遊びの重要性

ビョークランドは、遊びはヒト特有のものではありませんが、とても重要なものと考えているようです。事実、歴史学者のヨハン・ホイジンガは、ヒトをホモ・ルーデンス、「遊ぶ人」と呼んだことを例に挙げています。ホイジンガによると、遊びは文化より古く、文明化によって大きく変化することはありませんでしたし、「ヒト社会の偉大な原型的活動」が始まったときから行き渡っていたと言います。系統発生的にいえば遊びは実に古く、大半の哺乳類や、一部の爬虫類にさえも見られるそうです。さらに遊びは未成熟期の特徴であり、それほど多くはないそうですが成体にも見られるようです。

ビョークランドは、遊びはヒトの発達にいかに重要であり、また進化的視点をもつことによって、遊びがヒトの社会的、情緒的、認知的発達に果たす役割の理解が進むであろうと考えています。

遊びは「明確な機能をもたない」ものと定義されることが多いと言います。進化論者やホイジンガのような歴史学者は、遊びに機能がないと考えることはなかったそうですが、遊びの機能の本質については白熱した議論が展開されてきました。実際、行動生物学者や発達心理学者の中には、動物や子どもは遊びにかなりの時間とエネルギーを注いでおり、したがって、進化的視点から見ると、重要な機能があるはずだと主張する者もいるそうです。遊びには先送り機能あるいは遅延機能、つまり後の成人行動の準備としての機能があると解釈されるのが一般的だそうです。しかし、子ども時代を生きのびて、性的に成熟することが必要であるため遊びには即時的利益もあるという見解もあり、自然淘汰が子ども時代に機能的な圧力をかけたという視点と一致してそうです。

遊びは、社会生物学者や行動生物学者、子どもを研究する発達学者を長年にわたって特に魅了してきましたが、定義にも機能の同定にも困難が伴っていました。それらの難問に対応する方法のひとつが、遊びを子どもが行うすべてのことと定義し、それに対応する無数の機能をあげることだったそうです。少なくともグロースに始まって、遊びは未成熟期の特質と考えられるようになったそうです。彼やその後の多くの学者たちが、遊びには多くの重要な発達的機能があると主張しています。この見解によれば、子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができるのだということです。

動物や子どもの遊びの研究者のなかには遊びは創造性や行動的柔軟性の源であり、最終的には古い問題を解決するための新しい方法を発見することにつながると考えた者もいたそうです。そして、若い動物には遊びを好む傾向と好奇心があるために、革新をもたらすのは大人ではなく若者であることが多いことがわかっています。この主張を支持するのは、論争を呼んだイモを洗うニホンザルの観察だと言われています。日本の科学者グループが野生ザルの群れにサツマイモを与えましたが、たいてい土まみれでした。ある若いサルが食べる前にイモを海水で洗うことを学習し、それに続いて他の若いサル、次に大人のメスが学習しました。しかし、大人のオスが学習することはほとんどなかったそうです。この新たな方法は「文化」の一部として乳児にも伝えられていったそうです。重要な文化的革新が、ヒトの子どもの遊びを通して起こるとは考えにくいですが、子どもが遊びを通して発見することは後の革新や真の創造性の基盤として役立ち、後の生活において重要なものとなる可能性があると考えられています。

遊びの重要性” への9件のコメント

  1. 歴史学者ホイジンガ―、著書『中世の秋』は学生の頃、そのタイトルを目にしては、いつか読まなければ、と思いつつ、結局読まずじまいに終わった本でした。あぁ、懐かしい。同氏はオランダ人で、しかもサンスクリット語学者。何か縁を感じてしまいます。さて、ホモサピエンスは「知識をもつ人」ですが、私としてはホイジンガ―が用いたホモルーデンス「遊び人」がぴったりきますね。「ホモルーデンス」これからこの用語を使っていきたいと思いました。「子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができる」私自身常々そう思っていますので本文に出会い、思わず快哉を叫んでしまいました。「若い動物には遊びを好む傾向と好奇心があるために、革新をもたらすのは大人ではなく若者であることが多いことがわかっています。」というところにも反応しました。遊びと好奇心は若者であることの証。年齢で若者・大人と区別するのではなく、遊びと好奇心の有無あるいはグラデーションで若者・大人を区別判断するのが妥当でしょう。子どもたちの斬新な発想、これこそが人類の未来を形成していく原動力となるのでしょう。

  2. 最後の段落はとてもインパクトがあります。やはり改めて子どもの遊びの重要性を感じると同時に、遊んでいるその子自身だけでなく、それを見守る大人も、実はそこから学び得るものがあるということをもう少し理解しなければならないのかもわかりません。「重要な文化的革新が、ヒトの子どもの遊びを通して起こるとは考えにくいですが、」ですが、革新的なアイディアに遊び心は必要不可欠のように思われます。「しかし、大人のオスが学習することはほとんどなかった」この事実を胸に、遊び心や、子ども、若い世代から学ぶ気持ちを忘れてはならないと思いました。

