ドイツ報告6

現在ミュンヘン市が取り組んでいるもうひとつは、Jugendparizipation(参画)です。一昨年ドイツを訪問した際に、市当局から説明を受けました。この参画という考え方は、ミュンヘン市が、1997年、子どもの権利条約の採択を受けて、市長はじめ、子どもに関するすべての行政職員、ボランティアみんなで検討して取り組むことに決めた課題です。

バイエルン州では、「バイエルン」という保育指針のような幼児教育が取り組む課題として、この「参画」が書かれることになり、デモクラシーについて、考えていこうということにしたのです。そして、この参画に取り組むようになった経緯としては、子どもにとって最も効果的な学びととは、子どもに興味関心を持たせることにあり、そこには個人によっての個性があるために、参画という考え方をすることになったと言います。

参画の例としてあげられているのは、例えば、食事について、子どもは誰と、どのくらい食べるのかを決める権利があるというようなこととか、どんな遊びをしたいか、新しい遊具を買うときにも、子どもたちによる投票によって決めます。また、買い物に行くときなどは、各グループから代表が選ばれ、彼らのよって提案されます。このような参画の内容については、それぞれの園によって子どもと一緒に、また保護者とも一緒に決め、均一はないと言います。そして、参画した結果何か問題が起きたとしたら、それはチャンスとして捉え、子どもたちに解決する力を付けます。

それを一歩進めて、2012年、子どもたちからの苦情を聞かなければならないという法律ができ、子どもたちにインタビューすることによるアンケートを採ることになったそうです。「子どもには、それぞれ権利があり、それを活かしてあげるプロセス」を持つものとして捉えますと言います。そこには、日本とは違う「平等」という考え方があります。平等とは、日本では分け与える平等ですが、ヨーロッパでは、権利の平等であり、それは必要なときに等しく受け取ることができる平等だと言います。そして、子どもは正義については、大人以上に厳しい行動を取ることがわかっていると言います。それは、平等についても子ども自身はわかっていると言います。

「参画」は、「ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なもの」として位置づけられています。それは、ここで過ごす子どもたちにとって、最も大切なものとし、ここの社会で、考えを深めながら過ごすため、子どもたちはいろいろな希望を持っていますが、様々な問題に直面するときに、どうすればいいのか?そんなときに道を自ら切り開いていく手伝いを保育者はしていきます。たとえば、状況を話し合ったり、子ども同士で意見交換をしたりします。トラブルにたいしても、和解だけでなく、解決策を見つけていくことが子どもにとっての民主主義なのです。たぶん、この延長線上に「オープン保育」があるのでしょうね。

私は最近、保育園は家庭の代わりから社会の代わりに役割を変えていくべきであると主張しています。特に、母子という二者関係からの保育から、社会的ネットワークの中での保育にすべきであると考えているのです。それは、特に3歳未満児に対してもそうあるべきであると思っています。それは、人類が長い進化の中でそのような子育てをしてきたということもありますが、もう一つ、これから社会に出ていく子どもたちにとって、社会の形成者としての資質を備えていかなければならないからです。そして、どのような社会を目指すというと、平和で民主的な社会です。ドイツが、まさにそれに取り組んでいるのです。

ドイツ報告5

幼稚園で始まったオープン保育の試みは、学童の改革に及びます。幼稚園だけでなく、学童とタッグを組んでの「オープン園」へと移行していきます。まず、学童の部屋の模様替えが行われました。子どもの意見も取り入れながらの変化だったため、ゆっくりと様子を見ながらゆるやかに変化していったそうですが、最終的には、おやつやランチを食べるビストロ(食堂)、積み木の部屋、サッカーゲームの部屋、図書室、製作室、木工室、音楽室、宿題をする部屋と役割別の部屋割となっていったそうです。この学童のオープン園化に伴い、幼稚園のオープン園化も一歩前進していきます。給食は、年少児と一部年中児が教室でとり、年長児と一部年中児はビストロにてビュッフェ形式でとります。ビストロには、学校が早く終わった一年生らが順々に合流してくる形となるので、学童児との交流も増えることとなります。

