遅延的利益

ティンバーゲンは、行動の意味の理解に不可欠な、4つの問いを提唱したことは随分と前になりますが、紹介しました。その古典的な問いは、「その行動によって生物にもたらされる即時的利益は何か?」「その行動によって生物にもたらされる即時的結果は何か?」「その行動は種の中でどのように発達するのか?」「その行動は、種としてどのように進化してきたのか?」であり、これらの問いに答えるには、発達的視点が不可欠であるとしています。この古典的な「4つの間い」に従うと、機能には社会科学と行動科学において、少なくとも2つの意味があるとビョークランドは言っています。究極的には、機能はその種にとっての生物学的適応の進化の歴史という点から定義することができるというのです。それは、何世代にもわたって、主として個体がうまく生存し繁殖することを高めるようある行動が付加されてきたなら、その行動はこの「究極的な」意味で機能的であるからです。

淘汰に関する進化の歴史には関係なく、どんな個体にとっても生涯の間に有益な結果が生じるという点から機能を定義することもできると言います。したがって、この意味の機能は個々の遊ぶ者の生涯に生じる成果のことなのです。利益は子どもの頃にすぐさま生じるかもしれないし、大人になるまで遅延するかもしれません。たとえば、社会的な身体的遊びは仲間集団との交友という点で、即時的な価値をもつでしょう。あるいは、遅延的利益をもたらし、後に社会的な合図を符号化し、解読できるようになる能力と関連しているかもしれないのです。

ケイガンによると、ピアジェやヴィゴツキーも含めて大半の発達理論家は、遊びの利益は子ども期ではなく、後の発達でどのような価値があるかという点から理解されると主張しています。彼らの主張は、とても重要なことを示唆していると私は思います。なぜならば、子どもの行動、行為は、これから先の人生において、意味あるものとして準備期であるからです。保育所保育指針にも、「子どもが現在を最も良く生き」るのは、「望ましい未来をつくり出す力の基礎を培うために」です。以前のブログで、ビョークランドが愛着について考察しているところで、最近の愛着に関する知見では、愛着システムは、乳児の生存を促すことに加えて、個体がその後の環境に適応するために進化してきたという説明がされているそうです。現在、情緒が安定する、しないだけでなく、その後の環境に適応するためにそのシステムを進化させてきたというのです。それが、遅延的利益というのでしょう。

ケイガンは、遅延的利益という考え方は、発達心理学者がヒトの発達における初期経験の重要性にとらわれていることに原因があるのではないかと指摘しています。この考え方では、遊びは後に成人としての機能を果たすための準備として役立つと言うのです。そのため、遊びは成人行動の不完全版と見なされてしまうのです。先に述べたように、遊びにおける性差は、男児と女児がそれぞれ成人して担うと考えられる異なる役割を果たすための準備として解釈されることが多いのです。

べイトソンはこれを遊びの足場作り的な見方と呼びました。つまり、遊びはスキルを組み立てていくなかで機能し、スキルが完成すると解体されるというのである。遅延的利益をもつ遊びの古典的な例は男子に特徴的な戦いごっこであり、成人の狩りと戦いのスキルの訓練と見なされるのです。

遅延的利益” への3件のコメント

  1. 即時的利益について追求することに少しの違和感を覚えるのは、目先の利益にこだわり長期的な視点をもたない計画や、すぐに感情的になりそれが原因で起きてしまう犯罪のように、目の前のことだけでその是非を考えることがどうも視野を狭めてはいないだろうかという例を、昨今多く目にするからかもわかりません。豊かな人生へ、その足場を遊ぶことで創造する子どもたちの為に、保育、教育は正しい知識や知見の元に構築されなくてはならないことを改めて感じます。

  2. タイトル「遅延的利益」、即時的利益に拘泥しがちな人にとってはわかりにくいことかもしれません。しかし、今回のブログではこの「遅延的利益」の良い説明を見つけることができます。それは藤森先生が引用した保育所保育指針の一節です。「望ましい未来」を形成するために「現在を最も良く生きること」が子どもたちに求められています。私は「遅延的利益」を「望ましい未来」と解釈しました。こう解釈した上で再びブログにおける「遅延的利益」の内容に立ち返ってみます。「遊びの利益は子ども期ではなく、後の発達でどのような価値があるか」という「ピアジェやヴィゴツキーも含めて大半の発達理論家」が課題として認識しているところに着目したいと思います。私が勤める園環境はまさに「後の発達」における価値を意図していると理解しています。子どもたちが今をより良く生きることは、すなわち彼らにとって望ましい未来の形成に繋がるのだ、という意識を私たちは再確認する必要があります。「現在、情緒が安定する、しないだけでなく、その後の環境に適応するためにそのシステムを進化させてきた」とのビョークランド博士は、乳児のむずかりの意味を明確に表しているような気がします。情緒の安定を大人のリラクゼ的様態で考えてはならないことを改めて認識しました。

  3. 〝子どもの行動、行為は、これから先の人生において、意味あるものとして準備期である〟とあり、全くその通りだと自分も思っています。そのように考えていくと、どの遊びが後の何の能力に当てはまる部分であるのかと考えていくよりも、もっと希望的に「この子の先の人生に役に立つ」からこのまま様子を見ようとか、ここで間に入ろうとか他の子どもに声かけてみようとか…いろんな選択肢から先の人生に役立つものの選択をこちらも考えて選ぶことができるのだと感じました。そして、子どもの先の人生を考えることは自分たちのスキルアップの役に立つものであると思います。話しがそれてしまった気がしますが、子どもの行動は全てに意味がある、この言葉に尽きるのだと思いました。

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