遊びの三つの形式

遊びを定義するための多次元的アプローチは有用であり、その活動が遊び的であるかどうかを決定するのに、観察者がさまざまな手がかりから情報をどう結合するかについて検討した研究がいくつかあるそうです。行動に先立つものや結果は現象を識別する上で役立つかもしれませんが、それらはそれぞれ行動を誘発するものと行動の結果と見なされるべきであって、行動それ自体の構成要素ではないと言います。したがって、これらの次元を概念的に区別しておくことは、特に遊びが発達に果たす機能の役割を考えるときには重要だと言われています。

子どもの頃のさまざまな形式の遊びを調査すれば、遊びが多次元的な構造をもつことは明らかだと言います。遊びはすぐそれとわかり、哺乳類全般に見られます。そのことから示唆されるのは、共通の系統発生史があるか、あるいは哺乳類という種に共通の淘汰圧が働いた可能性があるということだと考えられています。主に未成熟期に生じる遊びの形式は、行動生物学者や子どもを研究する発達学者たちによって、それぞれ別個に区分されてきました。

行動生物学者は一般的に、身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式をあげ、それらはすべてが一見して無目的であると考えています。子どもを研究する発達学者もそれらの形式の遊びを研究してきたそうですが、ふり遊びやファンタジー遊び研究の方にもっと多くの時間を割いてきたそうです。たしかに、ファンタジー遊びは遊びの範例として児童心理学者に引用されることが多いようです。しかし、ヒト以外の動物が自然生態系の中でファンタジー遊びをするかについては、さまざまな議論があるそうです。

身体を動かす遊びでは、大げさで繰り返しのある動きが見られ、そうした動きは新しい順序で起こることが多いと言われています。それらの動きはピアジェやプルーナーが記述した、幼い子どもが自分の体の働き、彼らの世界にある物の働きを習得し始めた頃に行う行動です。社会的な遊びとは、子ども同士や、子どもと大人の間で行われる、一見目標がないように見える行動です。ヒト以外の動物では、大半の社会的な遊びは子ども同士で生じますが、ヒトでは、社会的遊びは大人と乳児の相互作用にまず現れ、後に仲間との遊びに生じると言われています。物を使った遊びは、ひとり遊びにも社会的遊びにもなりえるもので、知識を得ようとするのではないやり方で、ものの環境を操作することです。ファンタジー遊ひは社会的遊びにも非社会的な遊びにもなりえるもので、想像的で、物や遊び相手に「あたかも」何かであるかのように見たてます。これらのタイプの遊びに序列はないと考えられており、互いに同時に起こることも多いようです。たとえば、取っ組み合い遊びをしている2人の子どもは社会的でも、運動的でも、ファンタジー的でもありえます。たとえば、スーパーヒーローの戦いごっこなどがそうです。

大半の哺乳類が社会的な遊び、物を使った遊び、身体を動かす遊びを行うと言われています。動物の文献を幅広く概観すると、遊びには、動物の約10 %の時間とエネルギーが費やされていることが示夋されているそうです。一方で、子どもの遊びは、さまざまな形式の遊びに発達的な経過が見られる点で、ヒト以外の動物の遊びよりも分化していると言われています。この分化の一環として探索と遊びは分けて説明されてきたようですが、探索は情報を獲得するために物を操作するという点で、知識に関わっています。遊びは定義上そういう目標をもたないと言われています。

遊びの三つの形式” への9件のコメント

  1. 遊びの三形式、すなわち「身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊び」、こうした分類は遊びということを考える上で参考になります。園で遊ぶ子どもたちの活動を時々目にすると行動はこの三形式のいずれか、あるいは組み合わせによって成り立っていることに気づかされます。この中でも「社会的な遊び」に興味を惹かれます。「社会的遊びは大人と乳児の相互作用にまず現れ、後に仲間との遊びに生じる」とあります。子どもが社会性を獲得プロセスの一環としての「社会的な遊び」。20年告示の保育所保育指針にあった「大人との関係を起点として」とはこのことに関わって明文化されたのでしょう。今回の改定版ではこの部分が落ちていますね。残念なことです。やがて子ども同士、というそのプロセスを保育者が理解するために良い文言だと思っていました。「ファンタジー遊び」、この表現自体面白いですね。私が子どもの頃はウルトラマンごっことか、仮面ライダーごっこでしたが、今時の子どもたちは〇〇レンジャーとかプリキュア〇〇でしょうか。私たちより以前だったら、月光仮面ごっことか・・・。「想像的で、物や遊び相手に「あたかも」何かであるかのように見たてます。」これが「見たて遊び」でしょう。「あたかも」、これは比喩表現の獲得に発展するのでしょう。今回もたくさんの気づきを得ました。ありがとうございました。

  2. 定義をつけたり、形式や順序、条件などを設定することによってその本質に迫れる一方で、その本質から遠ざかってしまってはいないかと愚にもつかないような疑問を得るのは、それはむしろ新しい知見によって開かれた脳が、まだそのことにしっかりと反応をし、対応することが困難な為であると考えます。遊びというものを単純に捉えていた、つまりは不勉強な頭による葛藤であり、それを克服しなければ内容の理解まで到達できないことがわかります。遊びというものについて、何もわかっていなかったことを知りました。

