進化発達心理学では

進化心理学者が必ずしも無視してきたわけではありませんが、また完全には組み入れられてはいない証拠資料があるとビョークランドは言います。第一に、比較心理学という分野があり、特にホモ・サピエンスと私たちヒトの遺伝的な近縁種である大型類人猿との類似点や相違点が調べられています。ビョークランドらが比較データを数多く用いて考察するのは、認知的な進化に基本的な連続性があると考えているためだと言います。ただし、それぞれの種は直面する問題の解決策を独自に進化させたことも認識しており、系統発生の不連続性には常に目を光らせているとも言います。第二に彼らには最も重要だそうですが、乳児や子ども、発達の過程を検討することだそうです。私たちヒトには行動的、認知的可塑性があるため、「完成版」の大人に注目するだけではヒト独自の本質についてゆがめられた姿を伝えてしまいます。そこで、子どもが生まれつき備えている「知識」は何か、そして、その知識はどこからきたのか)、そして、原初的な心理的パイアスがいかにして成熟した形式の思考や行動へと変わっていくのか?というような問いを考えるうえで、発達的な視点によって、ヒトの本質を理解するために最高の場が生まれると彼らは確信していると言います。

当然ながら、発達的な視点は「大きな疑問」に答えるのに十分ではないと言いつつ、しかし必要であるとも言っているのです。さらに彼らの見解では、ヒトの本質は単に生まれつき備わっているだけではないと言います。というよりも、ヒトの本質は進化によって成立した性質として出現し、個体発生の過程を通じて種に特異的な環境と相互作用をして発達するのだと考えているのです。

進化発達心理学は成人に特徴的な行動や認知だけではなく、子どもの行動や心の特徴も自然淘汰の産物と見なしています。進化発達心理学では、ある種の全メンバーに特徴的なパターンである普遍性だけではなく、個体が自分の特定の生活環境に適応する方法も扱っています。彼らが、その主張の中で明らかにしてきた進化発達心理学の基本原理の一部を紹介しています。

進化発達心理学は進化による後成的なプログラムの発現を扱う多くの心理学者は認識していませんが、進化心理学者はいかなる遺伝子決定論にも賛成しておらず、進化による心理的メカニズムが局所環境と相互作用をすることで、特定のパターンの行動が生み出されると考えています。しかし通例、成人の機能に関心をもつ進化心理学者は、個体と環境の相互作用の性質をあえて特定する必要はないと考えているそうです。進化発達心理学では、発達システムアプローチの原則に従って遺伝と環境の相互作用に関する明確なモデルを示すことによって、この欠点に対処していると言います。発達心理学者は遺伝を環境問題を言い直し、ある特徴が「どの程度」遺伝あるいは環境によって生じたのかと問うのではなく、「遺伝と環境がどのような相互作用をして、発達のある特定のパターンが生み出されたのか」と問うようになったそうです。しかしこのように問いを言いかえただけでは、議論はほとんど進展しません。発達システムアプローチは、生物学的および環境的要因がいかにして個体の複数のレベルで作用し、個体発生の特定パターンを生み出すのかを明らかにするものです。

進化発達心理学では” への8件のコメント

  1. 「ヒトの本質は進化によって成立した性質として出現し、個体発生の過程を通じて種に特異的な環境と相互作用をして発達するのだと考えている」ヒトの根幹を知るかのような内容です。哲学的に、例えばなぜ私は私なのか、とか、ある場面ではこう感じ、またある場面ではこう振る舞い、というような、何気ない日頃の行動、仕草、そのどれもが上記抜粋の文章の土壌の上に成り立っているものなのかもわからないと思うと、その不思議さと神秘さとそれを解明しようとするような人間の脳の複雑さ、その働きに、驚いてしまいます。保育を追求していくことはヒトを解き明かすことのようで、学生の時には思いもしなかった世界がこの世界には広がっていることを、今改めて感じています。

  2. 〝ヒトの本質は進化によって成立した性質として出現し、個体発生の過程を通じて種に特異的な環境と相互作用をして発達するのだ〟とあり、ヒトはヒトとして、進化の中の一つであり、これからも環境に影響されながら、自然淘汰されながら進化をしていくのでしょうか。
    進化というものを大きな波のようなものに例えるなら、現代の社会では残念ながらその波に上手く乗ることができずにいるヒトが多くいるのではないかと思います。いや、そちらが実は波に乗っているのかもしれませんが…。
    ヒトというものを深く考えるようになったのも保育という仕事に出会えたからであり、自分の中の引き出しの中身が充実していくのを日々感じることができています。

