青年期の仲間

子どもは青年と比べて、大人のそばで過ごす時間が多いため、子どもたちの行動は監視されており、乱暴な行動や、攻撃行動、反社会的行動は少なくなります。一方、青年は仲間と過ごす時間が多く、大人の監督の目から離れているのです。このように直接的に監視されないため、青年は少なくとも一時的に、自分の仲間集団の価値に従い、それが大人の価値とは正反対のこともあります。しかし、青年期に親子の断絶が突然起こることはあまりありません。親子の断絶がある場合には、子どもの自立と管理をめぐる問題を中心とする、親子の葛藤が一般に高まっているようです。

仲間との相互作用は、子どもの頃の空想をテーマにした遊びや、取っ組み合い遊びから、男子では身体を使うゲーム、女子ではあまり身体を動かさない社会的な相互作用へと変化します。さらに、男子が男子の仲間と相互作用をする程度と頻度は低下していきます。またこの時期に、男子は男女混合の仲間集団で時間を過ごすことが多くなるようです。男子で身体を活発に動かす行動が減少するのは、女子の身体を動かさない行動スタイルに合わせるためかもしれないと言われています。この異性間の相互作用はそれぞれが性的に成熟する時期と一致し、おそらく、異性関係や、最終的な結婚に興味を抱くことを反映しているだろうと推測されます。

児童期後半と青年期に目立ってくる攻撃行動のかたちは、いじめだそうです。いじめは、強い者が弱い者に攻撃行動をしつこく繰り返すものです。いじめは女子より男子に多く、大半の産業国の小学校人口の約10%で起こているそうです。いじめは、小学校から中学校への移行に伴って増加し、青年期に入ると再び減少します。それはおそらく、若者が中学校で新しい社会集団を作っていく際、いじめが優位性を確定するために用いられるということだと推測されます。たとえは、男子は同性の仲間をいじめるのに身体的な攻撃を用い、女子は他の女子に関係的攻撃を用いることが多いが、どちらも資源を獲得するためです。攻撃行動の割合は、優位性が確定した後に減少します。いじめの被害者には、身体的に弱く、友達や仲間が少ない子どもがなりやすいと言われています。たしかに社会的な親和的関係が欠如すると、いじめの被害者になりやすいようです。しかし、いじめの被害者が社会的ネットワークに入るか、いじめの加害者がいる場から離れると、被害の受けやすさは低下するそうです。事実、さまざまな状況でいったんいじめの被害者と見なされた子どもたちも、まったく「健常」な発達をしているようです。このようないじめの被害者の適応性は、代替方策の概念をかなりうまく表しています。つまり、資源は、最優位の者やいじめの加害者だけではなく、他の集団のメンバーも獲得可能なのです。たとえば、低地位の者は、他の低地位の仲間や、第一位の者に挑みたいと考えている高地位の仲間と協力関係を築くことによって、資源を入手することができるのです。

今回、中学校で道徳が教科化され、それに沿った教科書が発表されました。その内容で、どの教科書も取り上げているのが、この「いじめ」についてです。しかし、このいじめの分析を見ると、少しその対応は違っているように感じます。道徳だけではなくならない気がします。もっと、人類の進化からの考察が必要な気がします。

青年期の仲間” への8件のコメント

  1. 優位性という性質がヒトの進化を後押しし、それとは逆の、いじめという行動へと駆り立てるのですね。その性質というものを理解することで、いじめるヒトのことも、また、いじめられたヒトのこれからについても、考えていくことができるようになるものなのかもわかりません。
    優位に立ちたい、という思いは優位ではない、という思いからきてはいないでしょうか。「攻撃行動の割合は、優位性が確定した後に減少します。」つまり優位であれば攻撃行動に出ないわけなので、攻撃行動に出るヒトは優位に立ちたい、という、言い方を変えれば、劣等感のようなものがそのスタートになってはしないかと考えます。自信の無さや、不安、心配、そういったものが助長させているとするならば、これ以上加害者も被害者も出ないように、安心して生きる生き方、幸せいっぱいに生きる生き方を、例えば道徳として教育者が体現していくというのはどうでしょうか。

  2. 子ども期から青年期への移行の過程、その違いが自分の中で明確になって、今までの自分の成長過程と照らし合わせると頷けるものばかりです。「男子で身体を活発に動かす行動が減少するのは、女子の身体を動かさない行動スタイルに合わせるためかもしれない」というのは、最終的な結婚に興味を抱くことなどの異性への興味、そして自分の属していた集団以外の人への理解などの多様性を認める幅、許容範囲の拡大のようにも感じました。また、「いじめが優位性を確定するために用いられる」ことは、優位性がもたらした人類の進化や繁栄を考えると自然発生的な要素を感じてしまいます。しかし、その過程を理解することで、違った形での優位性の確保はできないものかと考えてしまいます。「低地位の者は、他の低地位の仲間や、第一位の者に挑みたいと考えている高地位の仲間と協力関係を築くことによって、資源を入手することができる」とあったのは、よく漫画などで描かれるシーンですね。人と集団は切り離して考えることができないことが伝わってきます。

