継親の投資

親の投資理論に従えば、継親は、自分の生物学的な子ではないことが明らかな子どもの繁栄に、ほとんど興味を示さないはずだと言います。実子以外の子どもに資源を配分することによって、自身の繁殖適応度への直接的な利益が得られるとは考えにくいと言います。それどころか、継子に資源を与えるということは、他人の子どもの繁栄を保障する助けをすることになる。他者の子どもに資源を浪費する傾向には.淘汰は不利に働くはすである。しかし実際には、現代の多くの継家族で、継親は継子の世話に大きな役割を果たしています。しかし、継子に与える世話の量は、実子に与える量とは有意な差があることが多いのです。

継母の数と継父の数はほほ同数だそうですが、ほとんどの分析は継父と継子との関係性に焦点を当てたものです。その理由は、主に、実の両親が離婚する際には幼い子どもの養育権を母親がもつことが多いため、子どもは母親と継父と共に生活をする事例が多いこと、また、そうしたケースの方が、研究者がアプローチしやすいことによるそうです。以下に示す事例の多くは、継父子間のダイナミクスを検討したものですが、継母にも同様の過程が作用しているものと推測されるようです。

継親の投資に関する進化的な説明の多くは、継子に与える世話の量を継親の配偶努力と関連付けています。その議論では、女性にとっては、自身の子どもに関心が全くない男性と関係性を持つよりも、今いる子どもの援助に関心を示す男性と関係性を持つ方が有利と考えるのです。そのため、新しい配偶者を探している男性にとって最もよい方略は、配偶者となる可能性のある女性の子どもに対する気遣いを見せることです。そうすることで、男性は自分には価値があるということ、つまり、その女性および今いる子ども、さらには、これからふたりの間に生まれる子どもに対する投資を行う意志および能力があるということを、女性に納得させることができるのです。

継親が行う養育努力の裏には別の思惑があると疑うのは、少し残酷なように思えるかもしれませんが、このダイナミクスは、生物学的な父子関係の中で起こっていることとあまり変わりがないとも考えられると言います。実の父親の養育努力についても、その行動の背後にある本当の動機が何であるのかが問われてきたと言います。実の父親は、養育努力と配偶努力のかたちで子どもの適応度に貢献していると主張する研究者もいれば、父親による子どもへの投資は、配偶努力のかたちでのみ行われると主張する研究者もいるそうです。この論争は、いまだ決着がついていないそうですが、ひとつだけ直接的な通応度の観点から比較的はっきりといえることは、「継親に期待される子どもの適応度に対する投資量は、実親に期待される投資量よりも低い」ということだそうです。そのため、継親が行う投資は、実際の養育努力よりも配偶努力を日的とするものである可能性が高いと考えられるのだと言います。

しかしこれは、継親子間に、固い情緒的な絆が成をしないということではないと言います。多くの継親が継子を深く愛しているのです。しかし、多くの場合、継子との間に実子と同じような情緒的愛着を形成することは難しいとも、継親は感じているようです。アメリカ合衆国の中流階級の継家庭を対象としたある研究では、継子に対する何かの「親の感情」があると答えたのは、継父で53 % 、継母で25 %のみだったそうです。それでも、多くの継親子が親密な継続的な結びつきを形成していることについては、そうした結びつきに対する継親の動機が関連しているものと考えられます。

継親の投資” への10件のコメント

  1. 家内の叔父叔母には子がなく、養護施設から子どもを引き取り育てました。その子らはもう成人して自らの家族を持ったり、働いて自活したりするようになっています。継親と継子の関係。特に、継親による継子への投資の件については、ブログを読みながら、まぁそうだろうな、と思いつつ、「生みの親より育ての親」というフレーズが頭を過ります。育ての親が継親である可能性は否定できませんね。継親をやった家内の叔母は実子がいないことから継子たちにお金もエネルギーも費やしたそうです。とても子どもが欲しかった叔父叔母です。その叔父叔母夫婦に実子ができたなら、継子たちはどんな運命を辿ったのだろうか。「多くの継親が継子を深く愛しているのです。しかし、多くの場合、継子との間に実子と同じような情緒的愛着を形成することは難しいとも、継親は感じているようです。」このことも何となくですがわかります。継子と実子。親にとっての関係。血の問題。血で繋がっている、繋がっていないことの意味。いろいろと考えてしまいます。

  2. 「多くの継親子が親密な継続的な結びつきを形成していることについては、そうした結びつきに対する継親の動機が関連しているものと考えられます。」損得勘定を抜きにするのではなく、むしろそれが結果として子を愛し、パートナーを愛することへ繋がるのなら、損得勘定も結構、むしろ立派な動機であると言えるように思われました。投資理論にしてもそうですが、子育てと投資という新しい表現方法に出くわすと、人によっては年々強くなる刷り込みのようなものが邪魔をして、受け入れ難いというような脳の反応を引き起こすこともないことはないのでしょうが、新しい知見こそが、刷り込みや迷信などとは無縁の現代の子どもを見守る目への養分になるのだと心得る必要があるのかもわかりません。