  3. 私は、私が勤める園で、哲学の命題について、改めて考える機会を頂いている、と思っています。そして、それでお給料を頂いております。何と恵まれた職場でしょう。私は保育士ではありませんが、保育者の一員として、一人ひとりの子ども、子どもたちに接するたびに、生きるとはこういうことだ、と機会ある度に思い知らされています。臥竜塾ブログを熟読しなければわからなかっただろう「進化発達心理学」に接することができました。「知ったか」を得意分野の一つとしている私としてはこの上ない光栄です。「子どもが生まれつき備えている「知識」は何か、そして、その知識はどこからきたのか、そして、原初的な心理的バイアスがいかにして成熟した形式の思考や行動へと変わっていくのか?というような問いを考えるうえで、発達的な視点によって、ヒトの本質を理解するために最高の場が生まれる」とのビョークランド博士の見解に快哉を叫びたい。そして、進化発達心理学がフォーカスしている現場に従事できる幸せに感謝したい。

  4. “私たちヒトには行動的、認知的可塑性があるため、「完成版」の大人に注目するだけではヒト独自の本質についてゆがめられた姿を伝えてしまいます”とあることを考えたときにブログ内で言われている大人がこうであってほしいという子ども像でこどもの行動を制限するのではなく、人類が進化するなかでもっていた特徴、能力となるものを理解し、子どもにとって必要な環境を用意する、そして、人類というものを知るためには、子どもの時代をもっと理解することが必要だと感じます。”遺伝と環境がどのような相互作用をして、発達のある特定のパターンが生み出されたのか”とあり、遺伝と環境の相互作用によることは、人は進化をしながら発達するのではなく、環境があることによって生き延びるために何が必要なのかを考えながら進化していく、その過程には環境という存在が不可欠であることを改めて考えることができます。

  5. 「子どもが生まれつき備えている『知識』は何か、そして、その知識はどこからきたのか」は私もとても気になるところです。しかし、そこを知りたいと思っても知る術がないところに子どもの未知さ、魅力さを感じてしまいます。
    また「ヒトの本質は進化によって成立した性質として出現し、個体発生の過程を通じて種に特異的な環境と相互作用をして発達する」や「遺伝と環境がどのような相互作用をして、発達のある特定のパターンが生み出されたのか」とあり、遺伝と環境が個々で作用するのではなく、あくまで相互で作用するのですね。人の成長と同じで、1人よりも複数での方がより豊かな成長を促せるのと同様なことが言えるように思えました。

  6. 「ヒトの本質は進化によって成立した性質として出現し、個体発生の過程を通じて種に特異的な環境と相互作用をして発達する」とあり、ヒトの本質を知る上で乳幼児というのは欠かせない存在なのでと思わせてくれる一文でありますね。しかし、進化発達心理学の世界ではまだ不十分というような印象をこのブログから読み取れますが、果たしてその理解が正しいのかはわかりません。やはり、この内容の難しさを感じるとともにどこでも子どもというのは研究に欠かせないのかなと感じますね。

  7. 乳幼児と大人を比べると、当たり前ですが知識、知能が全然違います。一見するとブログに書かれてあるヒトの「完成版」が大人という見方をしてしまうの仕方ないようにも感じます。しかし、ヒトの本質という部分からすると今までのブログを思い出してみると、乳幼児期、特に赤ちゃんの時期というのが本来のヒトの本質に近い物を持っているのでしょうね。その本質を持っている物を引き出してあげる事で、初めて見えてくると思いますし、環境によっても大きく変わってくるのだと思います。だからこそ、藤森先生が言われる人間本来の子育て、子ども観を保育現場は学ぶ必要があるのだと思いました。

  8. 「完成版」の大人というのは「何をもって完成版なのか」という疑問を持ちます。それは「行動的、認知的可塑性があるため」というようになかなかこれといった完成版の定義は難しくなってきますね。遺伝子という柔軟な人の本質の部分と環境という変化のある部分が相互作用されて人が発達していく以上、やはり多様な環境の中で生活することがより様々なモデルに合うことや幅が広がることにつながるのかもしれません。それが社会を形成するということなのであれば、今の教育現場の環境はヒトの本質とは大きく違った環境設定なのかもしれません。

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