物を使って遊ぶ

連続的な順序づけのある活動と物を使ったサプルーティンが道具の発明には必須であり、それはヒトの系統発生的な歴史上明白であっただろうとシルヴァ・プルーナーとジェノヴァらは主張しているのです。あいにく、性差については報告されていないそうですが。

同じような文脈で、ダンスキーとシルヴァーマンは、物を使った遊びが子どもの連想のなめらかさ、つまり、よく使用する物の新しい使い方を考え出すことに与える効果を調べました。遊び条件の子どもに、実験物で10~15分間「遊ぶ」ように促しました。他の統制条件や観察学習条件に参加した子どもたちには、訓練の後に、実験物や新しい物の新しい使い方を考え出すよう求めたのです。それぞれの場合で、遊び条件の子どもは他の条件の子どもより、新しい使い方をより多く考え出したそうです。

シルヴァたちの研究やダンスキーとシルヴァーマンの研究により、物を使って遊ぶ子どもは、その物を使って後に新しい問題を解決する可能性が高いことが示されました。このように、子どもは遊びを通して物について何か特定のことを学んだことにより、その物を後の状況で道具として用いる可能性が高まったと考えられます。もっと最近の研究ではグレドレインが、物を使った遊びをする傾向が強いことと、一般的に後の道具の使用との関連を調べたそうです。彼の研究では、3歳児が1人ずつ一連のおもちゃを使った自由遊びセッションに参加し、一部の子どもには物を使った遊び、たとえば、レゴ、木のプロックを組み合わせて家を作るリンカーンログをするよう促しました。別のセッションで子どもには、どれも遊びセッションでは見たことがない物が置かれたテープルの前に座り、そのうちの1つだけが、手の届かないおもちゃをうまく取り出すのに使うことができると言います。これは、先に述べたチェンとシーグラーが用いた手続きをもとにしています。グレドレインは、男児は女児よりも物を使った遊びをし、自発的に道具を使用しておもちゃを取り出す傾向が強かったことを報告し、男児の物を使った遊びをする経験の多さが、男児の方が道具使用課題の成績が高かった一因であると指摘しているそうです。チェンとシーグラーと同様、グレドレインは、道具使用課題の女児の成績は単純なヒントを与えられただけで男児のレベルにまで上昇したことを報告し、道具の使用における実際的な能力に性差はないことを示唆したそうです。むしろ主要な性差は、男児の方が物を使った遊びや、道具の使用に動機づけを持っていることにあり、物を使った遊びが多いことがおそらく物を潜在的な道具として見る傾向を強めているのであろうとビョークランドは考えています。

これらの研究は遊びの好ましい利益を示していますが、慎重に解釈しなければならないとも言います。なぜなら第一に、実験室において遊びを実験的に操作してわかることは、ある特定の変数がいかに行動に影響を与えるかということだけであり、必ずしもそれらの行動が現実に発達していく道筋がわかるわけではないからです。さらにもっと根本的なこととして、多くの遊びの充実実験では内的妥当性の重大な問題があると言います。たとえば、多くの実験で、遊びの処遇と大人が遊びながら子どもに教えることとが交絡しています。その上、このような研究の多くで実験者バイアスの統制がなされていないため、機能に関する多くの結論の正当性を立証できないと言うのです。内的妥当性の問題が制御されたとしても、たとえばある場合には10分間という短い時間で実験が行われており、そんなに短い実

験で3~5歳の子どもの安定した行動を変える効果があるかについては疑問視せざるを得ないというのです。

物を使って遊ぶ” への9件のコメント

  1. 遊びにおける性差、あるいは遊びと道具の連関、これらのことについて学者の皆さんは実験してはデータを集め、分析し、ある一定の結論を出します。しかし、実証の世界は厳しいですね。今回のブログでは実験結果に関してその手法の問題点を浮き彫りにしています。その一つ目には「必ずしもそれらの行動が現実に発達していく道筋がわかるわけではない」というものです。実験者ではない私にはよく理解できます。現場では、逆に、経験則の伝承により、この問題点については早くから気づかれているのかもしれません。「実験者バイアス」、これも気を付けて頂きたいものです。バイアスが係ってしまうと、どうしても恣意的にならざるを得ないところがあるようです。すると、結論もその恣意性を脱却できないこととなって実験結果の信憑性にいくつかの疑問符がついてしまうことにもなりかねません。なるだけ、思い込みや先入見、あるいは刷り込みを廃して、客観的目標と行動のコントロールが必須になってくるのでしょう。

  2. ものを使うことにおいては〝遊び条件の子どもは他の条件の子どもより、新しい使い方をより多く考え出した〟とありました。子どもは遊びが学びだと思っていますが、それには子ども自身が主体的に遊んでいることが前提としてあると思います。子どもたちが主体的に遊ぶことにより、育まれた学びは新しい使い方を考えだし、なおかつより記憶に残るものであるように思います。
    さらには、おもちゃをおもちゃとしてのみではなく、道具として捉えていく視点の広さも子どもが主体的に考えることにより生まれるものであるように感じました。

