進化適応の環境

遊びによって運動と、自分の現在の環境に関する知識が得られ、社会的階層を確立し、コホートにおける「自分の立場」を学習するための安全な場として遊びは機能します。子ども期が長くなったことによって、子どもは複雑な成人の社会的集団における生活を学習し、準備をする時間を得ることができるのは明らかだと言います。しかし、生殖可能な成人として生きる助けとなる経験を子どもに与えたとしても、子どもが乳児期、子ども期をうまく乗り越えられなければ何の役にも立ちません。進化は子ども、そして他の種の幼体に、未来の環境に向けて準備するためだけではなく、その直接的な環境にうまく適応していくための多くの特徴を与えてきたとビョークランドらは、提起しています。また遊びの他にも新生児模倣や自分の能力の過大評価など、いくつかの社会、認知的な現象も、成人としての質的に異なる生活の準備をするためではなく、主として乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性があると彼らは考えています。

子どもらがとる行動には、そのような意味があるとしたら、唐突ですが、私は子どもが持つ愛着という行為も、同様だと考えます。愛着というものは、子どもたちが、将来、複雑な成人の社会的集団における生活のために必要なものであり、同時に、乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性があると思えるのです。

進化心理学の基本理念によれば、進化したのは領域固有の情報処理プログラムであり、私たちの祖先が進化適応の環境で繰り返し直面してきた比較的特殊な問題に対処するために淘汰されてきたと考えられます。心は広範囲の問題に等しく十分に応用できる多目的の装置ではなく、一連の独立し、特殊化したモジュールから成っているというのです。発達学者の視点からいえば、乳児はある情報を他のものより容易に処理し、学習するよう「準備」して生まれてきて、その準備は子ども期から青年期にわたって社会的、認知的発達をとげるための土台として役立ちます。モジュールは、とりわけ物理的な知識である物の永続性、数学、言心の理論について提起されてきたのです。

主流の進化心理学のいう領域固有のメカニズムの重要性について、ビョークランドらは基本的に同意していますが、次のようにも考えていると言います。つまり、ヒトには領域一般の能力があり、その能力は系統発生を経て淘汰されてきており、個体発生の過程で領域固有のメカニズムと相互作用するのであると考えます。当然ながら、単一の領域一般のメカニズムで、すべての学習や認知を説明できるとは考えていないと言います。しかし、多くの課題成績に影響を与えるいくつかの領域一般のメカニズムであるワーキングメモリ容量、処理速度があり、そのメカニズムが進化の過程で淘汰圧を受けたと彼らは提起しています。この提起は現存するデータを説明するように思われ、どのような進化心理学理論であれ、これを検討することなくして十分明確なものとはいえないと言うのです。

社会的、行動的、認知的傾向のなかには、先史時代の祖先に適応的であったというだけで、それが現代のヒトに適応的であるわけではないものもあります。同様にある傾向、たとえば、青年男性の暴力が、進化的な考察をもとにすると「自然」であったとしても、その傾向が道徳的に「よい」とか必然的であるわけではありません。

進化適応の環境” への7件のコメント

  1. 愛着というものが先生の言葉によって再解釈されるようなこの度の内容です。そう考えると愛着はもちろん必要不可欠なものであり、それと同時に、不特定多数の誰しもに抱く、築かせる、というような性質のものでないような気がしてきます。
    「社会的、行動的、認知的傾向のなかには、先史時代の祖先に適応的であったというだけで、それが現代のヒトに適応的であるわけではないものもあります。」心配や不安、といったものもそれに当たるかと考えます。これだけ物質的に豊かになってもそれがあるというのはヒトにとって必要なものなのだからなのでしょうが、その利用法をしっかり考えて用いるというような、心の在り方についてが現代の課題と言えるのかもわからないと思いました。

  2. 「愛着」って、一体なあに?に対する答え。「愛着というものは、子どもたちが、将来、複雑な成人の社会的集団における生活のために必要なものであり、同時に、乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性があると思える」。愛着は、大人のためではなく、子どもにおける情動と言ってもいいような気もします。愛着の主体は、大人ではなく、子どもということでしょう。このことは、とても重要な気がします。また、「主として乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性があると彼らは考えています。」とあるビョークランド博士らの見解にもしっかりと耳を傾けたいですね。大人への準備期ということだけではなく、いま、ここ、において存在適応を賭して乳幼児が生きている。生命が保持され、乳幼児が情緒の安定を得られている、と思うなら、その適応は可能になっていくのでしょう。「情緒の安定」は、子どもが落ち着いている、ということよりも、取り巻く環境に対してその子が適応可能なんだという視点が大切なのではないか、と思ったところです。

  3. 藤森先生の愛着に対する考えとして〝乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性がある〟ということで、そのように考えていくと、納得できる行動が普段の子ども姿から浮かびます。〝生殖可能な成人として生きる助けとなる経験を子どもに与えたとしても、子どもが乳児期、子ども期をうまく乗り越えられなければ何の役にも立ちません〟と書かれてある通り、本末転倒ということにならないように自分自身をコントロールしていると考えていくと、そこには、やはり主体性が見えてきます。

  4. 子どものとる行動には、必ず意味があることを考えることは、子どもが社会で過ごすなかで、どうすることが必要なのかを考えながら、そして、自分のたち場を知ることが社会的傾向のなかには存在しています。
    大人になるための準備ではなく、子ども期をよりよく生きるために行動したことが、大人になったときにつながっているこ考えることができます。また、”私は子どもが持つ愛着という行為も、同様だと考えます。愛着というものは、子どもたちが、将来、複雑な成人の社会的集団における生活のために必要なものであり、同時に、乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性がある”とあることには、愛着というものがいかに成長のなかでじゅうようなのかを感じます。こういった点からも子どもの頃に受ける愛着というものが、大人になったときにどう影響するかを深くする必要があると思います。

  5. 「子ども期が長くなったことによって、子どもは複雑な成人の社会的集団における生活を学習し、準備をする時間を得ることができるのは明らか」とありました。人類の選択は、全てに意味があり、発達が連続していくことにも繋がっていくようなことにも繋がるのかなとも感じました。また「愛着というものは、子どもたちが、将来、複雑な成人の社会的集団における生活のために必要なものであり、同時に、乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性がある」という藤森先生の愛着に対する視点から、愛着について再度考える機会をいただきました。愛着にそのような意味がある、可能性があるのですから、乳幼児期から複数の愛着対象の存在が必要であることも裏付けられるのかなとも感じました。

  6. 確かに、子ども期にベストな環境を用意したところで肝心な子ども達自身が環境に働きかけないと意味がありません。保育者が子ども達に環境を与えるだけでなく、子ども達が自ら環境に働きかけるように育てる事も重要なポイントですね。そうなるためには藤森先生が言われる「愛着」が重要になってきます。そもそも愛着というのも大人が主体ではなく、あくまでも子ども自身が主となった愛着であるならば、子どもが自分で愛着関係を見つけ、築き上げ、そしてようやく環境に働きかける事が可能であるという事を理解しておく必要があると思いました。

  7. 「愛着というものは、子どもたちが、将来、複雑な成人の社会的集団における生活のために必要なものであり、同時に、乳幼児が個体発生のある特定の時期に適応するために機能する可能性がある」とあります。愛着という意味の更なる知識へとつながっていきます。一概に愛着はと説明はできませんね。ただ、この愛着というのが乳幼児にとって必要なことであり、それが将来生きて行き、コミュニケーションをとる上で重要なこに繋がるというのがわかります。この愛着の新たな側面を知った思いです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です