ドイツ報告6

現在ミュンヘン市が取り組んでいるもうひとつは、Jugendparizipation(参画)です。一昨年ドイツを訪問した際に、市当局から説明を受けました。この参画という考え方は、ミュンヘン市が、1997年、子どもの権利条約の採択を受けて、市長はじめ、子どもに関するすべての行政職員、ボランティアみんなで検討して取り組むことに決めた課題です。

バイエルン州では、「バイエルン」という保育指針のような幼児教育が取り組む課題として、この「参画」が書かれることになり、デモクラシーについて、考えていこうということにしたのです。そして、この参画に取り組むようになった経緯としては、子どもにとって最も効果的な学びととは、子どもに興味関心を持たせることにあり、そこには個人によっての個性があるために、参画という考え方をすることになったと言います。

参画の例としてあげられているのは、例えば、食事について、子どもは誰と、どのくらい食べるのかを決める権利があるというようなこととか、どんな遊びをしたいか、新しい遊具を買うときにも、子どもたちによる投票によって決めます。また、買い物に行くときなどは、各グループから代表が選ばれ、彼らのよって提案されます。このような参画の内容については、それぞれの園によって子どもと一緒に、また保護者とも一緒に決め、均一はないと言います。そして、参画した結果何か問題が起きたとしたら、それはチャンスとして捉え、子どもたちに解決する力を付けます。

それを一歩進めて、2012年、子どもたちからの苦情を聞かなければならないという法律ができ、子どもたちにインタビューすることによるアンケートを採ることになったそうです。「子どもには、それぞれ権利があり、それを活かしてあげるプロセス」を持つものとして捉えますと言います。そこには、日本とは違う「平等」という考え方があります。平等とは、日本では分け与える平等ですが、ヨーロッパでは、権利の平等であり、それは必要なときに等しく受け取ることができる平等だと言います。そして、子どもは正義については、大人以上に厳しい行動を取ることがわかっていると言います。それは、平等についても子ども自身はわかっていると言います。

「参画」は、「ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なもの」として位置づけられています。それは、ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なものとし、ここの社会で、考えを深めながら過ごすため、子どもたちはいろいろな希望を持っていますが、様々な問題に直面するときに、どうすればいいのか?そんなときに道を自ら切り開いていく手伝いを保育者はしていきます。たとえば、状況を話し合ったり、子ども同士で意見交換をしたりします。トラブルにたいしても、和解だけでなく、解決策を見つけていくことが子どもにとっての民主主義なのです。たぶん、この延長線上に「オープン保育」があるのでしょうね。

私は最近、保育園は家庭の代わりから社会の代わりに役割を変えていくべきであると主張しています。特に、母子という二者関係からの保育から、社会的ネットワークの中での保育にすべきであると考えているのです。それは、特に3歳未満児に対してもそうあるべきであると思っています。それは、人類が長い進化の中でそのような子育てをしてきたということもありますが、もう一つ、これから社会に出ていく子どもたちにとって、社会の形成者としての資質を備えていかなければならないからです。そして、どのような社会を目指すというと、平和で民主的な社会です。ドイツが、まさにそれに取り組んでいるのです。

ドイツ報告6” への9件のコメント

  1. ドイツ・バイエルン州の就学前教育の先進性は私も目の当たりにしました。初めてミュンヘン市の園を見学した時、博士号を持つ先生が保育現場にいて子どもたちの様子や保育者の動きを観察していたことを思い出します。その観察は、我が国におけるネガティブ監査や点数化して保育環境を評価するものではなく、「子どもの権利条約」を批准している国ならではの「子どもの最善の利益」を保障する取り組みでした。そうした積み重ねの結果BEPが作成され、BEPに基づいて子どもの参画Partizipationが保障されようとしていることを今回のブログから読み取ることができます。平等の概念も日本のそれとは異なります。何よりも危惧されるのは、我が国における保育施設での二者関係の強固な維持継続です。特に3歳未満児保育にとっては「愛着」「愛着」と何だか耳障りです。仏教的には「愛着」はこだわり、よって煩悩、よって苦の原因なのに。先日受けた研修講師の某大学教授は「担当制」と「愛着」を保育実践において推奨していました。学者といわれる教授さんたちにはドイツが向かおうとしてる方向は関係ないのでしょうか。現場は大変な思いをしているのに。

  2. 「トラブルにたいしても、和解だけでなく、解決策を見つけていくことが子どもにとっての民主主義なのです。たぶん、この延長線上に「オープン保育」があるのでしょうね。」その土台たる社会制度や風土、子ども主体を徹底した保育姿勢が成せる保育の高みのような、そんな印象を改めて受けます。非常に興味深いのは、参画の例として挙げられる保育内容を実践している部分が多々ありながら、それを思い切り実践できない何か制約のようなものが日本にあるように感じられる点です。見守りたいのに見守れない何か、その何かが報告を読む中で浮かび上がってくるように思いました。

