子どもの遊びの理解

子どもの遊びの理解はたしかに種のすべてのメンバーの社会的、情緒的、知的発達を適切に理解することと関連していますが、遊びの性差に特に興味をもった研究者もいるそうです。進化心理学者は親の投資理論の予測に従い、行動の性差に焦点を当ててきたそうです。この理論によると、子どもに多くの投資をする性、大半の哺乳類ではメスだそうですが、より配偶者の選り好みをし、性交渉への同意に慎重だそうです。投資が少ない方は、哺乳類ではオスですが、配偶者の選り好みが少なく、投資が多い方の性に近づくため互いに競い合います。この理論では、これらの単純な差にもとづいて、オスとメスは繁殖行動と養育行動について異なる適応戦略を進化させ、ヒトもその例外ではないと考えられているそうです。

進化発達的な視点から考えれば、正固定的な成人行動が完全に形成された形で現れるということはなく、そういった行動の未成熟な形態が子どものころに見られ、それが大人への準備として役立っているはずだと言います。遊びは、子どもが社会的、物質的世界に関する情報を得る重要なメカニズムとして自然淘汰によって形成されたものであるとすれば、遊びにおける性差は男性と女性がもつバイアスを反映しており、男性と女性は異なる経験を志向し、異なる子どもや大人の生活様式の準備をしている可能性があると考えられます。そこで、遊びにおける性差を検討し、それらの違いを祖先の男性と女性にとって適応的な価値があった可能性という点から、ビョークランドは解釈しようとしています。彼は、適応的であると推定される乳幼児期の特徴がすべて、後の成人期への適応であるわけでは必ずしもないと再三言っています。それどころか、進化発達心理学の理論によれば、子どもの行動や認知のある側面は、進化の過程を通して、未来の環境に準備するためではなく、現在の環境に適応するように淘汰されてきたというのです。遊びには、種に普遍的な遊びの特徴にも、男性と女性で差のある特徴にも、即時的利益と遅延利益があるとビョークランドらは考えているそうです。

特に乳児期には、環境を利用して遊ぶよりも環境を探索することに多くの時間を割きますが、探索に使われる時間とエネルギー量を正確に実証した研究はないそうです。探索は情報収集の冒険であり、最も初期の形式では口に入れたり、物を単純にいじったりすることからわかります。探索する際、乳児は「それは何ができるのか?」という問いに導かれていると考えられています。この物への志向性は「それを使って何ができるか?」という、より人中心の志向性に導かれた遊びとは異なります。探索を通して子どもは身の周りの環境を知るようになります。この知識によって遊びの基礎が培われると言うのです。そういうものとして、探索は遊びとは区別して考えなければならないと言います。

同様の傾向がヒト以外の子どもにも存在するそうです。たとえば、家畜の子豚では新奇な刺激の探索は増加した後減少するそうですが、探索の減少に伴って物を使った遊びが増加するそうです。さらに、動物が自分の直接的なニッチにある物や同種個体に慣れてくると、他の場所に出かけて新奇なものを探索することが多いそうです。チンパンジーでも生後2ヶ月で探索が見られ、その後より遊び的な行動移行するそうです。

子どもの遊びの理解” への9件のコメント

  1. 今回のブログの中でいくつかの部分に反応します。まずは、大人の行動の未成熟な形態が子どもの遊びの中にはある、というところです。子ども時代に経験した遊びが大人になってその人の得意分野として開花する場合があるようです。自分自身について振り返ってもそのことに関して思い当たるところはありますね。次は「子どもの行動や認知のある側面は、進化の過程を通して、未来の環境に準備するためではなく、現在の環境に適応するように淘汰されてきた」というところです。ということは、子どもが置かれている現在環境が如何に大事であるか、ということでしょう。保育教育の世界は変化を嫌うためでしょうか、ひとつ前の時代に必要なことを現在も必要事項としてその実践に取り入れているような気がします。それゆえ、他の学問領域において自明のことがなかなか実践に反映されて来ないという側面があります。そして3つ目は、研究実証はまだのようですが「特に乳児期には、環境を探索することに多くの時間を割きます」というところです。乳児期の探索活動については、主に大人側の都合によって制約される傾向があるようです。人間が持つ可能性が奪われてしまっている、と考えるのは大げさでしょうか。

  2. 「探索は遊びとは区別して考えなければならない」その理由の解説に、とても納得しました。遊びへと移行する、というのでしょうか、発展していく為の基礎として探索がある。それは社会へ出て間もない新人の頃のようで、どこに何があって、どのような仕事があってと探索し、模索する時期に似ていますね。やがて身に付いたものを土台として発展させ、それぞれの役割の中で仕事を担っていきます。子どもの成長から学ぶことが多いのは、むしろ物事の本質が子どもの成長の中にあるからなのかもわかりません。