  3. 研究者の実験、とても興味深いのですが、実際の子どもたちの姿と見照らし合わせた時に、という懸念を現場の先生方はやはり感じるところなのではないかと思うところです。やはり相互の視点が必要で、その中で普遍的な子どもの姿を追求していくというのでしょうか、これからも続く子ども研究の課題のような気がします。
    しかしながら研究内容に疑問符がついたとしても、遊びが重要であることはその重要性を立証する為にすすめられているという研究趣旨を知るだけで理解することができます。明日もまた子どもたちは園で遊びを楽しむことでしょう。保育者は研究に触れることでそれを見守る目を養うということなのかもわかりません。

  4. “主要な性差は、男児の方が物を使った遊びや、道具の使用に動機づけを持っていることにあり、物を使った遊びが多いことがおそらく物を潜在的な道具として見る傾向を強めているのであろう”とありました。こういったことから考えると、男児の方が道具へたいしてうまく動機付けをし、遊びへと繋げるのが多いことは感じ、確かに、様々な遊びのなかでごっこ遊びを展開している子どもたちは、素材や廃材となるものを使って遊んである姿はあります。しきしながら、女児の姿にも、男児ほどだいたんではないものの、様々なものを集めて使っている姿は、男児にはない繊細さを感じることがでし、多様な環境下では、違った面も見えてくることを感じています。

  5. 「子どもは遊びを通して物について何か特定のことを学んだことにより、その物を後の状況で道具として用いる可能性が高まった」とありました。改めて子どもの学習は遊びを介してのものが多く、そして遊びを介しての学びは実用的であることがわかります。また研究により、「男児は女児よりも物を使った遊びをし、自発的に道具を使用しておもちゃを取り出す傾向が強かった」ことがわかったことは、正直自分の中では当たり前に捉えていたことですが、この性差の意味するところは「当たり前」だけで捉えていたら到達できなかったので、このような機会はとてもありがたく感じています。女性は地図を読むことが苦手という話も以前ありましたが、男性だから女性だからと当たり前に捉えていては、その発達や性差の意味までには辿り着けないので、改めて当たり前に捉えていることをもう1度考え直していきたいなと思えました。

  6. 「子どもは遊びを通して物について何か特定のことを学んだことにより、その物を後の状況で道具として用いる可能性が高まったと考えられます」とあります。様々な環境、ゾーンがあり様々なルールのもと主体的に遊ぶことのできる環境の大切を感じるとともにこの「10分間という短い時間で実験が行われており」という部分も気になるとところです。実際に目の前にいる子どもたちのすがたと照らし合わせることでまた違った視点というのも生まれそうです。

  7. 男女でのモノを使って遊ぶことへの性差は面白いというか、何となく理解できます。何度もブログにも書かれていると思いますが、人類の進化からみても、男は獲物を狩猟するために、道具を作り、それを使って狩りを行ってきたと思いますが、道具に対しての執着がもともと強いのでしょう。園で子ども達を見ていると男の子の方がそういう傾向が強いと感じますが、やはり環境の影響か、女の子もブロックを使って同じように遊んでいますし、製作だって行っています。実験の結果は理解できますが、やはり保育室という生の実験室は貴重な場ですし、保育者は研究者として子ども達を見る視点は重要だと思いました。

  8. 「遊び条件の子どもは他の条件の子どもより、新しい使い方をより多く考え出したそうです」や「物を使って遊ぶ子どもは、その物を使って後に新しい問題を解決する可能性が高いことが示されました」とありました。子どもは本当に遊びから多くのことを学んでいますね。そして、楽しく学ぶことの大切さを教えられるようでもあります。遊ぶように、楽しく、何事にも取り組むことができれば、きっと学びもより深いものになっていくのでしょうね。決められた行動ではなく、遊び、楽しみ、という動機付けで行動していく方が、あらゆる体験や変化を感じ取ることができ、それらを関連つけることで、新たな発見を見いだすことができるのかもしれませんね。まさに、関連つける知識なのかなと感じました。

  9. 「子どもは遊びを通して物について何か特定のことを学んだことにより、そのものを後の状況で道具として用いる可能性が高まった」とあります。子どもたちの遊びがひも解かれていけばいくほど、数多くのことを遊びの中で学んでいるのがわかります。そして、その遊びの中で繰り広げられ、一見大人から見たら「なぜ、そんなこと・・」と思うようなことも意味のあることをしているということがわかります。先入観で子どもをみてはいけないと思っていても、こういった機会がないと思いもつかないというはまだまだ勉強することは多くありますね。ドイツの環境を見ていても、「この時期の子どもには難しいのでは」と思う環境が多くありました。しかし、実際にはそこにあることに意味があるのかもしれません。「試す。やってみる。」ということが次の学びにつながっているのでしょうね。

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