子ども期の社会的相互作用

では、社会的相互作用について子ども期ではどうでしょうか?就学前児の社会的相互作用の研究は、児童心理学者ミルドレッド・パーテンのミネソタ大学における博士論文が先駆けとなったそうです。彼女は、子どもの社会的参加を、一人行動、平行的行動、連合的相互作用、協同的相互作用という視点から記述し、この順序で発達が連続的に進むという仮説を立てました。私は、これには少し異論があります。それは、彼女の論文に影響されて、乳児期では、一人行動をとり、その後、ヒトとかかわりを持たない平行的行動が現れるとし、それまでは、子ども集団ではなく、親子の関係をしっかり構築すべきである考え方が広がってしまったのです。実際に乳児を見ていると、子どもは早いうちから子ども同士が関わります。しかし、それは必ずしも一緒に遊んだり、協力したりするわけではなりませんが、相手をじっと見て学んだり、真似しようとしたり、その後の社会的かかわりを学んでいる時期であり、そのためにも子ども集団が早いうちから必要であるということを訴えてきました。

しかし、その後の研究によって、協同的な相互作用は時間とともに増加していきますが、パーテンが言ったような社会的相互作用は、個体発生的な順序を表してはいないことが見出されています。それどころか、平行的行動は子どもが社会的集団に仲間入りする際に用いられる方略であり、一人行動は協同的行動と比べて必ずしも「未成熟」ではないということが最近は主張されるようになっています。

社会的行動を種間で比較してみても、未成熟期の子どもはかなりの時間を誰かと相互作用して過ごしていることがわかると言います。研究者のなかには、霊長類に特徴的な長い未成熟期の重要な機能は、その期間に子どもが社会的スキルや関連する認知を身につけられることであると主張する者もいるようですが、私もその考えに同意をします。

幼児期では歩行期と比較すると、身体的な攻撃が減少し、ことばによる攻撃が増加します。しかし、就学前児の攻撃は歩行期と同じように物をめぐる争いの結果生じることが多いようです。この時期に身体的攻撃が相対的に減少するのは、おそらく、子どもが認知的方略、たとえば、満足の遅延や、言語的方略、たとえば、代替方略を呈示して妥協するということをよりうまく使えるようになった結果であろうと考えられています。就学前の時期の子どもが認知的に高度化していることは、関係的攻撃を用いる能力にも表れているようです。この時期に子ども、特に女児は、数ある戦略のなかでも疎外したり、うわさを広めたりすることによって、社会的関係を攻撃的に操作し始めます。すでに議論し、かつ攻撃行動や協力行動は興味深いかたちで一体となり、優位性というかたちで集団の構造に影響を与えます。しかし、優劣関係における関係的攻撃の位置づけはよくわかっておらず、それはおそらく、女性の優劣関係が十分に研究されていないためであるのではないかとビョークランドは言います。

では、青年期になるとどうなるでしょうか?子どもと青年の相互作用の基本的な違いは、それぞれの年代の集団が時間を過ごす場所と相手の違いと関連していると言います。

子ども期の社会的相互作用” への8件のコメント

  1. 「平行的行動は子どもが社会的集団に仲間入りする際に用いられる方略」藤森メソッドが提唱する赤ちゃんからの子ども同士の関わり、それらを後押しする研究内容に触れると時折鳥肌の立つ思いがしますが、「平行的行動」例えば平行遊びという一見関わりから遠そうな子どもたちの姿についても、それは方略である、と、一人で遊んでいるように見えて側にいる子どもを見ているではないか、と、現場にいるからこそわかる納得があります。特に集団、子ども社会を重視した環境の中にいるから尚更なのでしょう、見て、真似て、学んでいる子どもたちをリアルタイムで見ることができます。いつの間にか色々と出来るようになっていく子どもたちですが、その過程に友だちの存在、影響し合う仲間の存在がいることの大きさは計り知れないと思います。

  2. パーテン氏のお名前を目にするのは久しぶりですね。発達心理学者のボウルビィーとパーテンは「平行遊び」「平行的行動」ということで類似の理論を提起しています。それに対して我らが藤森先生曰く「実際に乳児を見ていると、子どもは早いうちから子ども同士が関わります。」現場からの実例提案。エリクソンの8段階説もそうですが、パーテン氏の「一人行動、平行的行動、連合的相互作用、協同的相互作用」という発達の段階的連続性はわかるようで、実は子どもが見せる行動の表面的理解のような気もします。現場を持つ私たちはもっともっとリアルな子ども及び子ども集団の行為ということをそれ以上でもそれ以下でもなく、ありのままに観察し、機能し、理論化して、将来の現実を予測する、という姿勢が必要な気がしました。「女児は、数ある戦略のなかでも疎外したり、うわさを広めたりすることによって、社会的関係を攻撃的に操作し始めます。」このことは何となくわかります。おそらく現場で日々そうした女児と関わっている保育者は明確に理解するのかもしれません。

