親の影響

ヒトが多様な養育行動に対して驚くほど柔軟であるというスカーの主張は、ある意味では正しいのですが、多くの心理学者が持つ関心とは水準が異なるため、手厳しく批判されてきたようです。子どもは様々な環境で成長し、種の生殖可能な成体となっていきますが、各個体がとる交配戦略には、親との相互作用の歴史が影響します。さらに言えば、性格や認知能力の個体差のほとんどは、直接的な遺伝効果と、間接的な遺伝効果ともいえる家庭環境の非共有に起因するものであるという行動遺伝学者の主張がありますが、その主張を認めたとしても、子どもには自身のニッチを求める機会がなければなりません。しかし、この機会が制限されるなら、子どもは「潜在能力をすべて引き出す」ことができないだろうとビョークランドは言います。たとえば、高い読み書き能力の素因をもつ子どもが本のない環境で育つと、高い学業成績は得られないということになるだろうというのです。

環境によってはまずまずの親では十分でない場合もあるという批判に、スカーは同意しているそうです。主流の文化に関わる機会や経験がない子どもは、その文化の大多数の子どもよりも知的、社会的に不利となるだろうと言うのです。スカーは、この影響は多くの場合、教育によって改善できると指摘しています。スカーと批判者との違いは、主として焦点の当てどころの違いにあるとビョークランドは考えています。スカーはそれぞれの子どもが種の機能的な一員となる過程に着目しているのに対し、批判者は文化の中における子どもの個人差に焦点を当てているのだと言うのです。

スカーの論点と批判者の論点のどちらをも支持するのが、「レジリエンス」の高い子どもに関す研究だそうです。レジリエンスの高い子どもとは、貧困や「ハイリスク」な環境で育っても、社会的能力および知的能力を発達させる子どものことであると説明しています。レジリエンスの高い子どもを成功に導くための唯一最も重要な要因は、生後初期からの適切な養育であるということがわかっているようです。このあたりの考察は、最近、この力の重要性が議論されている中、とても参考になります。この事実は、親子間の相互作用に見られる個人差が、子どもの最終的な成功に重大な影響を与えると指摘した、スカーへの批判と一致しています。

一方で、マステンとコーツワースは、多くの親が子どもに十分なあたたかさや支援を与えることができておらず、たとえ環境が不利であっても、親がそれほど大きな努力をせずに有能な子どもが育っことも指摘しています。「進化の過程で、発達を保護するよう子どもの養育が形成された。自然は、普通の親に子どもの発達を保護する強力なシステムをもたらしたのである。」と言っているのです。

ビョークランドは、結論として、子どもの健康な心を育てる上で、親はたしかに重要な役割を果たしていますが、ただ、ヒトの子どもは、幅広い親の行動を許容でき、そのなかで種の機能的な一員へと成長できるよう進化してきたと言います。だからといって、すべての大人が皆同じようによく機能できるというわけではないのです。特に、生殖以外に、現代の経済情勢に対する適応まで考慮に入れるならそうであると言います。養育パターンが心の発達に大きく関与するのは、この水準の個体差であると言います。さらにいえば、子どもの心の発達は家族以外の要因にも影響されると考えています。そのため、養育スタイルのみを関数として大人の適応を予測するのは、不可能ではないとしても難しいのではないかと言います。「子どもの人生は、そのすべてが親の手柄でも、親の責任でもない」というのが結論のようです。