細分化されている中で

発達心理学の分野は細分化されすぎ、あまりお互いを知ろうとしないだけでなく、もし学者たちが他の学者の研究に利点があると思ったとしても、分析のレベルが違いすぎて共通の興味を抱く余地はほとんどなく、特に語り合うこともないことが多いそうです。さらに、発達心理学における「主要な」下位区分間のコミュニケーションを考えると、その分裂はもっと大きくなっているそうです。

おそらくこのコミュニケーション不足は単に、基礎知識が急激に広がっている状況のなかで、科学者が専門性を高める必要があった結果として生じたのであろうとビョークランドは考えています。おそらくジェネラリストの時代は終わったのだというのです。たしかにこの言い分には一理ありますが、少なくとも発達心理学の領域内では、知識の統一の見込みがあると考えられており、それは発達を理解するための共通点が見出されてはじめて達成されうると考えられています。

ビョークランドらは、彼らの考察から、発達心理学における幅広いトピックからのデータを呈示し、現象には多様性があるものの、共通性を見出したと確信しているそうです。この共通性と関連しているのが、進化の原則にもとづく発達的な視点だと言うのです。進化発達心理学は発達心理学のメタ理論として有効であり、催奇形物質に対する胎児の反応から感覚発達、空間認知攻撃性、遊び、心の理論まで多様なトピックを発達のひとつの大きな側面のもとにまとめることができると彼らは考えているのです。このメタ理論は、問うている発達の特定の側面を説明する、より領域固有の理論の必要性を排除するものではないと言います。メタ理論によって得られるものは発達の全側面に適用できる包括的な一連の原則であり、この領域の人々に十分共有されれば、すべての発達科学者のコミュニケーションの土台として役立つと考えていると言います。

進化発達心理学は「ヒトであるとはどういうことか?」という心理学の核心となる問いへの答えを出す上でも、きわめて役に立つとビョークランドらは考えているそうです。この問いは少なくとも古代ギリシア時代以来、そしておそらくさらにラスコーの洞窟画家や狩猟採集者たちにまでさかのぼって、人類の興味をひきつけてきました。この「生命の意味」の問いに答えるための標準的なアプローチはないと言われています。しかし、多くの人たちはすでにそう考えているだろうとビョークランドらは思っているそうですが、これこそが正しいと主張するのではなく、論理的に考えることこそが進むべき最良の道筋であると考えているようです。しかし、どのような種類のデータを探索し、ヒトの本質を考えていけばよいのだろうか?と疑問を投げかけています。明らかに、ヒトの大人を慎重に検討して「完成版」の実態を把握する必要があります。しかし、ヒトの本質には文化が介在しているため、非常に多様な社会的状況で生活しているそれぞれの人たちが、全てのヒトが直面する同じ問題をどのように理解し、解決しているかを評価する必要があるのです。進化心理学は良い実績をあげてきており、大学生に巧みな実験をし、独自のデータ、記録文書によるデータの双方による異文化間のデータを用いて、この核心となる問いを評価するためのデータベースを生み出しているとビョークランドは考えていると言います。

細分化されている中で” への9件のコメント

  1. 昨日の塾で見た人類の進化についての番組が思い出されますが、研究者の方々の研究結果はどれもわかりやすく、映像もリアルで、人類の祖先をとても身近に感じるような、観終わった後にそんな気持ちになるのうな作りになっていたように思われます。そういった研究と、保育や教育についての研究の差は何なのだろう、と思った時に、日本の多くの人々の興味関心はもちろんのこと、もしかしたら現代の日本人の築いているこの現代という時代が、特に子どもを考えることについて発展途上も発展途上というような、そういう文化水準に今あるのかもしれないと、不勉強な頭から愚考します。

  2. 〝これこそが正しいと主張するのではなく、論理的に考えることこそが進むべき最良の道筋であると考えている〟とありました。人類が生まれてから、今日まで絶滅を免れているのは、ある意味で「正しい選択」をしてきたからだと思われます。しかし、それは後になって分かるものであり、その時は「最良だと思われるもの」を選んだのかもしれませんし、それしか選択肢がなかったのかもしれませんし…。よく分からなくなってきたのですが、どれが正しい、というのはのちになって分かるものであり、どれが正解、正しいのかというのを考えていくことに意味があることなのかもしれないな、と今回のブログを見ながら思いました。

  3. 私は若い頃(今でも「若い」と思っていますが・・・)哲学の歴史を哲学科で勉強しました。私たちホモサピエンスは5000年の長きにわたって、魂とは何か、神とは何か、世界とは何か、そしてそもそもヒトとは何か、を考え続けてきたようです。このことがその頃わかりました。その後、宗教について勉強しました。過去と未来を持つ私たちホモサピエンスは、同時に生前及び死後という時間を意識するようになり、同時に自然を相対化したため、目に見えざるものを意識するようになったようです。どうやらそのことが「宗教」として昇華するのですね。さて、ビョークランド博士による「進化発達心理学」の可能性については首肯できますね。「現象には多様性があるものの、共通性を見出したと確信しているそうです。この共通性と関連しているのが、進化の原則にもとづく発達的な視点」、う~む、確かに。なぜ「進化の原則にもとづく発達的な視点」が必要なのか?私は、私たちホモサピエンスの存続が危うくなっている今日このころだからだろうな、との感想を抱くのです。あ~、学者じゃなくて、本当に良かった。非学者は、学者には認められませんが、精一杯考えたことをこうして臆面もなく言えますから。それはそれは、実に楽しい。ちょうどいい❣。ネアンデルタール人のようにホモサピエンスは滅びるわけにはいかない。頑張ろ!