さらに幼稚園児にとって利点となるのは、学童児のいない午前中の学童の部屋を自由に使うことができることです。ちなみに、ドイツの小学生は日によって下校時間が11時20分のときもあるので、早いときは子どもの学童への登園は11時半です。クラスがオープンになる以前は、児童がいない11時半より前の時間帯には、学童のスペースは全く使用されていませんでした。

「オープン園」に関する職員研修は、3年間を通して終日研修が4日間、閉園後の2時間研修が15回ほど行われたそうです。終日研修では、ミュンヘン市学校スポーツ局の担当専門職員が講師として研修を担当したそうです。その中で大切だったのは、最初の研修において職員一人一人の子ども観について丁寧にすり合わせがなされたことだったそうです。子ども像に対する一致した認識を確認する作業に時間をかけたそうです。そして、子どもの権利という観点から保育の見直しを行い、徐々に無理のない範囲での変化を遂げていったのです。最初は、過半数が園のオープン化に懐疑的であり、一番憂慮されたのは、「子どもと先生とのつながりが弱くなってしまうのではないか?」「年少児がとまどうのではないか?」という点だったそうです。その考えが徐々に改まっていったそうです。子どもたちの表情や、活動への取り組み姿勢が目に見えてポジティブに変わってきたことに気づいたからだそうです。

特に変わったのが、一斉保育において消極的な立場の子どもたちだったそうです。特に彼らにおいて、遊びの選択肢、遊び相手の選択肢、かかわる先生の選択肢などが広がることにより、園がより心地よい場所に変わっていることが実感できたそうです。この気づきにより、前述した子どもと先生との絆が弱まる可能性は、実は子どもの側からの問題ではなく、先生側の視点だったこということを理解したそうです。先生の「子どもとつながっていたい」という気持ちや、「子どもの行動のすべてを把握しているのがいい先生である」という考え方にしばられていたことに気づいたのです。

子どもの視点にたった自発的で無理のない学びが尊重され、長期的で、人格形成の基礎となる遊びの体験に基づいた陶冶が大切とされるドイツ。子どもの願いに寄り添おうと、よりよい保育環境をミュンヘンでは模索していると言います。

ドイツ報告4

どの国でも同じですが、いくらいいと言っても、どの園においても円満な「オープン園」への移行が行われたということはありえません。程度の差はあっても、さまざまな障害や困難、職員同士のぶつかり合いが待ち受けていたそうです。以前のドイツの園では、ひとクラス複数担任制で3歳から6歳の異年齢児25名を常時2人の先生でみていました。しかし、ドイツの幼稚園の開園時間は午前7時から午後5時までであるため、クラス担当の先生は、3名ないし4名でのシフト制をとっています。当時クラス活動は、ほとんどドアが閉鎖された状態でなされており保育内容についてはクラス内の担任同士で相談し、分担しあっていました。遠足についてはクラス単位での活動が主で、一例としては、ひとクラス全員で動物園に遠足に行き、別のクラスは川遊びに行くという具合だったそうです。2つのクラスが一緒に遊ぶ機会は、庭で遊ぶ時のみでした。

このクラス別活動形態が徐々に変わってきました。「オープン園」に移行する決断を園長が下し、職員全体での「オープン園」移行へ向けての研修を行います。オープンスタイルにスムーズに移行するためには、まず大人側の発想の転換が必須だからです。従来の保育方法に慣れている先生たちは、最初は「すべての子どもを把握するなど不可能」という反応を示したそうです。さらに次々と露呈してくる疑問や困難を職員全体で乗り越える協力体制を作っていかなければなりません。

まず、注目したのは、がらんとしていた廊下スペースです。庭だけではなく、廊下が両クラスの子どもたちが出会う場所となるように、左右に積み木ゾーンと、読書コーナーを作りました。次に改革したのは担任制のとりやめでした。先生の持ち場と持ち時間は週案により、月曜日に決めることにしました。さらにその際に、それぞれの先生の持ち寄る保育内容についても話し合います。毎朝全員の子どもたちが「朝のお集まり」として多目的室に集合します。その最後に数名の担当の先生がその日の設定保育について紹介します。この時に製作や、体操に内容が偏らないように、予め各自の保育内容を月曜日に申告しておきます。毎日複数の設定保育が提案できるように調整されているのです。

