遊びの機能

ビョークランドが指摘しているように、研究には実験室での実験だけに限界があります。しかし、これらの限界を議論したからといって、物を使った遊びが重要ではないということではありません。イモを洗ったり、シロアリ釣りをしたりするヒト以外の霊長類の研究のように、自然の生息環境における研究から動物は新しく創造的な方法で道具を用い、遊びによって物を柔軟に扱う機会が得られることが示唆されているのです。そのため、研究計画はこのような柔軟性を支持する十分な機会を提供するものでなければならないとビョークランドは言います。たとえば、比較的なじみのある状況で繰り返し観察することで、子どもがさまざまな課題で能力を発揮しやすくなるはずだからです。彼の指摘している通りの状況である、「比較的なじみのある状況で繰り返し観察することができる」のは、私たちの現場である園なのです。そのために、私たちは、日々の子ども観察からの研究が非常に重要になってくるのです。

大半の哺乳類の子どもは遊びますが、生活史の観点からすると、ヒトはどんな大型動物よりも子どもとして過ごす時間が長いのです。実際、遊びによって生活史との関連から未成熟期の特徴を定義すれば、ヒトでは生殖期、そしておそらく老齢期まで未成熟期は伸びることになります。遊びは一見して「目的がない」という特徴がありますが、動物の遊びの理論家もヒトの遊びの理論家も、遊びにはたしかに機能がおそらく無数にあるという考えで一致しています。遊びの機能のなかにはたとえば、運動や、子ども期における社会的関係の確立と維持といった即時的な機能もあります。また、危険のない文脈で成人役割を練習するといった遅延機能もあります。遊びは、若者が身の回りの物理的、社会的世界を探索し、そうしている間に神経回路を修正する方法として役立ちます。2つの狩猟採集集団に関するプラートン・ジョーンズの比較研究に示されているように、これらの傾向は地域経済に付随する状況の中に埋め込まれていると言います。他の研究者たちと同様に、ビョークランドらも遊びは哺乳類の進化の過程で淘汰圧を受けてきたと考えていると言います。ヒトの遊びが長期間に及ぶのは、ヒトの子どもには学習すべきことが山ほどあり、その学習に長時間が必要であると同時に、最終的な成人役割を習得するためには安全な環境が必要であることによるというのです。この観点は、人間としての意味としてとても重要ですね。仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進し、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるだろうと言うのです。

ヒトは、未成熟期が長いと言うのは、ある意味で遊びが長期間に及ぶことであり、それは、遊ぶことから学習することに長時間必要だからです。その遊びからの学習は、仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進するからであり、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるからだと言うのです。この子どもにとって人生における大切な時期に携わっている私たちは、そのことをもっと認識すべきでしょう。さらに、この時期における将来社会で生きていくための学習は、まさに「遊び」なのです。

遊びの機能” への8件のコメント

  1. 「ヒトは、未成熟期が長いと言うのは、ある意味で遊びが長期間に及ぶことであり、それは、遊ぶことから学習することに長時間必要だからです。」遊ぶように仕事をする、ゲームのように仕事を楽しんでいる姿はまるで未成熟期の延長線上にいるかのようで、だからこそその中から多くのことを学習し、反映し、また前へと進んでいくことができるのかもわかりませんね。大きく言えばヒトはどこまでいっても未熟な生き物なのかもしれず、だからこそ成長を求められるのかもわかりません。遊ぶように、楽しむことで成長の速度が上がるのであれば、それぞれの立場でその環境について考えて実行していくことが最善であるように思いました。

  2. 〝ヒトはどんな大型動物よりも子どもとして過ごす時間が長い〟とあり、その理由として〝ヒトの子どもには学習すべきことが山ほどあり、その学習に長時間が必要であると同時に、最終的な成人役割を習得するためには安全な環境が必要である〟とありました。ヒトに生殖機能が衰えた後の老年期があるのにも理由があり、「なるほど」と思いましたが、子ども期が長いことの理由にも同じように「なるほど」と思えます。
    さらに〝ヒトでは生殖期、そしておそらく老齢期まで未成熟期は伸びる〟とあり、ヒトはほぼ一生遊びながら学んでいく生き物であるのかもしれませんね。
    そのように考えていくと、楽しむことが学びを深めるものだとするなら、楽しい人生、楽しくなる人生を送ることが、人としての学びを深めることにつながるのだと思いました。それと同時に、ヒトは生きているうちは学びがある素晴らしい生き物であるように感じました。

