ドイツ報告2

ドイツで「オープン園」が広がる背景にはこのような事情があります。

70年代の西ドイツにおいて考案された「オープン」という概念は、障害児童特別措置に疑問をもつインクルージョン派と子どもの身体づくり推進派が統合して発展してきました。それにより「オープン園」の目指すところが、わけ隔てなくすべての子どもを受け入れることとされ、関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教育を体現する場所とされました。この子どもの参画に軸足を置く考え方は、1989年に国連総会で「子どもの権利条約」が採択されたことによります。

また、バイエルン州に「オープン園」が広がる主な要因として、2003年に制定された陶冶保育プラン(バイエルンBEP)の影響が大きいようです。2000年に実施されたOECDの学習到達度調査(PISA)において、ドイツの結果は振いませんでした。低迷する学力にもましてドイツの教育専門家にとってショックだったのは、家庭の経済格差に比例して子どもの学力の差が歴然としている点でした。この結果を受けて乳幼児の重要性が再認識され、幼児教育政策へのてこ入れが加速したのです。

ドイツは連邦制のため、国としての大枠があるにしても州ごとに保育政策、保育要綱が異なる。バイエルン州ミュンヘン市にはドイツで唯一の州立乳幼児教育研究所(IFP)があり、最先端の乳幼児教育の実践を誇っています。さらに言えば、乳幼児教育を越えた学校教育にももっとも力を入れている州の一つとされています。そのバイエルンでさえ、2003年にはじめて保育要綱である陶冶保育プランが発行されたのです。そして、出来上がったBEPは、ドイツの中でも優れたものと認知されています。

その中で最初に定義され大切にされているのは、「子ども観」です。子どもは学ぼうとする姿勢を生まれもっていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されており、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像が確立されています。

また、社会の変化に伴いシングルマザーや共働き家族の増加、移民や難民の流入など、さまざまな形の援助が不可欠となってきました。そのため、多種多様なバックグラウンドをもつ子どもたちをそのままで受け入れることのできる園が求められるようになりました。さらに、スピードや効率が評価される社会環境や学歴社会などを超え、複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重視されるようになってきました。

子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も培うことができる保育形態が、「オープン園」であるのだと考えられました。「オープン園」は、現在の社会が理想とする子ども像のための陶冶に適していると評価されています。

このような背景から「オープン園」がドイツで広まっていますが、その広がりを支えているのがドイツならではの風土のようです。それは、遊びを大切な学びの機会と捉えている点です。遊びの重要性については、BEPでも重ねて指摘されています。従来のように先生が前に立って指導する保育方法と違って、「オープン園」には、子どもが自由に選び遊ぶ時間が十分あります。先生によって計画、指導される保育ももちろん必要ですが、ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています。BEPの中にも自由に遊ぶ中で、さまざまな生きる力を身につけていく理論的裏付けや、実例が記載されています。

ドイツ報告2” への9件のコメント

  1. 「その広がりを支えているのがドイツならではの風土のようです。それは、遊びを大切な学びの機会と捉えている点です。」遊ぶことを悪いことのように思い込まされてきたのは、古くから伝わる日本の風習からきているように思えてきます。それは、遊ぶことこそ学びの本質であり、進歩や進化を促すものであることを過去のトップの人たちは知っていて、その地位に留まりたいが為にそれをさせない風潮や制度で取り締まったのではないかと愚考します。今、その刷り込みから脱却し、新しい時代を築き上げる時がきていることを感じます。好きなことを好きなだけ遊ぶこと、それを認めること、許すこと、もう一つ上の段階に歩みを進める時期なのかもわかりません。

  2. 私が「オープン保育園」の発想に共感できるのは、自分が子ども時分、自分や友達との関わりの中で、大人の制約を最小限にして、遊びそして学んできたからだ、と振り返ることができたからだと思いました。私たちは所与の環境のもと、自ら育ちゆく存在です。生存に必要な諸条件が保障され、その上で、私たちの力が引き出される環境にあれば、自らの才能を自分自身で育み開花させていくことができると思っています。もちろん、知らないことは他人から教わり、できないことは他人にやってもらう。そうして、私たちは成長していく。ドイツの保育者の専門性に触れ思ったことは、専門家とは、本質を意識しながら必要な諸条件を整備できる人たち、ということでした。その専門性が認知されず、ただただ雇用継続のために処遇改善の程度を期待しているような国の保育者とは土台のところで異なる。環境を整備して、子どもがその園舎内ならどこにいてもよい、という就学前施設を創りたいものです。

