ファンタジー遊び

場によって、物を使った遊びをする時間に劇的な差があることからも、さまざまな状況における子どもたちの行動を記述する重要性が指摘されています。就学前施設以外の場における子どもの研究の要請は今に始まったことではありませんが、ビョークランドはもう一度確認をしています。遊びや他の行動の役割を、個体や種の発達において理解しようとするなら、そのような記述情報は欠かせないと言います。ある活動における、コストの測度としての時間とエネルギー消費は、考えられる機能、あるいは利益を実証するために必要な第一歩だと言うのです。この点からいうと、行動は利益がコストを上回ったときに機能的となります。

つぎに、ファンタジー遊びについてです。ファンタジー遊びや象徴遊び、ふり遊びは幼児期の遊びの典型です。ファンタジーには、行為や物や仲間をあたかも別の物やことであるかのように見たてることが含まれます。よくあるのがお母さんや消防士、お医者さんなど、わかりやすい役割を演じるものです。たいてい、遊んでいる本人はファンタジーによって現実とは異なる立場をとり、役割を演じる一環として場面の心的表象を用いています。園では、ごっこゾーンとして、その役割が演じられるようなものを用意します。

共通して認められているファンタジーの構成要素としては、脱文脈化された、一連の行為の連続からなる、自己と他者関係、物と役割の代替などがあると言われています。脱文脈かというのは、ある行為パターンや道具をその機能的な文脈の外で用いることを指します。たとえば、攻撃的行為を攻撃的ではない文脈で用いることができるというようなことです。脱文脈化した行為は、さまざまな長さの遊びへと連続的に結合されていきます。たとえば、人形に食べ物を与えて、次に揺り動かしたり、遊びを開始するといった遊びの表情を見せてから遊びでかみついたりします。自己と他者関係によって、一人遊びから社会的遊びへと移っていきます。最後に、物と役割の代替により、物や遊ぶ者が他の物や役割をとります。たとえば、人形を赤ん坊として用いたり、それは物の代替です。また、優位な個体が従属者の役割を引き受けたり、それはセルフハンディキャッピングという役割の代替であり、これらをすることができます。動物の遊びに関する文献では、セルフハンディキャッピングは立場逆転の一形式として扱われているそうです。

では、このようなファンタジー遊びは、ホモ・サピエンスに限られるのでしょうか?この疑問に対して、グロースは、ファンタジー遊びは多くの種で起こると主張しましたが、最近の学者たちはファンタジー遊びはヒトに限られると主張しているそうです。つまり、社会的な遊びや物を使った遊び、身体を動かす遊ひとは異なり、ファンタジー遊びには「系統発生的な不連続性」があると考えられているからです。ファンタジー遊びはヒトに限られるという考えは、ファンタジー遊びには「メタ表象」が必要であるという仮定にもとづいています。メタ表象には、自分がふり遊びをしていることを子どもが認識していて、ふり状況が心的に表象されていることを自覚している必要があります。ファンタジーをこのように自覚するようになったとき、子どもは心がさまざまな方法で世界を表象することにも気づいています。これが心の理論をもつと言われるときであり、誤信念課題に正しく答えられることからわかると言います。