朝のお集まり時に設定保育を紹介された子どもたちは、自分のしたい製作や、遊びを選んで、担当の先生とともに、場所を移動することとなります。遠足やお散歩については、希望者のみでの移動となり保護者に対して個別の連絡など煩雑になることも多いのですが、あくまで子どもの希望に応じて実行されます。

園での大人の動線が軌道に乗ってきた頃、今度は子どもたち全員が園内で自由に動きまわれるようになります。自由遊び時間には、子どもたちは、幼稚園内であれば、どこで誰とどのぐらい遊んでもいいのです。この変化に伴って、クラスのドアは常に開かれた状態となりました。

さらなる改革は、保育室の模様替えです。従来は、ごっこ遊び、お絵かき製作、ボードゲームなどのそれぞれのコーナーが各保育室に配置されていましたが、子どもたちの動きを観察して、二つの部屋に同じ目的のゾーンは不必要であることが明らかになってきました。そのため一方の部屋には、ごっこ遊びとボードゲームコーナーを、もう一方には製作コーナー、ごろごろゆっくり過ごすコーナーと、それぞれの部屋に特徴をもたせることにしました。

ここまでの改革には数年かかったそうです。

ドイツ報告3

では、「オープン園」とはどのような保育でしょうか?

「オープン保育」とは、子どもたちからすると、簡単に言うと、「園の中はどこに行って遊んでもいい」ということのようです。先生側から言うと、自分が分担するクラスはありますが、基本的には園の子どもすべての担任という意識です。職員全体で園全体の子どもたちを保育し、「私のクラス」、「僕の担任の先生」という概念がなく、「私たちの園」、「私たちの先生」、職員から見れば「私たちの園児」というとらえ方です。核になるコンセプトは、すべての子どもたちが心地よく過ごせる場所であること。子どもたちは、どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や、参画を保証する場とされます。その中で、子どもの発するシグナルを重視し、子どもの欲求や子ども自身がすでに内に秘めているそれぞれの’陶冶プラン’ を見出すことが、先生の役割と捉えます。徹底した自由保育です。

また、オープン保育に対応する保育は学級王国ということで、各学級それぞれの部屋にコーナーが設置されていましたが、オープン保育では、各部屋がコーナーになっているということです。自分が属しているクラスへは、朝のお集まりの時と昼食の時に集まります。後の時間はどこに行っても構いません。そこで保育者は、そのために今どの部屋にいるのかを掲示してあります。

オープン保育での考え方は、生後9週から6歳までで、子どもへの「見守り」かたは、子どもの遊びから子どもの意図を読み取り、それを後押しします。そのときに、保育者は子ども一人一人を尊重し、その子の個性、意志、特性、強みを理解した上で好きな遊びを選択させます。そして、子どもたちへの遊びの紹介をし、好きなところを、次第に言葉で表現し、選択できるように支援していくことです。基本的には、子どもたちはその階であればどこに行ってもいいですし、何をしてもいいのですが、特別に支援が必要な子にたいしては、ある部分設定保育を行ないます。それは、特別に養護保育者が派遣されてきて支援に当たります。

オープン保育についても子どもを信じます。子どもたちに大人から何を学ばせよう、習得させようという意図はないと断言します。ただし、食事や昼寝などの生活は除くと言います。そんほか、子どもたちは自由に開かれたスペースを動き回ります。ただし、移動の際には先生とコミュニケートするようです。特に階をこえての移動は伝えるようです。トラブルが発生したときには、大人が介入することはしません。そこでの経験が学びになるからです。ただし、そのトラブルの原因が、遊具が少ないというような場合などは、きちんと子どもたちにフィードバックするために、民主主義として子どもたちからの意見を聞くことをします。

子どもたちは、ゆったりとした1日の流れの中で、子どもたち自身がまだ気づいていない特性を保育者は見たり、観察したりします。しかし、ある流れに大人が引っ張って行かないように注意します。

ドイツでは、0歳児から異年齢ですので、日本のような特定の人とのかかわりは見られません。それは、最近の子ども観によるもので、モノトロピーから社会ネットワーク論への意向を示しているのです。

ドイツ報告2

ドイツで「オープン園」が広がる背景にはこのような事情があります。

70年代の西ドイツにおいて考案された「オープン」という概念は、障害児童特別措置に疑問をもつインクルージョン派と子どもの身体づくり推進派が統合して発展してきました。それにより「オープン園」の目指すところが、わけ隔てなくすべての子どもを受け入れることとされ、関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教育を体現する場所とされました。この子どもの参画に軸足を置く考え方は、1989年に国連総会で「子どもの権利条約」が採択されたことによります。