  3. 国が何をもって変わらなければならないと感じるのか、今回のブログを通して感じたことは、こうすることが子どもという存在が社会の一員であり、人格をもった形成者であることを重要視し、それに対する子ども観を共通にもつことが子どもにとってのよりよい環境であり、それがのちに学力だとか国としてあるべき姿になっていくように考えられました。また、オープン園が広がる背景にある”関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教育を体現する場所”ドイツが取り組まれ、それに近年はさらに力をいれていることを知り、子どものあるべき姿を背景にあり、それが核としと捉えているからこそ、この考えが生まれているのであれば、国をあげた子ども観の統一化をもっと取り組む必要性を感じます。

  4. 〝子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も培うことができる保育形態が、「オープン園」である〟とありました。思えば自分が学生の頃を考えると、受けたくもない授業よりも休み時間や放課後の部活といった時間の方が「生きていくための学び」は多かったように思います。ですので「どこに重きを置くのか」ということになるのだと思います。たくさんの知識や受験のための勉強をするのであればそれに見合うスタイルがあるのだ思います。ドイツではどこに重きを置いたのかというと上記抜粋の部分であり、それを養うことのできるのがオープン保育の形態になるということだと思いました。
    そして〝子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであること〟どんなスタイルでの保育であっても大切なことだと感じました。

  5. “「オープン園」がドイツで広まっていますが、その広がりを支えているのがドイツならではの風土のようです。それは、遊びを大切な学びの機会と捉えている点です。”ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています”とあるように、改めて子どもたちは遊びを通して学ぶ存在であるということを再確認できました。そして、そのための「オープン園」であったり、環境の大切さであったりとても勉強になります。保育の中で、どうしたらもっと子どもたちが遊びこめるか、遊びが展開していくか考えることは難しいですが、楽しさも感じています。
    ドイツ報告を通して、そのヒントが見つけられたらと思います。

  6. ドイツにおいて有名な陶冶保育プラン。その生まれた背景を知ると、より考えが深まりますね。「守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある」という子ども観。日本では言葉ではすこしずつ見かけるようになってきましたが、まだまだ学ぶべきことが数多くありますね。ドイツが抱える移民や難民の問題。日本ではとても考えられないようなことでもありますが、今回の「オープン保育」の概念は子どもだけではなく、ドイツの保育界全体の困難を乗り越える力ともなっているのでしょうね。

  7. 毎度のことながら「オープン園」が広がる背景など、その取り組みの背景には感銘を受けますし、その取り組みが必要であると察知したところから、その最善を見極め、実行へと移す過程がスムーズでとても効率的であるように感じました。また「子どもは学ぼうとする姿勢を生まれもっていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されており、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像が確立されている」とありました。この子ども像が日本でも早く周知されることを願ってしまいますし、これが周知され、当たり前となれば日本にとって、次世代を担う子どもたちにとって、より良い形になっていくのではないかと思えてきます。

  8. 「遊びを大切な学びの機会と捉えている点です」というドイツの風土というのはまず、根本から日本と異なった点なのかもしれないですね。しかし、日本の伝統的な遊びというのも学びの一つであったように思います。そう考えると根本から日本とは異なったというべきではないのかもしれないと書きながら思います。オープン園という自由に遊ぶ時間とありますが、日本人が聞くと放任のようなイメージになりかねないのでしょうね。これから報告が楽しみです。

  9. 「子どもは学ぼうとする姿勢を生まれもっていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されており、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像」と書かれてある「子ども観」はとても大切な観点です。藤森先生の講演でも新しい子ども観」について話されていますが、私達はもちろん、日本全体で意識しなければいけない感覚だと思います。まだまだ日本の子ども観はドイツとは正反対のような気がします。こうしたドイツ報告を読む度に、日本が子どもに対する政策はもちろん、教育は後進的なんだろうと残念に思いますが、それと同時に私たちの役割が明確になってきている気もします。

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