  3. 「平行的行動は子どもが社会的集団に仲間入りする際に用いられる方略であり、一人行動は協同的行動と比べて必ずしも『未成熟』ではない」とありました。早いうちから始まる子ども同士の関わりの中には、一緒に遊んだり、協力する以外に、相手をじっと見て学んだり、真似しようとしたりといった関わりもありますね。その関わりを保証してあげるためにも乳児期という早い時期から子ども集団が必要であることを改めて感じることができますし、子どもたちの1つ1つの行動には、準備期であったりと全てに意味があることがより伝わってきます。また「女児は、数ある戦略のなかでも疎外したり、うわさを広めたりすることによって、社会的関係を攻撃的に操作し始めます」とあるのは、経験上すぐにイメージできます(笑)その性差の部分や発達の段階を理解しておくことが保育者として必要だと感じました。

  4. 「平行的行動」一緒のように行動していて、一見すると関わりのないようにみえる行動も〝相手をじっと見て学んだり、真似しようとしたり、その後の社会的かかわりを学んでいる時期〟であるという藤森先生の話しを初めて聞いた時には「たしかにね…」と妙に納得したのを覚えています。というより、今では、なんで平行遊びが関わりがないと思っていたのか不思議に思います。
    昔は「関わる」の定義が大人目線というか、高いものであったんでしょう。今では現場にいて、毎日子どもと生活していることにより、自分自身も知らぬ間に成長できていて、その恩恵は計り知れません。子ども同士の関わりも同じように知らぬ間に計り知れない恩恵をお互いに与えているのが子ども集団の良さの一つですね。

  5. 平行遊びが発達の過程にあるのかもしれないが必ずしも、相手との関係がないのではなく、相手を見て学んで、真似をしてという集団遊びのなかでの相互作用が働いている関係という認識が現在はあり、言葉だけでは、そのまま解釈してしまう子どもの姿も子どものもつ力を考慮すれば、おのずとそういった見解をもつことを改めて感じます。それが、”平行的行動は子どもが社会的集団に仲間入りする際に用いられる方略”という点から考えられました。社会的相互作用のなかで、”女児は、数ある戦略のなかでも疎外したり、うわさを広めたりすることによって、社会的関係を攻撃的に操作し始めます。”とあり、園のなかで、5、6歳頃の女の子に見られる姿だなと当てはまる部分が頭に浮かびました。しかし、それが”優劣関係における関係的攻撃の位置づけはよくわかっておらず”とあり、女の子のなかで、それが集団のなかでの関係性のなかで、うわなきゃいいのにとか、なんで、うまく集団から一人を離そうとしたするのか、あの子と一緒が気が合うのにと、私自身、客観的に思うことと優劣関係がわかっていないともわかる反面、それとは違う解釈がまだまだ研究されていないとなんだか、頭のなかで、整理が必要になりました。

  6. 子どもの平行遊びにも、そのあとの「集団」を意識するための準備期として、ちゃんと意味があるという事に、子どもの一つ一つの行動、大人からしたら「?」という行動も成長するためには大切な過程だという事が伺えます。未成熟期に子どもは長い時間、誰かと相互作用して過ごしていると書いてありますが、その「誰か」というのが個人的に重要な気がしました。瞬間的には親や先生と捉えてしまうのかもしれませんが、やはり子ども集団のような気がします。いま、新年度を迎えて赤ちゃんがたくさん入園しましたが、初めて自分以外の子ども達を見て、過ごして、または年上の子どもをみる事で、多くの事を学んでいるのでしょうね。

  7. 「就学前の時期の子どもが認知的に高度化していることは、関係的攻撃を用いる能力にも表れているようです。この時期に子ども、特に女児は、数ある戦略のなかでも疎外したり、うわさを広めたりすることによって、社会的関係を攻撃的に操作し始めます」というのは年長組でよく見られるような光景ですね。やはり女児がそういった関係的攻撃をしている姿を見ますが、それはおそらく長い期間続くのですかね。それに対して「女性の優劣関係が十分に研究されていないためであるのではないか」とあり、これからこの研究が進められどんなことがわかり対処していかなければならないかがわかるとより面白いのかなと感じます。

  8. 「霊長類に特徴的な長い未成熟期の重要な機能は、その期間に子どもが社会的スキルや関連する認知を身につけられることであると主張する者もいるようですが、私もその考えに同意をします」とありました。その時、その時期に重要な発達があるということを感じますし、社会的スキルが人が生きていく上でどれだけ重要なものであるのかということを改めて感じます。また「特に女児は、数ある戦略のなかでも疎外したり、うわさを広めたりすることによって、社会的関係を攻撃的に操作し始めます」ともありました。年長の女児になるとこういった姿をまさに見かけるようになります。女の子ってこうだよな〜と思っていましたが、それはやはり集団の中で過ごしているからこそ自然と生まれるものでもあるのですね。また違った視点で子どもを見ることができそうです。

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