また、バイエルン州に「オープン園」が広がる主な要因として、2003年に制定された陶冶保育プラン(バイエルンBEP)の影響が大きいようです。2000年に実施されたOECDの学習到達度調査(PISA)において、ドイツの結果は振いませんでした。低迷する学力にもましてドイツの教育専門家にとってショックだったのは、家庭の経済格差に比例して子どもの学力の差が歴然としている点でした。この結果を受けて乳幼児の重要性が再認識され、幼児教育政策へのてこ入れが加速したのです。

ドイツは連邦制のため、国としての大枠があるにしても州ごとに保育政策、保育要綱が異なる。バイエルン州ミュンヘン市にはドイツで唯一の州立乳幼児教育研究所(IFP)があり、最先端の乳幼児教育の実践を誇っています。さらに言えば、乳幼児教育を越えた学校教育にももっとも力を入れている州の一つとされています。そのバイエルンでさえ、2003年にはじめて保育要綱である陶冶保育プランが発行されたのです。そして、出来上がったBEPは、ドイツの中でも優れたものと認知されています。

その中で最初に定義され大切にされているのは、「子ども観」です。子どもは学ぼうとする姿勢を生まれもっていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されており、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像が確立されています。

また、社会の変化に伴いシングルマザーや共働き家族の増加、移民や難民の流入など、さまざまな形の援助が不可欠となってきました。そのため、多種多様なバックグラウンドをもつ子どもたちをそのままで受け入れることのできる園が求められるようになりました。さらに、スピードや効率が評価される社会環境や学歴社会などを超え、複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重視されるようになってきました。

子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も培うことができる保育形態が、「オープン園」であるのだと考えられました。「オープン園」は、現在の社会が理想とする子ども像のための陶冶に適していると評価されています。

このような背景から「オープン園」がドイツで広まっていますが、その広がりを支えているのがドイツならではの風土のようです。それは、遊びを大切な学びの機会と捉えている点です。遊びの重要性については、BEPでも重ねて指摘されています。従来のように先生が前に立って指導する保育方法と違って、「オープン園」には、子どもが自由に選び遊ぶ時間が十分あります。先生によって計画、指導される保育ももちろん必要ですが、ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています。BEPの中にも自由に遊ぶ中で、さまざまな生きる力を身につけていく理論的裏付けや、実例が記載されています。

ドイツ報告1

人類は、南アフリカで誕生し、世界中に拡散していきました。それは偉大な旅、グレートジャーニーと呼ばれています。その旅先で気に入ったところで定住していきます。そして、その地域で住むためにその地域の気候、風土、その地域に生息する生物に応じて適応していきます。そして、進化をしていきます。その進化は、自らの身体だけでなく、能力、使う道具も進化させていきます。この道具の進化は、大きい集団で暮らしていたホモサピエンスの生存戦略としてとても有効的だったと、先日のNHKの人類の誕生という番組中で取り上げていました。

ヒトは地域によって、自分たちの民族を形成していき、それぞれの文化を築いていきます。そして、自分たちの遺伝子を子孫に残していきます。その営みが育児であり保育であったのなら、地域によってその方法、その考え方は違ってきます。しかし、世界中の民族の笑顔が変わらないように、赤ちゃんの発達は基本的には世界中あまり差はありません。地域によって、その大地の危険性によって若干ハイハイから立ち上がるまでの時期に差はあるものの、ハイハイをしないで立ち上がることはしません。これは考えると不思議なことです。誰に教わることなく、また昔は情報の共有もほとんどありませんでした。他の生物と違って、生息地域も限定されず、世界中に散らばっているだけでなく、赤ちゃんの発達は、世界中が共通している部分が多くあるのです。したがって、その発達を促す育児も、それほど差はありません。

