社会的行動の発達

世界中の子どもが、先史時代を含めた歴史を通して直面してきた社会的環境は多様であり、それに効果的に対処するために子どもや大人が発達させてきた行動的解決法はひとつではありませんが、多くの共通点や社会的発達を記述、説明、予測することができるいくつかの全般的な進化のメカニズムがあると言います。たとえば、うまくいっているヒトの社会的相互作用は、協力などの親和的行動、敵対行動.特に攻撃的行動から成り立っています。これらの形式の相互作用は年齢とともに複雑になっていきますが、生涯を通じて現れ、ヒト以外の霊長類にも見られるそうです。通例、これらの行動の価値は進化の経済モデル、つまり、ある状況における特定の行動のコストと利益のバランスから理解できると言います。しかし、親の投資などの他の進化理論でも、どういった状況で、攻撃的に、あるいは暴力的にふるまう人が出てくるのかを予測することができると言います。また、現代の考え方からすると、そういった一見非生産的な行動が進化によるメカニズムに由来するものであり、古代の環境においては平均してコストを上回る利益を生み出していたことを理解するのに役だと言うのです。

二者間の協力関係や地位追求、内集団びいきや外集団回避に対して進化によるバイアスがありますが、特定の社会的行動は子どもと環境間の動的な相乗的相互作用の結果獲得されることを、ビョークランドらは、ひき続き重視していきたいと述べています。この相乗的相互作用の多くや、子どもが社会的発達について学ぶことの多くは、特に幼児期を過ぎてから仲間とともに生じると言います。おそらく、最も社会的に適切な情報を仲間とともに学んでいくのは、遊びを通した「メカニズム」であるということで、彼は、次に遊びの重要性を考察しています。

乳幼児期における学びは「遊び」であることはよく知られています。しかし、以前に私が課題として投げかけたものの一つに、遊びにおける目的です。遊びには目的がないゆえに素晴らしいものということがあります。それを、逆に目的がないために学びがないという考え方をもあります。また、生活と遊びによって乳幼児は発達していくと言いますが、生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?たとえば、乳児が食事の時に机をたたいていると注意されますが、太鼓をたたいていると遊んでいると喜ばれます。しかし、赤ちゃんからすれば、その区別は特にありません。ともに、発達上必要なことを行動に表しているにすぎません。

「幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方について」の報告書には、遊びについてこう書かれてあります。「幼児期の教育は環境を通して行うこと、幼児の生活や経験からの学び、自発的な活動を重視している。これにふさわしい指導方法が遊びを通した総合的な指導である。幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのものであり、幼児が遊び込むことができる環境(学びに深さと広がりをもたらす環境)をいかに構築するかが教職員の指導における重要な課題となる。」

では、ビョークランドは、進化発達から考えて「遊び」をどのように捉えらているのでしょうか?

社会的行動の発達” への9件のコメント

  1. 「幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのもの」この言葉を保育として実践することが保育者の大きな仕事の一つである、とはっきりと認識出来るのは、その難しさと、それに伴うやりがいの大きさがそう思わせるのだろうと改めて思います。刷り込みのように染み付いているかのような、しきたりやルール、マナーというものの存在を無視することが出来ず、子どもたちにかける声は、それを踏襲したものになってしまう日常が思い出されます。
    文化の伝承であるという考え方もあります。ビョークランド氏がどのような知見を展開させているのか、とても興味が湧きます。

  2. ビョークランド博士の「特定の社会的行動は子どもと環境間の動的な相乗的相互作用の結果獲得されること」とはまさに「環境を通して」行われる保育実践に通底していると思いました。「動的な」というところに関係のダイナミズムを感じますね。しかも、相乗的だし、相互に作用する。関係、関わりの大切さをこれほど簡潔かつ単刀直入に説示し切っている文章もさほど多くはない。「子どもと環境間の動的な相乗的相互作用」、このフレーズをしっかりと覚えておきたいものです。しかし、忘れっぽくなっているからなぁ、最近の自分は。何度か目にする必要が私の場合あるようです、このフレーズに関して。ビョークランド博士の「遊びの重要性の考察」については大変興味がありますね。次回のブログが楽しみです。その前に、遊びに関する藤森理論、これまた重要です。実に簡潔にまとめられています。今回のブログのポイントですね。遊びと生活、遊びと学び、これらのことについては、私たち保育に関わる者たちはしっかりと意識しておかなければならないことでしょう。今回も良い学びを得ました。

