青年期の優位性

「ロバーズ・ケーヴ」実験で、サマーキャンプに参加した22人の面識のない5年生の男子が2つの集団に分けられ、彼らの中で集団凝集性が定着した時点で2つの集団が引き合わされ、一連の「友好的な」競争、たとえば、野球、綱引きが用意されました。少年たちは知りませんでしたが、キャンプカウンセラーがそれぞれの集団の勝敗が等しくなるように手はすを整えていました。競争に負けると集団内葛藤が生じて、お互いに身体的に攻撃しリーダーシップに変化が生じたりすることが多かったのです。しかし、競争が続くにつれて集団内葛藤は減退し、集団の団結が高まり、相手の集団に対する敵対心というかたちで現れることが多くなったそうです。集団はお互いに「お前らはワシなんかじゃなくて、ハトだ」というようにののしり合うようになり、相手のキャンプ場を襲撃したり、物を盗んだり、壊したりするようになったそうです。また、身体的な暴力、たとえば石を投げるなどは、カウンセラーが介入してやめさせなければならないほどだったそうです。

このように集団間の競争が起こると、短期間、不調和の状態になった後、集団内凝集性がより強くなり、他の集団に対するあからさまな敵対心が生まれたのです。シェリフの研究から見出されたことは、 J. R.ハリスの群淘汰理論で呈示された4つの「進化的適応」のうち、少なくとも3つを例証しています。つまり、(a)社会的親和と内集団びいき、(b)地位追求行動と社会的階層の確立、(c)集団間の対立です。

青年期の優位性は、子ども期のそれと同じように集団構造の重要な側面であると言われています。また、子ども期と同じように青年期の優位性は、少なくとも男子では向社会的、攻撃的戦略双方を含みます。個体が獲得のために争う資源は異性関係です。この時期は性的に成熟し、性的活動が開始されるという点で特徴的です。親和的要素、人気という指標と攻撃的要素、観察あるいは自己報告による攻撃性という指標は、独立に優位性を構成しており、それぞれ独自に、男子の異性的魅力における分散を予測するといわれています。それは、クラスの女子による仮想上のパーティに招待されるという指標のようなものです。

青年期初期の優位性は、いくつかの点で子ども期とは異なります。それらの違いはおそらく、身体の大きさが急激に変化することからわかりますが、思春期の移行や、小学校から中学校への移行に関連して起こる変化によって生じます。これらの変化がそれぞれ意味するのは、小学校で築き上げた関係の中では身体が最も大きかった状態から、新しくより大きな集団では最も身体が小さい状態へ移行するにあたって、仲間集団における地位を再交渉しなければならないということなのです。最近の縦断的研究によると、小学校から中学校へ移行していくときに男子の優位な地位が低下するそうです。その際、男子は新しい状況における優位な立場を確立する方法として、攻撃的な戦略を使用するようであり、小学校から中学校にかけて攻撃行動の頻度が上昇しました。しかし、中学校1年生の半ばまでには、攻撃行動は再度減少したそうです。

攻撃行動や優位性に見られるこのような発達的傾向は、優位性の論理と一致しています。つまり、優劣関係は個体同士が資源をめぐって競争し合うときに確立されます。一連の対決にもとづき、個体は他の個体との関連で自分の地位を知ります。

青年期の優位性” への9件のコメント

  1. 前回もコメントで書きましたが、今回のブログを読んでいて、ますます自分の子ども時代に合致した内容であることに驚いています。「身体的な暴力、たとえば石を投げるなどは、カウンセラーが介入してやめさせなければならないほど」これに近いことを「赤軍派ごっこ」としてやっていたことをもっと前のブログのコメントで書きました。「優位性」の件は本当にその通りだなと思ったところです。中学1年の後半になると、それまで優位な立場にあった人がそうならなくなる。少なくとも中学2年頃までにはかつての優位性保持者は従来のやり方ではその優位性を保持できなくなり、結果として、いわゆる不良の道に進んで自分の優位性を維持しようとしました。しかし、そうすることによって、私たちのグループからはずれ、成績も悪くなり、結局高校も中退して暴走族の道へ。そしてそのグループでリーダーとなり彼の優位性を保ったようです。残念ながら、その後どうなったかはわかりません。「優位性の論理」は集団が存在するところ、どこでも存在すると思います。その意味で、いわゆる“平等”はありえないような気がしています。ホモサピエンスの秩序維持に欠かせない優位性の論理なのでしょう。

  2. 「小学校で築き上げた関係の中では身体が最も大きかった状態から、新しくより大きな集団では最も身体が小さい状態へ移行するにあたって、仲間集団における地位を再交渉しなければならない」中学生の葛藤が目に浮かぶようで、このようなメカニズムでもってあの時期を過ごしていたのかと目の開く思いがしました。後輩に辛くあたる先輩もまたその優位性を確保しようとするが故なのですね、そのことを知っていたら色々な人を許すことができそうで、子どもたちがその時期に差し掛かる前にこのような情報を共有したいと思います。どう過ごしても平凡でいられないようなあの時期に、たくさん話せる相手になりたいと改めて思いました。