明日から、今年のドイツツアーが始まります。毎年、新たな発見があります。今年はどのような変化があるでしょうか?以前、ブログでも紹介しましたが、最近オープン保育という取り組みを始めています。日本では愛着を含め、二者関係から論じることが多い中、担任王国から子どもたちを開放し、複数の保育者みんなで子どもたちを見ていこうというものです。この内容は繰り返しにはなりますが、私が現在発行に向けて進めている本の中で、海外の保育という中で、ドイツの保育を紹介しています。今年のドイツ報告の前に、もう一度復習してみます。

オープン園へと変化するドイツ・バイエルン州の保育についての背景があります。それは、ドイツで、こんな事がありました。2000年に経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査、いわゆるピサの学力調査において、社会階層による学力格差が大きい国であることが示されました。そこで政府は、就学前段階での教育的側面をより重視することにしたのです。ドイツでは、子どもの学びは「遊び」を通して行なわれるということはぶれずにきちんと抑えています。さあ、就学前教育をしましょう、何かをわからせたり、できるようにさせましょうということではなく、どのように子どもの遊びを豊かなものとし、それを自発的に行なわせようということが徹底されています。その結果が「オープン保育」という形態に次第に各園が変わり始めているのです。同時に、あらためて子どもの権利条約を批准したことに対する具他的な取組みを考えようということで、「参画」という取組みを始めているのです。

新たな試み

保育に欠かせないものとして「心理学」があります。心理学とは簡単に言うと心と行動の学問であると言われ、ウィキベデアには、「心理学の主な流れは、実験心理学の創設、精神分析学、行動主義心理学、人間性心理学、認知心理学、社会心理学、発達心理学である。また差異心理学は人格や知能、性などを統計的に研究する。」とあります。その流れの中で、保育は子どもの発達を援助する行為のために、発達心理学を学ぶ必要が言われていました。そのために保育者養成校や保育士試験には発達心理学という学問がありました。

発達心理学を学ぶ意義には次のようなことが言われています。保育という仕事は、様々な年代の子ども達の保育を担当するために、子どもたちの発達状況に応じた心理的特徴を理論として身に着けておくことで、日々の保育の場面で、適切な対応をとることができるからと言います。そして、感情の表現の仕方や、論理的な思考の深さなども日に日に変わっていく子どもたちを正しく導くためにも必要であると言います。

一方、保育には、子どもの心の発達だけでなく、身体的な発達、病気や精神的な病気や発達障害も学ぶ必要があります。それが「精神保健」です。保育士試験にはこの科目もありました。平成24年度からは発達心理学と精神保健の二つを「保育の心理学」として一つにしました。さらに、保育は子どもの集団における独特な心理学もあるのではないかということで新しく保育の心理学にした経緯もあると聞いたことがありましたが、どうも子ども集団はなかなか研究対象になりにくく、単純に発達心理学と精神保健を一緒にしただけというイメージがあります。もう少し、子ども集団としての心理学を研究していってほしいと思っています。

また、最近の研究では、保育は単に目の前にいる子どもの発達を見るだけでなく、人類という大きな視点からどのようにヒトは生存し、遺伝子を残し、進化してきたのか、という観点から子どもの心理、行動を考えるということから、進化論と心理学の両面から育児、子どもを考えようということから進化発達心理学が生まれています。さらに、今後の学問として求められるものとして、様々な知見、既知の知識を組み合わせて新たな知見を生み出していく必要性も言われています。私は、特に保育という行為は、ヒトを相手にするために、より総合的な知識が必要だと思っています。多くの研究者たちは、様々な分野において研究をしてきました。それは、ヒトが生きてきた営みを、切り口を変えて研究をしてきたのだと思います。すなわち、ヒトの生活を切り分けて考えてきたのです。そこで、保育という仕事は、それぞれ切り分けられた分野からの研究を今度は一つに集めて、考えていかなければならないと思っています。

私は、今年の11月をめどに本を出版しようと準備を進めています。それは、切り分けて研究されてきたヒトの生存についての研究を結び付けていくという趣旨があります。この本の最初のほうの目次は、「1.人類の進化から考える保育」「2.人類学から考える保育」「3.民俗学から考える保育」「4.脳科学から考える保育」「5.住居学から考える保育」「6.社会学から考える保育」と続いた後にそれらを踏まえて「7.心理学の見直し」があり、様々な視点からもう一度保育を考えていこうとしています。

