ドイツ報告3

では、「オープン園」とはどのような保育でしょうか?

「オープン保育」とは、子どもたちからすると、簡単に言うと、「園の中はどこに行って遊んでもいい」ということのようです。先生側から言うと、自分が分担するクラスはありますが、基本的には園の子どもすべての担任という意識です。職員全体で園全体の子どもたちを保育し、「私のクラス」、「僕の担任の先生」という概念がなく、「私たちの園」、「私たちの先生」、職員から見れば「私たちの園児」というとらえ方です。核になるコンセプトは、すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること。子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保証する場とされます。その中で、子どもの発するシグナルを重視し、子どもの欲求や子ども自身がすでに内に秘めているそれぞれの’陶冶プラン’ を見出すことが、先生の役割と捉えます。徹底した自由保育です。

また、オープン保育に対応する保育は学級王国ということで、各学級それぞれの部屋にコーナーが設置されていましたが、オープン保育では、各部屋がコーナーになっているということです。自分が属しているクラスへは、朝のお集まりの時と昼食の時に集まります。後の時間はどこに行っても構いません。そこで保育者は、そのために今どの部屋にいるのかを掲示してあります。

オープン保育での考え方は、生後9週から6歳までで、子どもへの「見守り」かたは、子どもの遊びから子どもの意図を読み取り、それを後押しします。そのときに、保育者は子ども一人一人を尊重し、その子の個性、意志、特性、強みを理解した上で好きな遊びを選択させます。そして、子どもたちへの遊びの紹介をし、好きなところを、次第に言葉で表現し、選択できるように支援していくことです。基本的には、子どもたちはその階であればどこに行ってもいいですし、何をしてもいいのですが、特別に支援が必要な子にたいしては、ある部分設定保育を行ないます。それは、特別に養護保育者が派遣されてきて支援に当たります。

オープン保育についても子どもを信じます。子どもたちに大人から何を学ばせよう、習得させようという意図はないと断言します。ただし、食事や昼寝などの生活は除くと言います。そんほか、子どもたちは自由に開かれたスペースを動き回ります。ただし、移動の際には先生とコミュニケートするようです。特に階をこえての移動は伝えるようです。トラブルが発生したときには、大人が介入することはしません。そこでの経験が学びになるからです。ただし、そのトラブルの原因が、遊具が少ないというような場合などは、きちんと子どもたちにフィードバックするために、民主主義として子どもたちからの意見を聞くことをします。

子どもたちは、ゆったりとした1日の流れの中で、子どもたち自身がまだ気づいていない特性を保育者は見たり、観察したりします。しかし、ある流れに大人が引っ張って行かないように注意します。

ドイツでは、0歳児から異年齢ですので、日本のような特定の人とのかかわりは見られません。それは、最近の子ども観によるもので、モノトロピーから社会ネットワーク論への意向を示しているのです。

ドイツ報告3” への9件のコメント

  1. 夢のような保育展開というのでしょうか、保育の究極形態というようなイメージが膨らみます。頭の中にある保育像というものを更新していくことの必要性を感じると同時に、初めて見守る保育と出会った時の感動に似た感情が湧いてくるような、そんな心地です。高き山の頂上、されどどこから登ってもその頂上は一つであるとすれば、そのような視点でこの度の報告を読み進めてしまいます。

  2. 「すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること。子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保証する場」が「オープン保育園」のコンセプト。「学級王国」と「オープン保育」。前者が保育者主導であるなら後者は子ども主体、という感じがします。私はヨーロッパのいくつかの国を訪問して就学前施設を見学したことがあります。紹介されているドイツ・ミュンヘンにも行きました。そしてその施設で働く保育者が養成課程で如何なるプロセスを経てきているかを少し覗き見ることができました。「保育者主導」でクラス運営をしなければならないと思われるほどのスキル力の高さを彼らの中に感じましたし、そのための養成課程である、と認識できます。しかし、保育者主導の養成課程も昔の過程となりつつあるのでしょう。これからの時代を意識すると、その養成課程においてこそ、子どもの主体性とは何か、ということを軸にしたトレーニングが今後ますます要請されてくることでしょう。日本は遅れている、というより逆行していると思えて仕方がないところを強く感じる今日この頃です。日本における養成校、養成課程とは一体誰のためにあるのでしょうか。