  3. 〝身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式をあげ、それらはすべてが一見して無目的である〟とあり、そのような視点で子どもたちの「遊び」をみていくと、ゾーンの中にもそれらがあり、また複合的になっていたりすることに気がつきました。そのような視点でゾーンをみていっても多岐に渡ることが分かります。
    また、その中でも〝ファンタジー遊び〟は園でも家に帰っても見ることがあります。最近は2歳の次男も長男の影響で加わってますが、〝想像的で、物や遊び相手に「あたかも」何かであるかのように見たてます〟とあり、この「あたかも」という部分が子どもらしく、楽しい部分となっているように感じます。それを支えるおもちゃが高くてなかなか買ってあげられませんが…。無いなら無いなりの楽しみ方で遊ぶ子どもたちに感謝してます。

  4. 「一般的に、身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式をあげ、それらはすべてが一見して無目的であると考えています」とありました。無目的と考えられながらも遊びの重要性が説かれるわけですから、目的の有無が重要な要素ではないことがうかがえます。むしろプロセスから生まれる副産物のような印象を受けました。思い返してみると、ゾーン遊びには大人が設定した子どもの目的はなく、子どもたち自身も目的を持つというよりかは、成り行き的な要素が強く、自由な遊びの展開を保証しているなと再認識できました。また「動物の文献を幅広く概観すると、遊びには、動物の約10 %の時間とエネルギーが費やされていることが示夋されている」とありました。これは人生の10%が遊びであるとも言えることなのでしょうか。

  5. 身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式があるのですね。身体を使った遊びが手をおおげさに動かしたりし、それに社会的な遊びが合わせれば、戦いごっこのような相手との関係をもちながら、組み合わせた遊びが展開されます。この三つが形式としてあり、そのようななかで遊びが行動としてみれるのですね。また、社会的な遊びの内容にある”ヒト以外の動物では、大半の社会的な遊びは子ども同士で生じますが、ヒトでは、社会的遊びは大人と乳児の相互作用にまず現れ、後に仲間との遊びに生じる”とありました。つまり、大人と子どもとの関わりによるものがのちの子ども同士の関わりに影響を与えることを考えられます。大人を見て、真似をしたり、行動を観察することが得意な乳児の頃から大人という存在が重要なことは、社会的遊びにつながる要因だということを考えることができました。

  6. 「身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式があげられ」とあり、この3つから子どもたちはそれらを組み合わせたり、またはそれのみをしているというのは現場を見ているとわかることかもしれません。さらにそこにファンタジー遊びとありました。「ファンタジー」という表現がとても印象的で子どもの頃の仮面ライダーになりきって見えない敵を倒していたことを思い出します。「想像的で、物や遊び相手に「あたかも」何かであるかのように見たてます。」というのは個人的には大事なことで、想像力が将来なにか作ることに役立つのではないかと思えます。

  7. 身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式があり、どれも目的がないという考え方と書いてあります。ふり遊び、ファンタジー遊びの方に研究の時間を割いてきたとも書かれてありますが、確かにごっこ遊びなどの方が目的が明確であるぶん、児童心理学に通じるものがあるのかもしれません。しかし、遊びは複雑というか、子ども達の遊んでいる様子を見ていると、3つの形式で書かれてある遊びが交差し、同時に起こることで、目的が見えてくるのでしょう。そもそも、子ども遊びというのは、子ども自身が作り上げ、想像が前提にあるように思えてきました。

  8. 遊びの分類として、「身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊び」とありました。このような見方で遊びを分類しているのですね。ただ、「遊び」といっても確かに子どもは様々な遊び方をしているように思います。それらをこのような分類分けをすることで見ようとしているのですね。そして、「これらのタイプの遊びに序列はないと考えられており、互いに同時に起こることも多いようです」とありました。遊びというのはとても奥が深いなと思わされます。遊んでいく中で、様々なことを体験し、新しい発見をしているのですね。そして、何よりすごいなと思うのがそれを楽しんでやっていることだなと感じます。話は逸れますが、私も未だに何かになりきるという遊びは暇があればしているように思います笑。

  9. 「身体を動かす遊び、社会的な遊び、物を使った遊びという3つの形式をあげ」とあるように子どもたちの遊びを三つに分類したのですね。そして、その中でもふり遊びやファンタジー遊び研究のほうにもっとも多くの時間を割いてきたとありますが、ファンタジー遊びというものは人間特有の遊びでもあるように思います。見立て遊びというものが他の哺乳類でもあるのか疑問にも思いますし、だからこそ、研究していく中でいろんなものが見えてきそうですね。また、こういった見立てるということは大人よりも子どものほうが活発に行われているでしょうし、子どもの遊びがヒト以外の動物の遊びよりも分化しているというのも分かる気がします。最後に「遊びは定義上そういう目標をもたない」とあくまで知識を得ることではなく、意味のないものとしてとらえられていますが、また、軽いロジックにかかったようで理解が追いつかない部分があります。

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