きょうだいの存在

きょうだいは、親子間と同じ割合の遺伝子を共有しています。つまり、「利己的遺伝子」の点から考えると、きょうだい間の関係性には親子関係と同じ部分が多くあるはずです。親子関係に見られるように、きょうだいも遺伝的な類似度が高いことから、互いの関心が促進されるはずだと考えられます。しかし、きょうだいは平均で50 %の遺伝子しか共有していないため、きょうだいが求める利益はまったく同じではなく、葛藤が生じるのは当然です。もちろん、親子関係ときょうだい関係には重要な違いがあると言います。最も明確な違いは、親は子どもの生存を保障するために、多くの時間、力、そして資源を子どもに捧げなければならないことです。きょうだいも大きくなると、弟や妹の世話をする責任をもたされることはありますが、彼らがきょうだいの「主要な養育者」となることは稀です。親子間の投資をめぐる葛藤に加えて、子どもは資源の配分をめぐるきょうだい間の葛藤をもつのだと言います。大人になってからよくきょうだいに向けて冗談で口にする「お母さんが一番好きなのはいつもあなただった」という嘆きは、半ば本心だったりすると言います。

子どもが確実に「期待」できるもの、たとえば、授乳をしてくれる母親の存在や、父親や血縁者からの社会的サポートなどもありますが、ヒトの家族には大きなばらつきがあると言います。そのひとつがきょうだいの存在だというのです。年上や年下のきょうだいがいるか?きょうだいの年齢差はどれくらいか?子どもが多い場合、家族を支える生態学的状況はどのようであるか?家族の中のそれぞれの子どもに親や他の家族はどのような反応をしているか?もしあるとすれば、きょうだい間で互いに果たすべき責任は何か?家庭内と比較して、家庭外ではどの程度資源をめぐる競争があるか?きょうだいがいるということは、ヒトの歴史を通じて、多くの子どもに避けて通れない現実でしたが、きょうだい関係の本質が何であるかを予測するのは簡単ではありません。きようだいは非常に近くで暮らしていて、親の注目をめぐる競争があるというだけでも、多少の葛藤は避けられないのです。一卵性双生児のきょうだいがいる人は、遺伝子がまったく同じでも葛藤はなくならないことを知っているだろうと言います。さらに、きょうだい関係の「閉鎖空間的」な性質、すなわち、発達のある時点まで、物理的に家族から離れる自由がありませんが、葛藤を増強していると考えられると言います。その一方で、きょうだいは物理的および遺伝的に近いというこの特徴は、少なくとも一定の条件下では、きょうだい間の仲間意識や心理的距離の近さ、協力を促進しているはずだと言います。以上の理由から、きょうだい間で生じる「問題」に対処するメカニズムが進化してきた可能性は高いと考えられます。ただし、そのメカニズムは比較的一般性が高く、柔軟なはずだと言います。第一子用あるいは弟妹用の心理的メカニズムが進化してきたとは考えられないというのです。むしろ、血縁認識を促進するメカニズムや、さまざまな地位、たとえば、弟妹、兄姉の競争相手に、生後初期から対処するためのメカニズム、特に親からの資源獲得に関連するメカニズムに、自然淘汰は作用してきたはずであるといいます。では、きょうだい間の葛藤と協力、出生順位の効果の可能性、および近親婚回避について、進化発達的な視点から検討するとどうかという課題をビョークランドは考察しています。