  3. 〝探索は遊びとは区別して考えなければならない〟とありました。探索というのは、次に遊ぶための準備をしている段階であるということがいえるようなことが書かれてありますが、例えを読みながら自分が就職して、初めての土地の土地勘を養おうといろんなところに行っていたのを思い出しました。〝探索を通して周りの環境を知る〟やはり子どもはアクティブというか、初めての土地なら知り合いもおらず、あまり出ていきたくないという大人もいると思いますが、子どもはそんなことよりも好奇心が勝ってしまうのでしょうか。そして、その先に遊びからの学びがあることも予感しているのかもしれませんね。

  4. 「子どもの行動や認知のある側面は、進化の過程を通して、未来の環境に準備するためではなく、現在の環境に適応するように淘汰されてきた」とありました。これは意外でした。自分の中で乳幼児の子どもたちの有能性が高くなりすぎているからか、その逆だと思ってしまいました。しかし、これにも意味があり、まだ未成熟であるからこそ、守ってもらう、生き抜くためには今ある環境への適応なのだろうなと解釈できました。
    「探索は遊びとは区別して考えなければならない」とありました。家畜の子豚やチンパンジーの話にもありましたが、探索から遊びへと移行する印象を子どもたちの姿からも感じています。コミュニケーションもまずは相手を知ることから始まるように、遊びにおいても周りの環境や玩具を知ることから始め、徐々に遊びに移るのだろうなと思いました。

  5. “子どもの行動や認知のある側面は、進化の過程を通して、未来の環境に準備するためではなく、現在の環境に適応するように淘汰されてきた”という点からも、子どもが大人になるために今という環境を生きているのではなく、今という環境のなかで考えながら、生活していくことがその経験によるものが大人になったときに重要な力の根元となることを感じ、そういった経験ができる環境、集団で学ぶ自立心などはこのような点が関係しているように思いました。
    “探索を通して子どもは身の周りの環境を知るようになります。この知識によって遊びの基礎が培われる”とあり、遊びにつながる探索、子どもの自発的行動が重要であり、大人主体でない環境が必要だと感じました。

  6. 「探索を通して子どもは身の周りの環境を知るようになります。この知識によって遊びの基礎が培われると言うのです。そういうものとして、探索は遊びとは区別して考えなければならない」という部分では今新園で働いている奥さんが悩んでいるところですもあります。0、1歳児クラスでは今探索が盛んに行われているようです。遊びとは違いそれが遊びの基礎になるということは理解しているものの、職員の配置であったりそれぞれの先生の許容範囲みたいなものが関係し、どこまでが…という線引きなど悩む時期でもあるのかなと奥さんの話を聞いて思います。いずれにしろその部分を大切に保育をし悩み話し合うこと、その、プロセスが大事なのでしょうね。

  7. 乳児の頃に見られる探索活動は発達として見られる分、保育室で見ていると遊びと定義してしまっていましたが、ビョークランドは区別して考えなければいけないと言っています。ちょうど次男が探索活動の時期であり、外に出かけると歩く度に自分の目に入る興味があるものに関心を抱き、じっくり見たり、触れたり、確かに遊ぶというよりは研究や実験をしているようにも見えます。そこで得た知識を元に遊びの基礎が培われるのであるとすると、この時期の子ども達が保育室でも散歩先でも色々な事に興味をもち、保育士の意図しない行動を取るのは当然なのかもしれません。その意味を私たちはしっかりと理解し、見守って上げなければいけませんね。

  8. 「子どもの行動や認知のある側面は、進化の過程を通して、未来の環境に準備するためではなく、現在の環境に適応するように淘汰されてきたというのです」という言葉が印象的でした。子どもや人の持つ柔軟さというのでしょうか、適応力には驚きます。目の前のことに向き合っていけばその先も見えてくるというのはなんだか人生を教えられているようにも思います。と、同時にやはり環境の大切さも感じます。また「探索を通して子どもは身の周りの環境を知るようになります。この知識によって遊びの基礎が培われると言うのです。そういうものとして、探索は遊びとは区別して考えなければならないと言います」とありました。探索と遊びは区別して考えなければいけないということになっているのですね。おもしろいです。そして、やはり人は生まれながらに知りたがりやなのですね。

  9. 「こどもの行動や認知のある側面は、進化の過程を通して、未来の環境に準備するためではなく、現在の環境に適応するように淘汰されてきた」とあります。探索活動はまさにそういった適応するための活動であるために、遊びではなく、遊びの基礎として捉えるため厳密には「遊び」ではないのですね。子どもたちの様子を見ていても、新しい場所や活動には慎重に取り組んでいるように見えますし、キョロキョロとあたりを見回して必死に情報を取り入れているように思います。こういった様子はほかの哺乳類でもあることなのですね。生物の生存本能にも起因するところがあるのでしょうか。

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