他者の心的状態の理解

「ごっこ遊びをしよう」などの明示的な遊び枠組みの指標や、大げさな声や動きなどの暗黙的な遊び枠組みの指標が、その相互作用が遊びであることを知らせます。逆にこれらの指標を用いることは、伝えたいことがファンタジーのテーマであることを示すことになります。成熟して何度も他者との相互作用を繰り返してはじめて、子どもは他者の心的状態を理解するようになるのです。このように、他者理解は他者の心の理論をもっていることに依存しているのではなく、他者との交渉やシミュレーションを繰り返し行った結果、育まれていくのだとビョークランドは考えます。

明らかに議論の余地がありますが、大型類人猿や、さらには社会的な肉食動物にもファンタジー遊びやふり遊びのいくつかの側面が見られるという証拠があるそうです。ヒトに育てられた、すなわち文化化したチンパンジーは、複雑な象徴遊びをすることが多数報告されているそうです。たとえば、手話の訓練を受けたチンパンジーのワショーは人形をお風呂に入れたり、拭いたりしたそうですし、他にもヒトに育てられたチンパンジーのルーシーは人形に手話を使ったそうです。野生のチンパンジーも、ファンタジー遊びと解釈できる行動を示すことがいくつか観察されているようです。たとえば、丸太を赤ん坊のように扱うなどです。しかし、野生の類人猿でそういう行動が観察されるのは稀であり、文化化した類人猿の観察では、おそらくシンポル表象が反映されていると考えられますが、別の説明も可能のようです。

ファンタジー遊びがヒト以外の動物にもあるという証拠は、べコフによると次のとおりです。第一に、大型類人猿もイヌ科の動物、野生のイヌでも、脳の大きさと体の大きさとの関係の回帰方程式から期待される脳の重さに対する、実際の脳の大きさの比率である脳重量比が比較的高いそうです。したがって、それらの動物にはファンタジーに必要な認知的能力があります。第二に、子どものファンタジー遊びのように、ヒト以外の霊長類やイヌ科の動物の社会的な遊びは「脱文脈化した」行動や、ルーチン的な行動の連続を特徴とするそうです。それらの行動はある文脈から取り出され、他の文脈において違うやり方で用いられるのだそうです。たとえば、オオカミが社会的な遊びでかみつくときは、実際に戦うときよりやさしく噛みます。また、これら個々の行動は予測可能なやり方で連続的に結合されていき、遊ぶ者同士の明示的な交渉によって開始されるのが特徴だと言われています。

このような遊びは、遊びをシミュレーション、あるいは行為にもとづくと見なす考え方に一致し、ヒトの3歳児のファンタジーに関するシミュレーション理論の記述とも一致しているようです。このような相互作用は、動物が他者の心の理論をもっていなくとも生じるそうです。動物は機能的な文脈、真の闘いの文脈で使われる行動から行動を取り出して、その行動を社会的な遊びの文脈でシミュレーションします。持続的に遊びの相互作用をするということは、遊びの行動が真剣な文脈で同じ行動が起こるときとは目的が異なることに動物が気づいている証拠だと考えられます。さらに、動物は「メタコミュニケーション的な」遊びの合図を使用しますが、「これは遊びだ」と伝えるひとつの方法であり、同種個体が自分とは異なる場の見方をもっている可能性を認識していることを示唆しています。

他者の心的状態の理解” への4件のコメント

  1. 「このような相互作用は、動物が他者の心の理論をもっていなくとも生じるそうです。」極めて高度なことを動物も行なっているということにとても驚きます。「持続的に遊びの相互作用をするということは、遊びの行動が真剣な文脈で同じ行動が起こるときとは目的が異なることに動物が気づいている証拠だと考えられます。」遊びと真剣さ、この区別が動物にあり、それが動物の発達や進化を促しているとするならば、ヒトが遊ぶこともまたヒトの進化を促していると言えるのではないでしょうか。生きることの本質に触れるようなこの度の内容です。

  2. とりあえず、動物のことは置いといて、ヒトについて、なるほどと思ったところをあげます。それは「他者理解は他者の心の理論をもっていることに依存しているのではなく、他者との交渉やシミュレーションを繰り返し行った結果、育まれていく」というビョークランド博士の見解です。大いに頷くことができました。15年程前でしょうか、ある方と、子どもの自己発揮が先でその後に他者理解があるのか、他者理解をして初めて自己発揮があるのか、という議論を展開したことを思い出しました。今なら、NHK「人体」で知った受精卵が成長して子宮癖に自らしがみつく?という自発的行為をもって「自己発揮」優先と言えるようになりました。それでも、ホモサピエンスが社会存在であることを考えると、先に挙げたビョークランド博士の見解はとても重要な気がするのです。現代世界において「他者理解」はマストです。反復的に会得していくことがわかります。なんであれ、他者との共存が重要であることに気づかされるのです。

  3. 〝他者理解は他者の心の理論をもっていることに依存しているのではなく、他者との交渉やシミュレーションを繰り返し行った結果、育まれていく〟とありました。つまり、反復していくことで培われていく技術であるということなんですね。他者理解というのは、現代の社会が抱えている問題の一つに挙げられるものではないかと思いますが、例えるなら逆転満塁ホームランではなく、バスケットのようにコツコツと積み重ねていくものであるということなんですね。人間の能力はほとんどがそのようにして会得していくものであるように感じます。繰り返す上での他者の存在と環境は大切なものとなるのだと思います。

  4. “他者理解は他者の心の理論をもっていることに依存しているのではなく、他者との交渉やシミュレーションを繰り返し行った結果、育まれていく”とあることには、自発的な行動による遊びの始まりがこういった他者の心の理論をもてることには、そういった環境があることによって繰り返した経験ができるように感じました。確かにごっこ遊びをどうぞ。と言われても、なにかの目的を持っていなければ、相手がいた場合には、自己と相手が同じことをやりたいだとか、共有できるのかなど、疑問が浮かびますね。
    他の動物にも見られる真剣さと遊びといったものを区別し行動している、こういったことを考えたとき、戦いごっこのようなものでも、叩くようにしていても実は優しかったりとか当てないようにとか考えながらやっているのかなと思い、相手のことを考えた行動が姿としてあるように思います。

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