相乗的相互作用

ヒトの新生児は白紙状態であるという概念は時代遅れであり、ほぼ世界中の発達心理学者が却下しています。では、新生児は何をもって生まれてくるのでしょうか?ビョークランドは、その答えは、後成的なプログラムであり、それは悠久の時間をかけて進化してきた、太古の祖先が経験した環境の一般型に対応したものであると答えています。これらのプログラムが絶え間なく環境と相乗的相互作用をすることによって、発達のパターンや、その結果として成人行動が生まれ、私たちはひとつの種としての特徴を手にするのだというのです。

ホモ・サピエンスが他の種と異なる点は多くありますが、今までのブログでも書いたように、特に発達的視点に関連しているのは、長い未成熟期なのです。ヒトの個体発生のタイミングは、霊長類の系統発生に見られる傾向が延長されたにすぎませんが、ヒトは他の哺乳類より「前生殖期」が長いのです。若い時期の長期化には明らかにコストがあります。死亡率は乳児期以降、急激に低下しますが、先史時代の多くの子どもは伝染病や病気、事故によって、性的に成熟する前に死亡していたことは明らかです。しかし、その時期が長いことによて、発達の速度が遅いことに伴う多くのコストを上回る、何らかの非常に大きな利益があったはずです。それらの利益は、ヒトが複雑な社会的共同体にうまく対処することに見てとれると言います。ヒトの認知的な進化について現在よく用いられる説明では、ヒトの知的進化にかかった唯一最大の圧力は、同種個体と協力し、競争する必要があったことであると言われています。ヒト科の集団がより複雑になるにつれて、個体は自分自身をもっとよく知り、同種個体の思考や願望、知識をよりよく理解し、おそらく他者を操作することが必要になってきたのでしょう。社会的な世界でよりよく生きていくことができた者は、質の高い配偶者や資源を得るという意味でより多くの利益を手にし、自分の認知的特徴を子孫に伝えていったのです。

しかし、世界中でヒトの集団は類似してはいるものの、多様性も高く、集団生活の予測のつかない変化をうまく乗り切るためには柔軟な可塑性に富む知能が必要でした。これには大きな脳が必要なだけではなく、脳の完成にも長い時間がかかってしまいます。大きな脳や社会的複雑性、長い未成熟期が混じり合い、現代のヒトの心の舞台が作られたのだとビョークランドは言うのです。

乳幼児期の経験は個体が成人としての生活を準備するためにあるという考え方は、おそらく発達心理学の規範のひとつです。進化発達心理学の見解も同様であり、乳幼児期のある側面は、おそらく成人期に役立つ社会的集団の様式を学習する機会を子どもに与えるために淘汰されて残ったと考えます。そこで、遊びの諸側面は準備メカニズムのよい例なのです。子どもは遊びを通じて身の回りの物理的環境や社会的な世界について多くのことを学び、それが後の人生で役立つのです。

子ども期にはこの説明に合う側面が多くありますが、「成人期の準備としての子ども期」仮説をおそらく最も大きく反映しているのが性差なのです。

相乗的相互作用” への9件のコメント

  1. 最初の段落に書かれたビョークランドの答えは衝撃です。そこから導かれる「発達の速度が遅いことに伴う多くのコストを上回る、何らかの非常に大きな利益」考察、まるで推理小説を読んでいるような感覚になりましたが、深い納得を得ると同時に、つまりその時期の保育がとても重要であることをそのまま言い表されているように思えてきます。現代の乳児の死亡率は祖先の頃とは比べものにならないでしょう、ですが、現代社会の複雑さは生きることを易々としたものにしないのかもわかりません。生き抜く為の戦略を、遊びの中で子どもたちは練り抜いているのかもわかりませんね。

  2. 〝発達の速度が遅いことに伴う多くのコストを上回る、何らかの非常に大きな利益があった〟とありました。
    一見不利な状況のようにみえてしまう発達の速度の遅さに上回る利益とは〝多様性も高く、集団生活の予測のつかない変化をうまく乗り切るためには柔軟な可塑性に富む知能〟が必要であり、その知能を培う期間が未成熟期であるのですね。
    「遅い」というのは特に日本人は嫌う傾向が強いものなのかもしれませんが、遅いことにより利益が生まれることもあるということなんですね。そして、発達においてのこの「遅さ」は生きていく上で必要不可欠なものであると思います。その時代の子どもたちには何が大切であるのかというのが見えてくるようですね。

  3. 乳幼児期の遊びは何のためにあるのか? このことに関する一つの答えが今回のブログで紹介されています。曰く「子どもは遊びを通じて身の回りの物理的環境や社会的な世界について多くのことを学び、それが後の人生で役立つ」。もはや、遊びは私たち大人が言う「遊び」ではなく、「望ましい未来」を形成するための立派な社会学習ということになります。そして、この学習は自発的でなければならず、大人によって強制されるもののではないことは明白です。乳幼児期の子どもの遊びは、このように理解することが必要なのだとわかります。また、「社会的な世界でよりよく生きていくことができた者は、質の高い配偶者や資源を得るという意味でより多くの利益を手にし、自分の認知的特徴を子孫に伝えていったのです。」このことも気に留めておきたいですね。「社会的な世界でよりよく生きていくこと」、このことを私たちは肝に銘じ、日々の生に勤しむことが大事だなと思ったところです。

