融合

ある傾向、たとえば、青年男性の暴力が、進化的な考察をもとにすると「自然」であったとしても、その傾向が道徳的に「よい」とか必然的であるわけではありません。現代文化における子どもの発達についていえば、学校教育は「進化によるメカニズムが必ずしも適応的ではない」最たる例かもしれないとビョークランドは言っています。進化発達心理学の観点からすると、私たちの祖先が決して直面することのなかった課題を教えるという点で、学校で子どもに教えることの多くは「不自然」であるからです。そして、行動の「正常な」個人差、活動レベルの高い子どもが示す行動などであっても、現代の環境ではとりわけ不適応になってしまうものもあるのだと言うのです。

発達心理学は、進化論が主要な役割を果たした19世紀後半の生物学の考え方に端を発しているそうです。進化論は20世紀の大半にわたって主流の発達的な説明からは姿を消しましたが、主として、通常ヒトより下等な哺乳類や鳥といった種を研究した発達心理生物学者の考えの中で生き続けてきたそうです。進化論は復活し、学会でも、自然淘汰や進化による心理的メカニズム、大型類人猿との共通点についての考えを公言できるようになり、また真剣に受けとめられるようになりました。

発達心理学者はこの流れに少し乗り遅れていたと言います。その一因はこの分野の歴史と主題にあるとビョークランドは考えています。主流の進化心理学者は、一見して適切な環境的文脈が与えられた成人に現れる「ダーウイン的アルゴリズム」を論じていたため、発達を考慮する必要性はほとんどないように思えたのです。それは生物学的進化の有力な説明、つまり現代の総合説においても同じであり、基本的に個体発生が系統発生に影響を与える余地はないとされてきました。しかし、発達学者は新生得主義、行動遺伝学などの独自の理論を生み出し、また、進化における個体発生の役割に注目する者は、暗黙的あるいは明示的に進化に関する仮説を組み入れていきました。しかし、これらの理論家は必ずしも進化や個体発生の過程を同じように考えていたわけではなく、統一された発達理論は出てきそうにありませんでした。

時代思潮は変わり、個体発生の進化にもとづく理論の可能性を考える発達心理学者が増えつつあり、その一員であることをビョークランドは嬉しく思っていると言っています。そして、この考えは、発達を真剣に考えるすべての人に広がっていくことだろうと言うのです。現在重視されている発達の進化的な説明が次第に消えていくこともありえますがビョークランドらはそうならないと考えていると言います。実験を行い、理論を立てる上で進化を重視する研究者が多くなるにつれて、発達の説明における進化の役割は時間と共に必ずや変化していくだろうと言います。しかし、現代の生物学の基礎となっている理論は、現代の心理学や発達心理学の基礎にもなるはずであり、それがすぐに過去のものになってしまうことはないと信じていると言います。

ビョークランドは、もともと発達心理学者です。子どもが受精し出生して、大人になり、そして年を経て死に至ります。その過程での変化を強調するのが発達心理学です。それに対して、進化論に基づき、淘汰の過程を成熟個体が子孫を残すことを通して自らの遺伝子を伝えるところに求めるのが進化心理学です。その二つを融合しようとしたのが進化発達心理学です。それは、それぞれの主流の考え方には、あまりにも争点が多いからだと言います。今後もこのような融合された視点から育児、保育を考えていく必要があると思っています。