  3. ヒトは社会的存在である、という古代から言い伝えられてきた格言信者であり、遊び人の私としては、今回のブログ内容、何とも心強い支え、となりました。「遊びからの学習は、仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進する」とあります。遊びは一人で遊んでいても楽しいのですが、気の合う仲間で遊ぶともっと楽しいものになります。子どもに「遊んでばかりいて・・・」と怒鳴りつける大人は、おそらく、「・・・」部分を子どもにやらせたいがために、「・・・」部分と同価値を有する「遊び」を引き合いに出すのでしょう。要するに、遊びはヒトとしての有様に深く関係するのだ、ということなのですが・・・。わかったような、わからないような解釈をして楽しんでいます。「比較的なじみのある状況で繰り返し観察することができる」のは、私たちの現場である園なのです。そのために、私たちは、日々の子ども観察からの研究が非常に重要になってくるのです。」この部分はとても大切ですね。「見守る」の「見る」とはまさにこのことと深く関わってくると思います。

  4. “「比較的なじみのある状況で繰り返し観察することができる」”という言葉から、私たちは、集団のなかでの繰り返される環境のなかで、子どもの姿を観察することができる、そのなかで、感じられる姿というものと人類がもつ自然淘汰のなかで残ってきた遺伝子的な要素も含めて、考えることが必要性があることを感じています。また、文章を読んでいくと、改めて遊びを通しての成長ということがわかります。人は未成熟期が長いともあり、だからこそ、学ぶべきことが山ほどある、遊びを通した学びには、教えることではなく、集団のなかで多様な人が共に生活するなかで学び会うことができることが”遊び”ととらえることができます。私、自身も未成熟期だからこそ、楽しみながら、学び、仕事、生活をしていることを改めて考えることができます

  5. 「比較的なじみのある状況で繰り返し観察することができるのは、私たちの現場である園なのです」とありました。正にその通りですし、さらに最後には「この子どもにとって人生における大切な時期に携わっている私たちは、そのことをもっと認識すべきでしょう」とありました。この2つは私たちはしっかり認識しておく必要がありますし、むしろ専門性、責務の部分でもあるなと感じました。
    「生活史の観点からすると、ヒトはどんな大型動物よりも子どもとして過ごす時間が長い」というのは、藤森先生の講演の際に「脳を大きくするために二足歩行になり、その代償で産道が狭くなってしまい…」というお話に自分の中でつながりました。未熟な時期に胎外で過ごしていくことにも意味があるといいますか、だからこそ得られるものがあるのかなとも感じました。

  6. 「仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進し、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるだろう」とあり、「遊び」というのが未成熟期が長い人にとって大きな役割があるということが伺えます。自分の人生を振り返ったときにやはり、遊んでいるときになるほどなどと生きるために必要なことを学んでいたのかなーとぼんやりと思います。男としての在り方なども自然とそこで知ったのですね。様々な影響というのはあると思いますが、遊びからの視点だと何か新鮮さを感じます。

  7. 子どもにとって「遊び」という存在がこんなにも偉大なモノかと感じたブログです。ここまでのブログを読まなければ、子どもにとっての遊びは一見すると目的がなく、ただ子どもにしたら楽しい時間という感覚で捉えていたかもしれません。しかし子ども達が将来社会に出て生きていく能力は、社会人になってからでもなく、学生の時でもなく、今が一番重要な時期であり、それには「遊び」が必要なんですね。その遊びを少しでも充実させる事、様々な体験ができるように遊びの環境をしっかりと用意する必要があり、さらには日々の活動の中から研究していくことが大切です。

  8. 子どもにとっての遊びがいかに重要であるかということを感じる内容でした。『遊びは一見して「目的がない」という特徴がありますが、動物の遊びの理論家もヒトの遊びの理論家も、遊びにはたしかに機能がおそらく無数にあるという考えで一致しています』というのも印象的でした。遊ぶことが目的であり、そこから様々な方向に力が伸びていくそんなイメージを持ちました。「仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進し、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるだろうと言うのです」というのも印象的でした。このような力を遊びながら、園という集団の中で学んでいるということを私たちはもっと理解し、それを伝えていかなければいけませんね。そして、乳幼児期に育つ力をはっきりとさせたものが10の姿であるということも改めて納得したように感じました。

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