  4. 人類はなぜ生き残ることができたのか?という問いの中には、”「ヒトであるとはどういうことか?」という心理学の核心となる問い”ということを考える上で、中心となる内容だと思います。人類誕生、の話を見て、思うことが長い時を得て、人は、集団のなかで相手と協力するために相手を思いやる気持ちを持っていたことやどうすることが生きるために必要なのかといった好奇心とも言える環境への対応方法など、私たちの祖先であるホモサピエンスの前の時代からもこうした生きる力があったからこそ、進化をしながら生き延びる術を身に付けたことを考えることができました。人類の進化には、人がもつ本質はなんであるのかを中心に置き、行動に対して、大人が思う考えをおしつけるのではなく、まずはどうしてそのような行動をする必要性があるのかを考えなければならないことを思うところです。

  5. 進化発達心理学の「ヒトであるとはどういうことか?」という心理学の核心となる問いへの答えを出す上でも、きわめて役に立つものは、人類の生存戦略にもあると思いました。何度もコメントに入れさせていただいていますが、当たり前と思っていることを追求し直す必要があると感じています。また「これこそが正しいと主張するのではなく、論理的に考えることこそが進むべき最良の道筋である」とあることは、正に新宿せいがであり、藤森先生であるように思えました。正しいとわかっていても強要をすることなく、それが正しいとわかるようなプロセスを歩ませてもらえる、そんなイメージがあります。何より思い込みや刷り込みを持たずに柔軟な思考で物事を捉えていけるようにしていきたいなと思いました。

  6. まだまだブログの内容をしっかり理解しおらず、漠然とした感じです。ただその中で私なりに理解した部分は、ヒトを理解するには一つの分野だけの研究から理解するのでなく、脳科学、発達心理学、考古学など様々な分野からの研究結果から検証していく事で、初めてヒトを理解できるのだと思います。コメンテーターのKKさんが言われているように、NHK「人類の進化」を見ても、色々な学者からの提言から進化を検証していました。細分化される事で、より詳しく結果が得られるのかもしれませんが、ブログにも書いてあるように知識の統一が必要なのかもしれません。

  7. 学者の中でのほとんど話し合う余地もないという状況から共通のものを見出す大変さというのも伺えます。「現象には多様性があるものの、共通性を見出したと確信しているそうです。この共通性と関連しているのが、進化の原則にもとづく発達的な視点だと言うのです。」とあり、発達的というとはやり、子どもに視点が向かうのですかね。なかなか難しいブログであり、理解ができているのか…。「これこそが正しいと主張するのではなく、論理的に考えることこそが進むべき最良の道筋であると考えているようです。」というのも印象的でなにごとにも精通してきそうなのではとも思いました。

  8. 「現象には多様性があるものの、共通性を見出したと確信しているそうです」とありました。関連のない別々なことをやっているようにみえても、ふとした時にそれらに共通点が生まれるような経験は多く人にあるように思います。野球を極めた人、芸能を極めた人、文学を極めた人とあらゆる分野の人が同じようなことを言っていることからも本質は共通なのかもしれませんね。なんだか話がずれてしまいました。「この共通性と関連しているのが、進化の原則にもとづく発達的な視点だと言うのです」ともありました。進化、発達という見方がはっきりすることで、人が向かうべき道、教育が進むべき道というのがしっかりとみえてくるのかもしれませんね。「ヒトの本質には文化が介在しているため、非常に多様な社会的状況で生活しているそれぞれの人たちが、全てのヒトが直面する同じ問題をどのように理解し、解決しているかを評価する必要があるのです」ということもまさにこれからの世界の課題であるような気がしました。

  9. 「ヒトであるということはどういうことか?」すごく深いテーマですね。しかし、見守る保育を知り、保育をしていくとこういったテーマに触れる機会が多いように思います。そして、大人の先入観がかえって子どもたちに対して「大きなお世話」であること。前回のブログの「大人好み」という言葉が重くのしかかってきます。こういった子どもにとってかえって障害となるものを除外するためによく「そもそも」と考えることがありますが、その作業は今回のブログの「発達を理解するための共通点が見出されて達成されうる」ということに近いように感じました。そして、様々な研究の結果がそこに意味と意図を乗せてくれているように感じます。

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