上海報告11

豫園から少し歩くと川べりに出ることがわかりました。大雨でしたが、せっかくなので、そこに行って上海タワーを見ようということになりました。上海タワーは、2016年に完工した中国で一番高い超高層ビルで、ドバイのブルジュハリファ(高さはなんと828m)に次ぐ世界第2位の高さを誇ります。ですから、大雨のこの夜は、たぶん雲に隠れて見えないだろうとは思いましたが足をびしょびしょにしながら川をめがけて歩きました。

上海タワーの延床面積は433954平方メートルで階数は128階、最頂部高さ632m、構造物の高さ580mです。(塔も含む建造物全体では、2m高い東京スカイツリーに次ぐ3番目の高さです。)2008年11月29日に着工し、2016年3月12日に上海タワーとして正式に完工しました。 設計は、いくつもの国内外の設計団体たちによりコンペが行われ、アメリカのSOM建築設計事務所、アメリカKPF建築士事務所及び上海現代建築設計グループ等が設計に携わりました。最後は、アメリカのGensler建築設計事務所の“龍型”のビル案と、イギリスのフォスター建築事務所の“尖頂型”が残りましたが、審査の結果、“龍型”のビル案に決定しました。上海タワーの外見はギターのピックのような形で、高くなるに従って、一層ごとに1度近く曲がります。この様な設計は風圧を削減できます。

川のほとりに着きました。この川は、黄浦江(こうほこう)と言い、上海市内を流れる、長さ97kmの川です。下流の呉淞口で長江に合流し、東シナ海に注ぎ込んでいます。川幅は平均400mほどですので、対岸はかなり向こうの方に見えます。着いたところは、川沿いに整備された公園で、普段は多くの人でにぎわっているようですが、私たちが行った夜は大雨でしたので、他人は誰もいませんでした。川向うには様々な形をした高層ビル群が見えます。実は私は以前上海を訪れた時、この公園から対岸を眺めました。対岸には、すでに高層ビル群が並んでいたのですが、その中で特別に目立っていたのが、上海のランドマークにもなっている、東方明珠電視塔でした。この塔は字の通り上海テレビ塔で、高さ467.9mで、スカイツリーが完成するまでは、アジア一位の高さを誇っていたそうです。

今回、川の向こうの方に雲に見え隠れしながら上海タワーを見ることができました。ちなみに、中山さんと邨橋君は次の日に上ってみたそうです。今回、そのビルというよりも、ネオンで鮮やかに彩られた川下りクルーズ船を見ることができました。船内からは、楽しそうな声が聞こえてきます。この「黄浦江クルーズ」は、外灘と浦東の観光ポイントを一度に眺められるので観光客に大人気のようで、この日は大雨でしたが、夜景観賞のために、多くの乗船客が桟橋に並んでいました。ほぼ1時間かけて川を一周するそうですが、3時間というクルーズもあるそうです。

その後タクシーで宿泊先のホテルまで帰ろうとしたのですが、なかなか拾えず、ちょうど近くにホテルがあったので、そのフロントでタクシーを呼んでもらって、無事にホテルに戻ることができました。

次の日の午前中、私は二人に見送られて羽田に向かいました。とてもエキサイティングな上海講演でした。

上海報告10

講演が終わった翌日には、私は朝一番で帰国しなければなりませんので、(それは、決して猛烈サラリーマンのようにアクティブということではなく、中国東方航空上海発羽田行きがその時間にしかないため)今回観光は全くできそうもないので、講演の後、夕食を食べがてら少し観光しようということになりました。最悪、かなりの大雨でしたが、ホテルからタクシーで「豫園」というところに向かいました。ここは、上海市にある明代の庭園で、観光スポットになっていますし、この庭園の周辺は、ショッピングエリアになっています。

「豫」は愉を示しているそうで、「豫園」というのは「楽しい園」という意味になります。ここにはいろいろな歴史がありますが、現在は、西園の約半分を庭園として残りの部分が豫園商城となっています。この豫園商城も上海を代表する観光スポットの一つで、買い物&グルメスポットです。ここは観光スポットですが、多くの人たちは基本的には国内の人がほとんどで、海外からの観光客は少なかった気がします。そして、その建物はお土産物屋にしては、伝統建築様式の小さな店が並んでいます。この店の中に、スターバックスがあったのですが、伝統的なしつらえでした。また、豫園商城の道も、豫園新路、豫園老街、文昌路、凝暉路などのメインストリートと、それらをつなぐ細い路地から成っていて、活気があふれていました。