  3. いわゆる、思春期の時のあの安定しない心の中のようなものをキレイに整理ができていく思いです。なるほど、だからあんなに不安定だったのかと思えました。
    中学生では〝新しくより大きな集団では最も身体が小さい状態へ移行するにあたって、仲間集団における地位を再交渉しなければならない〟また、〝男子は新しい状況における優位な立場を確立する方法として、攻撃的な戦略を使用する〟などあり、極めつけは性的な成熟による異性間の問題もあり、そりゃあ不安定にもなるよな、と思えます。もう自分は思春期は通り越したので、息子たちの思春期時期は話しを聞いてあげれそうです。

  4. 「競争が続くにつれて集団内葛藤は減退し、集団の団結が高まり、相手の集団に対する敵対心というかたちで現れることが多くなった」とあり、自分が学生時代にサッカーをしていたころの姿と言いますか、特に中学生のころの心的状態にぴったりと当てはまります。集団競争の在り方にもよるようにも思いますが、集団競争は集団の団結力を高めるにはもってこいですが、他集団に対する敵対心から、攻撃性が高まってしまうのですね。人の特性として、自己や属する集団を肯定化するところがあるように感じていますが、集団競争はそれを急激に高めてしまう印象を受けました。また「小学校から中学校へ移行していくときに男子の優位な地位が低下する」とあることから、小学校の時期には、足が速かったりと運動神経が良いだけで優位性が保てるような印象があり、中学生へと移行するにつれてそれだけでは優位性が保てなくなるように感じましたし、何より自分がそのような経験をしました。目に見えない部分にまで目が及ぶようになるのがちょうど中学生に移行する時期あたりからなのかなと感じました。

  5. サマーキャンプでの子ども達の姿を聞いて、様々な事を考えてしまいました。共通の敵が現れると、それまで敵対していた者同士が手を組み、集団凝集性が高まるのは納得できますが、高まりすぎる事で敵への攻撃がエスカレートしてしまうのは気をつけないといけません。それが戦国時代でいう「戦(いくさ)」現代では「戦争」のような気がしました。
    そして青年期の優位性ですが、中学〜大学まで部活を経験してきた身としては、より理解できます。ただ、そうした経験は社会に出ても同様で、私個人の考えとしては、そこでいかに折り合いをつけるかが重要な気がします。自分の地位を確立する為に攻撃行動をとってしまう中学生も、そんな経験を得て、自分の糧にし、社会で生き抜く力となるのだと思います。

  6. “競争が続くにつれて集団内葛藤は減退し、集団の団結が高まり、相手の集団に対する敵対心というかたちで現れることが多く”といった実験のなかで生まれた感情によってこのような形が現れるのは、近くにいる、共に生活することによって、人は、集団として団結することが必要だと生得的に認識があることがわかります。そして、それには、対集団のような自分が属していないものであれば、こちらの方が凄いとか相手の欠点を見つけるなど、優劣をつけたがるような気がします。このような意識ということが現れるのには、青年期にみられる身体的攻撃をしたり、この自分の今までいた地位が変化されるときにどう変化させるのかが、社会性のようにも感じます。先輩が後輩になめられないように威厳を見せたがるのはこういった背景があることを感じました。

  7. 「小学校で築き上げた関係の中では身体が最も大きかった状態から、新しくより大きな集団では最も身体が小さい状態へ移行するにあたって、仲間集団における地位を再交渉しなければならないということなのです」というところにその時期の葛藤というのを思い出します。その地位が明確ではなく不安定になり攻撃性がより強くなっている状態が少々の悪というかヤンキーのようになるのですね。また「優劣関係は個体同士が資源をめぐって競争し合うときに確立されます。一連の対決にもとづき、個体は他の個体との関連で自分の地位を知ります。」という資源をめぐることで優劣がつき自分の地位を知るというのは生きている限り理解できます。それはこれから体験していく子どもたちに対してなにができるか考えていきたいです。

  8. 小学校から中学校への移行でガラッと人が変わったようになる理由はそのようなところにあったのですね。短い期間ではありますが、小学校5年から6年に変化するとは全く違う変化がこの時期には見られますね。「小学校から中学校へ移行していくときに男子の優位な地位が低下するそうです。その際、男子は新しい状況における優位な立場を確立する方法として、攻撃的な戦略を使用するようであり、小学校から中学校にかけて攻撃行動の頻度が上昇しました」ともありましたが、集団に適応しようとする姿でもあるのですね。このような発達があるということを知っておくと、自分の子どもや、生徒が変化していっても少し安心してそれを受け止めることができるのかなと思いました。先日、議論したイヤイヤ期もそうですが、子どもの発達を理解するということはとても大切なことですね。

  9. 「小学校から中学校にかけて攻撃行動の頻度が上昇しました」とあります。思春期の時代でありますが、この時期の子どもたちの不安定さというのはこういった仲間集団における地位を再交渉しているころにもよるのでしょうか。環境の変化はヒトにとってとても大きな変化をもたらします。それはもう一度その環境における地位の再設定が行われるからなのですね。社会では様々なステージでこういった集団の地位がリセットされることが度々起きます。そこにうまく順応できる人もいれば、それがうまくできないことも多くあるでしょう。不登校やひきこもりの人は基本的にはこういった地位の再設定がうまくできなかったことによって起きてしまうのでしょうし、そのためには子ども期からの経験がとても重要になってくるのだと思います。

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