  3. いつまでたってもなくならない問題である「いじめ」について、藤森先生は〝人類の進化からの考察が必要〟だということなんですね。今回のブログの内容を読んでいると、不謹慎かもしれませんがいじめが必ずしも悪いものではないような気がしました。むしろ被害者、加害者の違いはあるかもしれませんが、発達段階として誰しもが通る道な感じがしました。ただその程度や度合い、不透明性などの問題があるのかもしれません。
    専門的でないかもしれませんが、昔と今では全く別物なのかもしれませんので、自分が思っているいじめと今の時代で問題になっているものとはちがうものかもしれません。ですが、根本のところは内容にあるように優位性などの人類の進化的視点から「そもそも」から考えていくとまた違った解決策が出てきそうですね。

  4. いじめに関していえば、青年期に特異な現象ではありません。大人になっても、その攻撃行動は止むところを知らないようです。大人のいじめの陰湿さは児童期後期より青年期に至るまでのそれより凄いようです。青年期、いじめに合い落命する若者がいます。大人社会のいじめは正義や正当性をその背後につけて実施される分辛辣を極めます。命に関わらなくても鬱病へと突き進んでしまうようです。「低地位の者は、他の低地位の仲間や、第一位の者に挑みたいと考えている高地位の仲間と協力関係を築く」いじめは別な負の関係を創出する。私はなるだけそうした関係に近づかないように気を付けたいものです。いじめは集団で起きます。ヒトの集団のネガティブ面の表れがいじめでしょう。嫌だなと思うのですが、このいじめなくなることはないでしょう。ならば、いじめられても、その場から逃れる、気をそらす、極めて鈍感になってその状況をやり過ごす、そうしたスキルが必要になるのでしょう。この力は就学前に獲得するものでしょう。

  5. 子ども期に見られた姿、性差による仲間との関係のもちかたが青年期になるにつれ、進化していく。しかし、この進化の過程には、子ども期の仲間との社会的相互作用があることによって青年期の仲間との関係作りをうまく形成できるものだと思います。また、いじめについての内容がありました。最近では、いじめから死につながるまでの社会的な現象もあり、相手のことを考えれる力がどのような環境によって育てられるのか見直すことが取り組みとして、あげられていますが、改善の糸口はつかめていないようで藤森先生の”もっと、人類の進化からの考察”という言葉があり、人類は、そもそもなぜ相手へ攻撃的行動をとるのか、集団のなかで優劣をつけたり、また、疎外しようとしたりするのか、生きていくなかでの集団の作り方、集団としてうまく関係を気付き、構築していく点を考える必要性を感じます。

  6. 「男子は同性の仲間をいじめるのに身体的な攻撃を用い、女子は他の女子に関係的攻撃を用いることが多いが、どちらも資源を獲得するためです。攻撃行動の割合は、優位性が確定した後に減少します。」とあります。加害者というのは優位ではなく優位になるために攻撃を行おうとしているということでしょうか。また「さまざまな状況でいったんいじめの被害者と見なされた子どもたちも、まったく「健常」な発達をしているようです。」というのも気になるところで、「いじめの加害者がいる場から離れる」ことで被害が低下するというのは納得がいきますが、極端な話加害者も被害者も悪いというわけではないような印象を受けますね。それを「人類の進化からの考察が必要な気がします。」というこれからの考察には教育に携わる人全てが目を通してほしい事柄ですね。

  7. 青年が仲間集団の価値に従うというのは、なんとなく私も経験あります。大人の価値と正反対というのも理解できますが、だからと言って親子の関係が悪いわけではありません。その時期がちょうど反抗期に当てはまるのでしょうか。その時期はやたら「仲間意識」がとても強かったイメージです。それは職場の仲間意識というよりは、変に仲間から外れないようにする、それこそ外れたら「いじめ」られるのではないか?という意識がありました。そもそも「いじめ」がなぜ起きるのか?藤森先生が考えられる「人類の進化」からどう捉えるのか、楽しみです。

  8. 「親子の断絶がある場合には、子どもの自立と管理をめぐる問題を中心とする、親子の葛藤が一般に高まっているようです」というのは興味深いですね。子どもが発達することで生じる変化を親がしっかりと理解することが必要なのかもしれません。親にとっては子どもはいつまでも子どもであるというような言葉も耳にしますが、子どもは児童から青年へと変化していっているということも知らなければいけないのかもしれませんね。いじめについてありました。いじめというのはなかなかなくなりませんね。陰湿な人への接し方というのは大人の社会でも存在しています。「いじめの被害者が社会的ネットワークに入るか、いじめの加害者がいる場から離れると、被害の受けやすさは低下するそうです」とありましたが、何か嫌なことをされたり、辛い出来事が起こった時に、それに対応できるような、立ち直れるような力を持っていたいなと思いました。

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