自己開示

友達同士で似ていることの重要性は、進化的に意味があるかもしれないと言います。類似した同種個体にひかれることは、血縁者がお互いに魅力を感じることに起源があるかもしれないと言うのです。先に述べたように、協力や互恵性は血縁者と相互作用するなかで発達したのです。それをわかりやすく言うと、協力的、互恵的相互作用は親しくなじみのある、血縁ではない者同士で行われますが、それは後にお互いにやりとりする可能性があるからだと言うのです。さらに、ありのままの自分自身のことを相手に話すという自己開示は、青年期の友達関係に顕著な特徴ですが、友達関係においても相互に行われ、そういった友達同士の互恵的な自己開示によって関係がさらに強化されていくのです。親しさや自己開示、互恵性が特色である友達関係は、若者が新しい社会に入って、新しい社会的関係をもつ時期となる青年期には特に重要だと言うのです。青年期には少ないのですが、強い友達関係をもつことから、そういった友達関係が、個人がこの時期の新しい領域でうまくやっていくのに役立つことが示唆されるようです。

では、集団に対する認識はどのように発達していくのでしょうか?また、ヒトの進化的に見た集団とはどのようなものなのでしょうか?いつごろから、どのように集団を認識し、意味を持つのでしょうか?思ったより早い時期から、集団と関係するようです。

生後1年の終わりまでにヒトの乳児は男性と女性、大人と子どもをカテゴリー的に区別できるようになり、他の乳児にはたとえ知らない相手であってもひきつけられるようです。早ければ2歳で同性の子どもを好むようになり、 女児には見られないそうですが、2歳の男児は異性の活動ではなく、同性の子どもの活動をまねするのを好むことがわかっています。これらすべてから示唆されるのは、乳児期や歩行期の子どもは潜在的に重要な、性別や年齢といった社会的カテゴリーによってヒトを分類することができ、仲間との関係を早くから好むということなのです。

まだことばを話さない歩行期の子どもでさえ、集団の社会的複雑性のレベルが優位性に現れるそうです。先に述べたように、優位性は個人の中に存在するのではなく、特有のニッチにおいて特定の社会的、生態学的制約が生じた結果、現れるのです。優位性は、階層という点から表されることが多く、個体は資源の入手について推移的に順位づけられています。この観点からすると、優位性は目的ではなく、資源を入手するという目的のための手段なのです。いったん優位性の階層が確立すると、それぞれが社会的順位における自分の位置を知り、優位な個体に挑戦するのは高コストで低利益であることを認識していくにつれて、攻撃性の割合が下がっていくと言うのです。

資源は配偶者、道具、食料などの多くの面から表すことができます。資源は、発達の時期によって定義づけが異なると言います。乳児期や歩行期、そしておそらく幼児期にも、おもちゃなどの道具を入手する機会は、仲間との相互作用において価値のある資源でしょう。

優位性はこのような幼い年齢でさえ「リーダーシップ」という点から概念化するのが最善であるし、先に議論したように、敵対行動や親和行動という観点から具体的に定義づけることができます。