  4. こども期から見られる行動には、すべてに意味があることを考えてみると、”大きな脳や社会的複雑性、長い未成熟期が混じり合い、現代のヒトの心の舞台が作られた”とあり、長い年月をかけながら、産まれてくる際にできている脳とその後に広がる社会によって経験されるもの、指先の動きや寝返りやハイハイなど、心と体の発達の中には、繋がりがありそれは、”ヒトは他の哺乳類より「前生殖期」が長いのです。”とあることのようにこども期に生きてきた環境によって左右されることを感じます。その時期に関わる私たちの役割は、重大であることを再確認しできます。

  5. 「先史時代の多くの子どもは伝染病や病気、事故によって、性的に成熟する前に死亡していたことは明らかであるのに、その時期が長いことによって、発達の速度が遅いことに伴う多くのコストを上回る、何らかの非常に大きな利益があったはず」とありました。人類は未熟な時期に胎外へ出るのは、脳を大きくするため…というお話が以前ありましたが、単に産道が狭くなるためという要因だけではなく、胎外へ出ることで他者との関わりが生まれることも脳を大きくする人類の選択を後押しする結果だったのかなと感じました。また「子どもは遊びを通じて身の回りの物理的環境や社会的な世界について多くのことを学び、それが後の人生で役立つのです」とあるように、脳を大きくしていく手段、そして人生で役立つもの、社会で生きていく上で必要なものは遊びを通してのものが多いように感じました。

  6. 乳幼児期の経験が成人にとしての生活をする準備期間という考え方は発達心理学では規範とされているようですが、私達保育現場で働く者としては、そんな重要な期間に子どもと関わっているのだから、ある程度は責任を持つ必要があります。「前生殖期」がヒトは哺乳類の中でも長く、発達の速度が長いのは、その分大切な何かを得るためと聞くと納得できます。動物に比べると、とても複雑な社会の中で生きていく為には、より多くの事を学び、身に付け、さらには後世に伝えていく・・・また乳幼児期での新たな視点が見えたことに感動しました。

  7. 「世界中でヒトの集団は類似して……脳の完成にも長い時間がかかってしまいます。大きな脳や社会的複雑性、長い未成熟期が混じり合い、現代のヒトの心の舞台が作られた」とあります。多様性という人類の特徴から人はその多様性に対する脳の働きが必要になり、その予測のつかない変化に対応するために長い準備期間が必要になっていったのですね。よく考えてみると現在は予測のつかないことばかりです。人と生活をするだけでも自分の思う通りに行きません。その準備に適しているのは正に子ども集団であると改めて感じさせてくれます。

  8. 「ヒトの新生児は白紙状態であるという概念は時代遅れであり、ほぼ世界中の発達心理学者が却下しています」とありますが、まさにこれが、まだまだ日本では理解されていない事実ですね。この、子どもは生まれながらに白紙であるために大人がそれにしっかり描き込んでいかなければいけないということからくる教育のあり方があらゆる根底になるように思ってしまいますね。子どもの正しい認識が広まっていけばいいのですが、まだまだそれは難しいのかもしれませんね。また「ヒトの知的進化にかかった唯一最大の圧力は、同種個体と協力し、競争する必要があったことであると言われています」というのも印象的でした。だからこそ「乳幼児期のある側面は、おそらく成人期に役立つ社会的集団の様式を学習する機会を子どもに与えるために淘汰されて残ったと考えます」とあるように、人と人との中で生きていくための力を乳幼児期に育んでいかなければいけないのですね。このあたりが藤森先生が提案する子ども同士の関係性ということになってくのだなと感じました。

  9. 「多様性も高く、集団生活の予測のつかない変化をうまく乗り切るためには柔軟な可塑性に富む知能が必要でした」とあります。そのために脳が大きくなる必要があるのですね。そして、そのために乳幼児期が他の生物よりも長くとられているのであれば、乳幼児期の重要さは容易に予想されます。この時期に様々な葛藤や社会についてを学ぶ必要があるのですね。このことを受けると今の時代の子どもの環境は決していいものではないですね。核家族で親との一対一での関りも大きな問題をはらんでいます。いまだ「赤ちゃんは母親といるべき」というセオリーが当たり前に残っていますが、それは理論的というよりは感情論てきなものであるように思います。こういった文化をかえることはなかなか難しいものです。少子高齢化と女性の社会進出はある意味でこういった子どもたちの環境を見直すいい機会を持った時代なのかもしれませんね。こういった研究を受けて、保育をどう展開していくのかとても重要な時代であるということがわかります。

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