決定論の主唱者として社会に名を馳せようとしていたのではないか。

未熟な人間がどのように成熟した大人へと成長するかが専門的に研究されるようになったのは比較的最近、1890年頃のことだそうです。初期の発達心理学者は子どもには関心をおいても、その親にはさほど注目しませんでした。フロイトの学説や行動主義が浸透する以前の発達心理学の本には、子どもの性格形成における親の影響の記載は無に等しいそうです。

動機付け” への2件のコメント

  1. 道徳とは直観である、という学びを得たことは記憶に新しいところで、「天才はその99パーセントが努力、1パーセントがインスビレーション」であるとするならば、その1パーセントでもってヒトはヒトの道を歩いていると言えるのかもわかりません。話が逸れてしまいましたが、それ程にインスピレーションというものは尊く、むしろそれがその人の主体的な行動を決定させているのではないでしょうか。その湧き上がるものに他者の操作が入るとして、そんなにもすんなりと操作する側の思惑通りになるものなのだろうかと思ってしまいます。

  2. 〝天才はその99パーセントが努力、1パーセントがインスビレーション〟とあります。やはり、スポーツをしていて、天才に憧れた人間の一人として、この言葉に反応してしまいます。そして、その1%が大切なものであるように今回の内容から感じました。上の言葉は自分は「それだけ努力するように」的な意味でこれまでは聞いていたので、そのような意味で捉えるとまた違った言葉になりますね。
    しかし、インスピレーションのある人に憧れてしまいます。あるもので、環境の中からアイデアを出してどんどんと実行していくその姿は主体的に楽しんでいるように自分のの目には写ります。

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