  3. 保育の仕事をさせてもらってから〝生活と遊びによって乳幼児は発達していくと言いますが、生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?〟というのは自分の中でも疑問でした。子どもたちにとっては生活も遊びであるように感じられることが多々ありました。その時点で大人と子どもとの感じ方の違いというか、大人の刷り込みがあるように思えます。〝発達上必要なことを行動に表している〟ということは、やはり、大人の刷り込みで行動を止めてしまうのはもったいないどころか阻害されてしまうことにつながりますね。
    今後の展開からその疑問が解けていくことになりそうで、楽しみになります。

  4. 「遊びには目的がないゆえに素晴らしいもの」と言われる反面、「目的がないために学びがない」という考え方もあるのですね。さらに「生活と遊びにはどのような区別があるのか」ともありました。これは保育をしていて、難しいなと思ったポイントです。同じ動作でも、例にもあったようにその対象が太鼓か机かで大人の対応が変わることがありますね。重要なのは「赤ちゃんからすれば、その区別は特にありません」というところで、大人の主観で判断するのではなく、あくまで赤ちゃん目線での捉え方を忘れてはいけないことを再認識できました。さらに「幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのものであり、幼児が遊び込むことができる環境(学びに深さと広がりをもたらす環境)をいかに構築するか」とあるように、子どもたちが熱中して遊ぶことができるゾーン環境をより充実させていきたいと思えました。

  5. “最も社会的に適切な情報を仲間とともに学んでいくのは、遊びを通した「メカニズム」である”とあることに、仲間という他者という存在があることで、遊びを通した学びがあることを改めて感じます。よく1人遊びとか3歳までは、人との関係をうまく築けないような偏ったかんがえかたがまだまだあるように思いますが、人は互いに助け合い、協力しあい、そして、争いながら生きてきた存在であることを考えれば、人類は生活(遊び〓学び)に、集団が必要であるというメカニズムが作り上げられていたことが考えられます。それが、それぞれに生きるために必要だと感じ、行動した自発的部分だと思い、それが、環境を通した遊びがな学びとなることには、子どもが自発的に働きかけれるような環境を用意しなければならないことがより納得いけるものとなります。

  6. 最も社会的に適切な情報を仲間とともに学んでいくのは、遊びを通した「メカニズム」と書かれてありますが、とても納得できます。実際に子どもたちを見ていると遊びはもちろん、日々の生活の中でも友達や、年上の友達を見ることで学んでいると思います。改めて仲間、集団の大切さを感じました。遊びに関しても目的がないから学びがないと書かれてありますが、大人からすると赤ちゃんの行動は意図が通じない事が多くあるかもしれませんが、藤森先生が言われるように、机を叩く行動は注意されますが、太鼓を叩いていると喜ばれるように、保育者が赤ちゃんの行動から結びつけ、取って代わる環境を用意しすることが大切だと思いました。

  7. 「最も社会的に適切な情報を仲間とともに学んでいくのは、遊びを通した「メカニズム」である」とあります。子どもたちの「遊び」というのは幅広いですし、「生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?」というところに行き着くのは保育をしていればわかります。そのために手作りおもちゃであったりその発達にあった環境を用意するのが保育者の役割というのもわかります。それを踏まえて進化発達から「遊び」を紐解いていくとどんなことがわかるのかというのは楽しみです。

  8. 相互作用という言葉が何度も出てきますが、それだけ私たち人類は他者との関係の中で発達し、進化してきたということを感じます。「仲間と共に学んでいく」という言葉がありましたが、やはり人は一人では生きていけないということを改めて感じさせられます。「生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?」とありましたが、なかなか適当な答えが思いつきません。乳児もこの遊びと生活を分けているというよりはあらゆる営みの中におもしろさや楽しさ、不思議さや発見を見出しながら活動しているように思います。そう思うと遊びというのは何かを行っていく上での楽しみ方を表した言葉でもあったりするのかなと感じました。なんだか自分でもよく分からないことを言っていますが、そんな感覚です笑

  9. これまでのブログの内容を見ていても、社会的関係性を持つことにつながるためには子ども同士が関わり合いながら学んでいることが言われてきました。そして、乳幼児の中でかかわりが起きるのは「遊び」の瞬間が多いですね。しかし、「生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか」とあるように、見方によっては生活の中での出来事と遊びは区別がつかないものもあります。また、子どもたちの相互作用が起きる瞬間はなにも遊びだけに限ったことではないというのも今保育をしていても強く感じるところです。まさに「幼児期の教育は遊びを通して行うこと」とあるように「遊び」のみくくられるものでもないように思いますが、とはいえ、「遊び」というものの定義づけや考え方はしっかりと持っておきたいものです。ビョークランドにとって遊びとはどういったものなのでしょうか。

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