  3. 〝子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができる〟とありました。全くその通りだと思っていますし、だからこそ途中で止めてしまわないように努めなければならないものだと思います。
    子どもたちは何もないところから遊びを想像して創造し、そこから社会で生きていくためのスキルを学ぶとなると、大人には真似のできないものであり、もはや大人の物差しでは計れない崇高なものであるイメージを持ちます。

  4. 「遊びには先送り機能あるいは遅延機能、つまり後の成人行動の準備としての機能があると解釈される」ことが一般的なのですね。子どもにとって、「遊び=学び」や「遊びを通して様々なことを学ぶ」とよく聞きますが、そもそもにホイジンガの言うように「人=遊ぶ人」であり、「子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができる」ともありますが、大きく見て、人類は遊びを通して生きるための力を学んでいるように感じました。また「革新をもたらすのは大人ではなく若者であることが多い」ことを支持するイモを洗うニホンザルの観察はとても興味深く、特に若いサル、大人のメスが学習したにも関わらず、大人のオスが学習することはほとんどなかったことは種は違えど同じ大人のオスとして少し悲しくなりました。個人差は必ずあると思いますが、どの種も大人のオスが最も柔軟性に乏しいのでしょうか。

  5. “子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができる”とあることは、やはり、子どもにとっての遊びの重要性を感じます。そして、遊びというものは、私たちにとっていつ始まり、遊ぼうと思って始まるのではなく、自然に行動することが生きていくためのスキルを身に付けると生得的にもった力なのでしょうね。子どもの自発的部分には、こういった姿を大切にしなければという考えをもてます。そのことを考えれば、文章の最後にあることのような先の文化を見通した行動なのかと不思議さを感じます。

  6. イモを洗うニホンザルの話は初めて聞きましたが、大人のオスがなぜ真似をしなかったのか気になりますが、面白い内容です。子どもの遊びについての考え方が書かれてありますが、やはり刷り込みというか「遊び」と聞くと意味が無いものとして捉えてしまいますが、藤森先生の講演やブログ、そして現場の子どもたちを見ていると「遊び」の重要性に気づきます。では具体的に子どもの遊びが社会にどう役に立っているのか?聞かれると正直、分かりませんし、自分自身も幼児期の遊びがどう影響しているのか実感が湧きませんが、見えない所で影響していたりするのかもしれません。その時期の楽しかった経験が生活に潤いを与えてくれたり、心の拠り所があったり、人によって遊びがもたらす影響は様々なような気がします。

  7. 「遊びは文化より古く、文明化によって大きく変化することはありませんでしたし、「ヒト社会の偉大な原型的活動」が始まったときから行き渡っていたと言います。」とあり、「遊び」がいかに古くから存在していたことに驚きです。そして、「若い動物には遊びを好む傾向と好奇心があるために、革新をもたらすのは大人ではなく若者であることが多いことがわかっています」「大人のオスが学習することはほとんどなかったそうです。」というのが印象的で、より「子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができる」という部分を大切に保育をしなくてはいけないことと、男性の大人の性質を理解し、役割を担っていかなければならないですね。

  8. 「遊びは文化より古く、文明化によって大きく変化することはありませんでしたし…」とありましたが、なんだかとても壮大なものを感じるようであります。また「定義にも機能の同定にも困難が伴っていました」ともありました。このあたりが歯がゆいところですね。定義はできていなくても明らかに重要なことは分かっているが、やはりそれは定義できたり、証明できないとその力があるということにはならないというのはなんとももどかしい気がしてきます。そして、「子どもは遊びを通して、成人してうまく生きていくために必要なスキルを学ぶことができるのだということです」という言葉や「若い動物には遊びを好む傾向と好奇心があるために、革新をもたらすのは大人ではなく若者であることが多いことがわかっています」という言葉はとても印象に残りました。子どもを見ていると遊びの達人、楽しみを見つけ出す達人だなと思うことがあります。少し飛躍してしまうかもしれませんが、目の前のことをポジティブなこととして受け止めることは本当に生きていく上で大切な力ですね。そして、若い動物のことについてありました。若い人には若い人の、経験を積んだ人には経験を積んだ人の役割があるということを感じます。

  9. 教育の基盤的なものが語られているように感じます。「遊びを子どもが行うすべてのことと定義し、それに対応する無数の機能を挙げることだった。」というのは教育要領や指針にも同じようなとらえ方がされているように感じます。しかし、大人はどこかで「遊び」と「そのほかの活動」を分けて考えているようにも思います。普段の子どもたちの行動を見ていても、こちらが教えなくても子どもたちは生活や遊びの中で自然と試し、失敗や成功を繰り返しながら学んでいるということを感じます。それが学びであり、いつの間にか現在では大人が教育し学ばせるようになってきていることで本来の力が弱くなっているように感じます。「子どもが遊びを通して発見することは後の革新や真の創造性の基盤として、役立ち、後の生活において重要なものとなる可能性がある」ということはしっかりと理解していかなければいけないなととても感じます。

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