  3. 〝すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること。子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保証する場〟とあり、オープン保育となると、子どもたちの把握などどうしているのかなどなど気になることはありますが、ドイツの人たちからすると、そんなことよりもまずは子どもたち優先といった感じなのでしょうね。前回コメントでも書きました「どこに重きを置くのか」ということがはっきりと明示してあるドイツでは、子どもたちがどのような形態がベストなのかという課題に真摯に向き合い、突き詰めていける環境が整っていることを感じます。

  4. 子ども達を信じ、そして、尊重することができるこそ、オープン保育という形で保育ができる、子ども主体である保育の基本には、人格者としての接し方が、スタンダードであるからこそ、食事や昼寝などの生活以外は、子どもたちの自発的な部分が存在されているんだと思いました。そのことが”徹底した自由保育”といいような由縁だと感じることができました。この徹底さということを追求するためには、子どものもつ特性理解が重要であることが感じたところです。

  5. 「オープン保育」の展開は、子どもたちにとっても学び多く、とても充実した遊びにつながりそうです。子どもたちからすると、私たちの先生であり、職員からすると私たちの園児であるという捉え方は、見守る保育に通ずるところがあるように思いました。そのうえで、職員同士の連携やコミュニケーションをとることの大切さも理解できます。実際に、「オープン保育」を見たことがないので自分の目で見て、雰囲気を感じてみたいと思いました。

  6. 「園の中はどこに行って遊んでもいい」というオープン保育にドイツで出会ったときの衝撃を今でも鮮明に覚えています。こういった保証も有りなのかと、自分の視野の狭さにも気付けました。さらには「私のクラス」、「僕の担任の先生」という概念がなく、「私たちの園」、「私たちの先生」、職員から見れば「私たちの園児」という捉え方は、オープン保育を実施していない園でもそうあるべきだと思います。愛着の考え方が「特定」から「複数」に変わってきている経緯と同様で、さらには乳幼児期だからこそ、より多くの刺激や気付きが得られるようにするためには、このオープン保育の概念がとても勉強になります。

  7. 「職員全体で園全体の子どもたちを保育し」とあり、やはり現在している我々の保育に似ているのですね。クラス編成はあれど職員の意識としては根底には職員全体で園の子どもたちを見るという感覚です。オープン園という実践は非常に魅力的ですね。細かい部分を現場目線から伺いたい部分もありますが、なんとなくではありますがイメージできるというのは同じような保育をしているからなのですかね。「すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること。子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保証する場」というのはより子どもを知らなければなりませんね。

  8. 見守る保育がドイツと全く考え方が同じということで、ドイツ研修が始まったきっかけと聞きましたが、今回のオープン保育の考え方を聞くと、見守る保育の方が先に進んでいるような印象を受けます。「すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること」という言葉は響きますね。しかし、心地ち良く過ごせる場所という表現をの捉え方によっては間違った解釈をしてしまう可能性がある気がします。特に日本ではこの文章を読むと、多くの保育者はどう捉えるのか気になります。そう思うと、まだまだドイツの方が「子ども観」という視点では日本よりも進んでいるのかもしれません。

  9. 「園の中はどこに行って遊んでもいい」という保育の形は、理想の保育の形ですね。子どもたちはこうした環境の中で多くを学び、経験していき、また保育者も子どもたちの様々な面を見つけていく。こうした保育に対する意識は、その意識を持っているか、そうでないかで大きな違いが生まれますね。環境面というを様々な問題もありますが、まずはこうした意識をしっかりと、園全体で共有していきたいと思います。

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