このあたりをブラブルしていると次第に暗くなり始め、どこかで夕食を食べようという話になりました。せっかくなので、上海焼きそばを食べてみようという観点で店を探しました。そこで、観光の書籍に掲載されている店を見つけ、そこに入りました。まず、頼んだのは、もちろん上海焼きそばです。私の住んでいる地域に、上海焼きそばと広東焼きそばがあるのですが、上海焼きそばは随分と違ったものでした。

あと問題なのが、試しに頼んだ上海ガニです。出てきた上海ガニを口にした途端、あまりに甲羅、足が固くて歯で砕くこともできません。どう食べるのかを見せの人に聞いてみたのです。すると、なんと「わからないので上の人に聞いてきます。」と言うのです。待っていると、上の人が出てきて、手で食べるというのです。それも自信なさげに言うので、「えっ?」という顔をしていると、ビニール手袋を数枚持ってきました。これを手にはめて食べるといいというのです。店の人が去ったあと、しばらく格闘しましたが、ほとんど中身がなく、甲羅もバリバリ食べるには硬く、基本的には下の方に餅があったので、かには単にダシ取りではないかということになりましたが、ちょっと心が不消化でした。

上海報告9

上海での私の講演は、4月23日「自然教育と食育フォーラム」のなかで、午前9:30〜11:00の時間帯でした。まず、会場であるFreesoul幼稚園での実践報告を動画で見せてもらいました。この園は、モンテッソーリ教育を行っていますが、実際にローマにある子どもの家に研修に職員が行ったりしているだけあって、子どもたちの活動は、その理論通りにきちんとしていました。食育ということなので食事の前のテーブルクロスを敷いたり、食器を並べたり、そのセッチングの場面は見事でした。きちんと決められた方法でテーブルクロスを広げ、敷くときには、角に刺しゅうされたマークを机の角に合わせ、静かに淡々と準備をしていきます。その手順の正確さは、まさにロボットがやっているようでした。

そして、私が話した後、立川にあるふじ幼稚園の園長先生である加藤さんが自分の園の食育についての実践を発表しました。ふじ幼稚園は、その建物を含めて世界では非常に有名な園です。よく、世界から見学に来る団体は、私の園とセットで見学に行くことが多くあり、加藤さんは、中国では何十回も講演をしているそうです。保育内容としては、緩やかなモンテッソーリ教育で、食育内容としては、日本の伝統的食事の話をされました。個人的には加藤さんと私はかなり以前から懇意で、私の環境セミナーにも参加されたことがあります。

すべての講演が終わった時点で、もう一度舞台に呼ばれ、表彰式がありました。なんだか、表彰式というのはなじめないのですが、こんな賞状を頂きました。

そして、昼食を頂きました。園の給食をメインにして、1品だけ足したそうです。とてもおいしくいただきました。食事が終わったころ、主催者である中国教育国際交流協会の副代表という人が来て、7月に北京で国内園長対象の講演をしてもらえないかと言ってきました。私の講演に感動してくれたそうです。この講演会には、他に日本からは日比野設計さんが講演をするそうですが、随分と多くの人が招待されているようです。この協会は、中国教育国際交流協会は、1981年7月に設立され、中国の教育界における非政府的な外国教育協力と交流を行う国家組織で、本部は北京にあります。随分と、世界からいろいろと学ぼうとしているのですね。

そのあと、せっかくなので、会場である幼稚園を案内してもらうことにしました。「ヨーロッパの古典建築と自然の組み合わせは、宮殿風の宮殿様式の子どもの家」という紹介文にある通りの限界に驚いたのですが、園内はもっとびっくりしました。

まず、ベランダに出て見せてもらったのが園庭です。目の前一面、森が広がっています。そして、プールです。まさに、宮殿の中のプールで水は温水のようです。そして帰りにお土産をもらったのですが、その部屋が職員室でした。私たちが行く前に、職員さんたちがお茶を飲んでいました。

肝心の保育室ですが、正統派モンテッソーリ教育を行っているだけあって、教具がきちんと並べられ、素晴らしい環境でした。中国の格差を見た気がしました。