役割を担う

動物は機能的な文脈から行動を取り出して、その行動を社会的な遊びの文脈でシミュレーションします。さらに、動物は「メタコミュニケーション的な」遊びの合図を使用しますが、「これは遊びだ」と伝えるひとつの方法であり、同種個体が自分とは異なる場の見方をもっている可能性を認識していることを示唆しています。イヌ科の動物は遊びの「服従姿勢」を用いますし、ヒト以外の霊長類は遊びの表情を使って競争を始めます。また、動物は遊びの合図を用いて、起こりうるあいまいさ、つまり遊びで「うっかり間違い」が起こらないよう明確にします。服従姿勢や遊びの表情などの遊びが起こらないよう明確にします。服従姿勢や遊びの表情などの遊びの指標は、手荒すぎると解釈される可能性がある遊び行動には必す付随しています。これらの指標、行動的「区切り」に従うことで、動物は安心して遊びを再開するのだと言います。

また、遊びで役割を代替する動物の例もあるそうです。たとえば、ビッグホーンシープやチンパンジー、セープルアンテロープなどいくつかの種の動物は、子どものように、遊びでセルフハンディキャッピングによって異なる役割を担い、優位な個体が遊びの戦いでしばしば従属者の役割を引き受けます。セルフハンディキャッピングは、その戦いの遊び的な傾向をさらに明確にするため.要所に遊びの合図が挿入されることが多いそうです。一部のヒト以外の霊長類、たとえば、ダイアナザルなどは、捕食者の心的表象をもっている可能性があることから、遊びの戦いで一般に観察される立場の逆転は、捕食者の心的表象を示している可能性があることが示唆されているようです。自然な場面での再生実験において、ツベルビューラーは、捕食者の近いか遠いかという距離、上にいるのか下にいるのかという高度、ワシかヒョウかという種類によって、どの程度サルが音響的に異なる警戒声に反応するかを検証したそうです。すると、実験的に操作された警戒声を受けて発されたオスとメスの音声信号から、サルが捕食者の種類に反応することが示されたそうです。これらの結果から、発声は「捕食者の概念などの、外部の物や出来事の心的表象と結びついている」可能性が示唆されました。同様の結果が、捕獲ワオキツネザルにも報告されているそうです。遊びにおいて役割の逆転とセルフハンディキャッピングが起こる場合、動物はある役割を他の役割と置きかえており、それらの役割は概念的なカテゴリーにもとづいている可能性があります。つまり、セルフハンディキャッピングにおいて、ヒト以外の霊長類は捕食者の「ふりをしている」のかもしれないと言うのです。

要するに、ヒト以外の社会的な動物のなかには、子どものファンタジーの分類に用いられる基準に合致するファンタジーを行うものもいるようです。動物の遊びについての記述は、ファンタジーの初期の形式が行為を基盤としたシミュレーションであり、遊ぶ者が他者の心のモデルを持っていることには依存しないという見方と一致しているように思えると言います。これは、議論の余地のある主張であることをビョークランドは知っていると言います。ファンタジーの研究者は、ファンタジーは遊ぶ者同士がお互いの心的状態について知っている必要があると指摘しています。

役割を担う” への4件のコメント

  1. 動物の事例には興味深いものがありますね。ファンタジー遊びとも思える動物の行動は、私たちもやはり動物の一種であることを再認識するのに十分です。それでも、今回のブログのポイントはビョークランド博士が他の研究者の見解として挙げる「遊ぶ者同士がお互いの心的状態について知っている必要がある」というところでしょう。動物の思惟能力については様々に研究され、ある一定の理解が得られていることでしょう。しかし「ファンタジー」という概念自体はヒトに特徴的なのではないかと私は思います。そこには夢想世界が存在している。その世界を現実世界において実現させるファンタジー遊び。前にも書きましたように、私たちヒトも動物の一種であることには間違いがありません。よって、行為において他の動物とほぼ同一行為を展開することはわかるような気がします。果たして、ヒト以外の動物は空想したり夢想したりすることがあるのか?ファンタジーの世界ではあり得ることでしょう。ディズニーアニメこそはヒトとヒト以外のファンタジーによって成り立っていますね。まぁ、これもヒトならではの行為であることの証拠でしょう。

  2. 「ファンタジーの研究者は、ファンタジーは遊ぶ者同士がお互いの心的状態について知っている必要があると指摘しています。」その主張と、相手の心を理解する力がなくてもファンタジー遊びは成立する、という主張。不思議なのは心の理論の有無に関わらずその遊びが行われる点で、それは即ちファンタジー遊びの重要性を物語っています。本文を読んでじゃれ合う動物の姿が想像できるのですが、ヒトにとって重要な意味をもつそれが動物にとっても重要であるということが何とも興味深いです。

  3. 今回の最後に研究者たちは〝ファンタジーは遊ぶ者同士がお互いの心的状態について知っている必要がある〟とありました。この文言から自分はアニメや現実的に起こりえないものを想像する、あるいは創造することができるのもまた他者理解が必要になってくるということを感じました。例えば、ドラえもんがのび太くんを助けるために未来の道具をポケットから出すのも、ドラえもんが普段からのび太くんをよくみていて、その時の状況に合わせたものを出して助ける、ということなのでしょうか。
    子どもたちもそんな風にファンタジーの世界を共有して、ごっこ遊びを展開していってるのかもしれません。この前、最近は「肉屋さん」ごっこをしていた子どもたちがいて、あり得ない所におもちゃのお肉が置いてあったのでもとの場所に戻そうとしたら「いま夜だからそこに置いてるの‼︎」と怒られてしまいました。ファンタジーの共有ができていない自分は入ってはいけませんね。

  4. “ファンタジーは遊ぶ者同士がお互いの心的状態について知っている必要がある”という見解からは、ファンタジーという1人1人が感じる世界観を共有させるなかには、互いの心的状態を理解することで、遊びが成立することが考えられることができ、他者の心的状態を知るためには、普段から繰り返し同じ環境下のなかで生活し、関わりをもつ、その環境というなかには、互いの考える行動ができる自発的な部分が保証されることによって理解へてつながっているように感じれるように思います。ファンタジーという人がもつものが、人が生きていくなかで、進化をするために必要な好奇心への材料になっていることを感じることができます。

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