  3. 平等の考え方について日本とヨーロッパでは大きくその意味が異なり、日本では分配の平等で〝ヨーロッパでは、権利の平等であり、それは必要なときに等しく受け取ることができる平等〟であるということでした。その考え方でドイツが取り組んでいる「参画」を考えていくと、応答性を考えていくことになるのかと思いました。必要な時に必要な分だけの支援をしていくというものになってくるのだと思いました。
    そのようなことをしっかりおさえ、実践しているドイツ、それは社会の形成者を育成するためであり、それはドイツだけではないと思います。

  4. 今回の内容を読んでいると、改めて子どもという存在の位置付けが日本とは違うことを感じます。以前から参画について、藤森先生のお話からも聞いていましたが、何か、子どもがアイディアを出したときに、広げてあげることはできても、まだまだ、子どもからの参画に繋がるような会話がないのには、”「ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なもの」”という認識をもつことが大切なのだと感じました。
    そうすることで、”参画した結果何か問題が起きたとしたら、それはチャンスとして捉え、子どもたちに解決する力を付けます。”とあることのようなという思考が中心となる保育が展開できるように思います。

  5. 「日本とは違う『平等』という考え方があります。平等とは、日本では分け与える平等ですが、ヨーロッパでは、権利の平等であり、それは必要なときに等しく受け取ることができる平等」と捉え方の違いがありましたが、それは子ども像も然りだと感じました。また「保育園は家庭の代わりから社会の代わりに役割を変えていくべきである」という藤森先生の主張の言い回しがとても参考になりました。昔と今とでは、社会のあり方が変わったことに伴い、家庭構成も変わってきていることを考えれば、保育園のあり方もそれに伴って柔軟に変わっていかなければなりませんね。その良い手本がドイツ。見習えるところから見習っていきたいものです。

  6. 全ての文章がドイツの保育、そして考えかたの根本を見直せる内容であり、なんだか満腹感を覚える内容に感じます。その中で「子どもにとって最も効果的な学びととは、子どもに興味関心を持たせることにあり…」というのは指針ではそう書かれていますが、まだまだ実践に移している園というのは少ないのかなとも感じます。「参画」という考えはやはり見守る保育に似ているのように感じます。権利の平等というのも印象的でその実践というのが見守る保育であるように思います。

  7. 去年のドイツ報告から参画は聞いていましたが、何度聞いても自分たちの保育の見直しにも繋がる印象です。問題を自分たちで解決することから、自分で道を切り開いていけるように手伝う事が保育者の役割という言葉が印象的です。藤森先生が保育は社会的ネットワークの中にあるべきと言われているように、子ども達も社会の一員としての素質を兼ね揃えて行かなければいけません。そう思うと、乳幼児期には何を身につける必要があるのか?ミュンヘンのように国全体で見つめ直す必要があると思いました。

  8. 「参画」について、まだまだ勉強不足ですが、3・4・5歳児の保育ではいろんな場面で「参画」につながる子どもたちの様子が見られるように感じます。先日、わらす組の”帰りのお集まり”で、すいすいの女の子が「ダンスをみんなの前で踊りたい」ということで、リーダーの先生が「やらせてみよう」と、必要なものを用意してあげ、あとは子どもに任せました。3歳児もいる中で、全員が話を聞いてくれず、お集まりとしてはグダグダになりましたが、その中でも、二人のやることをサポートしようと周りに静かにするように呼びかけたり、何かしようとしているから、我慢して座って聞くような姿があったり、自分たちでなんとかお集まりを成立させようとする姿が見られました。私も初めての展開で、自分の思っている以上に、子どもたちはできるんだと気づかされました。こうした、子ども発信の出来事は普段の生活の中でたくさんありますが、保育士としてのアプローチの仕方をこれからさらに身に着けていかなければと感じた場面でした。

  9. 日本とヨーロッパにおける平等の概念の違い。日本もよく理解すればヨーロッパの平等の概念を理解できるのでしょうが、まだ大半は分け与えるという方の概念を正しいと感じているでしょうね。こうした違いはこれから日本が時間をかけて修正していかねばならない課題の一つですね。私の中で今回、「保育園は家庭の代わりから社会の代わりに役割を変えていくべきである」という言葉が印象的でした。最近、先生のお話を聞きに伺えていない中で、こうしたワードはものすごく考えさせられるものがあります。

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