  3. 「現代の多くの継家族で、継親は継子の世話に大きな役割を果たしている」事実は何とも微笑ましく感じました。しかし、継子に与える世話の量は、実子に与える量とは有意な差があることが多いともありましたが、こればかりはどうしようもないことなのかなとも思ってしまいました。継親となるのは継父が多いというのは、その理由からもとても納得がいきます。しかし、私が大学で児童虐待について学んでいた際のころの話ですが、「児童虐待は、自身が虐待された経験があり、それを我が子にもやってしまうという誤った伝承が最も多く、次が継親によるものが多い」と聞きました。そこで「継親が行う養育努力の裏には別の思惑があると疑うのは、少し残酷なように思える」ともあり、またその思惑が崩れたときに「継子に与える世話の量は、実子に与える量とは有意な差がある」という根本があることもあり、虐待などの結果にあらわれてしまうのかなとも感じました。

  4. 〝継親が行う投資は、実際の養育努力よりも配偶努力を日的とするものである可能性が高いと考えられる〟とありました。配偶することへの通過点としての養育ということなんですね。
    動機は置いておいてもどんな理由であろうと子どもへのお世話をするということ、そして、それが配偶者を大切にするということにも繋がるのではないかと思います。
    〝継子との間に実子と同じような情緒的愛着を形成することは難しい〟とあり、血が繋がっているかどうかというのは結構な重要なものであるということが分かりますね。それは、種としてのものだけであるのか、人間としてということで考えていくとどうなるのか、自分の中で考えても難しいですね。

  5. “女性にとっては、自身の子どもに関心が全くない男性と関係性を持つよりも、今いる子どもの援助に関心を示す男性と関係性を持つ方が有利と考えるのです。そのため、新しい配偶者を探している男性にとって~”とありました。考えると、養育におこける父親、または、男性の子育てへの関与、投資が母親にとって非常に重要であることがわかります。そうなると、ほんとの家族のつながりとは?と考えてしまいます。血で繋がってはいますが、子、母にとっての存在意義がなされない男性とは、と考えることが家族における役割を考えるきっかけになりそうです。

  6. 「女性にとっては、自身の子どもに関心が全くない男性と関係性を持つよりも、今いる子どもの援助に関心を示す男性と関係性を持つ方が有利と考えるのです」とありましたが、これは納得できますね。また、養育努力と配偶努力とありました。継父と実父との違いをこのような形で研究しているのですね。実父であってもやはり、いい家庭を築いていくためにはこの養育努力と配偶努力をバランスよく行っていくのが大切になってくるのかなとも思えてきます。どちらかに偏ってしまうとバランスが崩れてしまいそうですね。「多くの継親が継子を深く愛しているのです。しかし、多くの場合、継子との間に実子と同じような情緒的愛着を形成することは難しいとも、継親は感じているようです」というのも印象的でした。様々な家族の形がありまずが、人と人との繋がりというのは複雑だなと感じます。しかし、時にそのような生物学的なものを越える結びつきが生まれるのもまた人なのかなと思うと不思議だなと思わされます。

  7. ブログを読んでいて確かに納得できる箇所が多々あります。実子のためならば、体を張って守ることもできますし、どんなに辛いことでも実子の為と思えば乗り越えられます。では継子ならばどうか?と言われると正直、返事に困ります。ただ保育現場で働いているせいか分かりませんが、道端で他人の子が危険な目に遭いそうだったら瞬時に助けてしまうと思います。もちろん実子に対する感情とは比較はできませんが、園に来ている子ども達を見ていると、やはり頑張れるというか、少しでも彼らの役に立ちたいという思いはあります。それが園で働く原動力だと思います。なんだかコメントの内容がずれてしまいましたね。
    配偶努力と養育努力、個人的には両方が対になっている感じです。配偶努力を意識しているわけでもなく、養育努力も特別意識しているわけでなく、結局のところ家族全員が楽しく、幸せな生活を送るには?と考えればバランスよく保たれるような気がしました。

  8. 「多くの継親が継子を深く愛しているのです。しかし、多くの場合、継子との間に実子と同じような情緒的愛着を形成することは難しいとも、継親は感じているようです。」というのはわかるわけではないですが、予想がつきます。私の奥さんの親戚で現在実母と継父で子どもを育てている人を間近で見ています。継父の方は本当にいい方で尊敬しています。子どもたちも本当に信頼していることが見ていてわかります。その関係の中でもやはり、ほんの少しの何かが実父を思い出す時を垣間見る時もありますが、なんとも言えない感情になります。こうした関係の研究があり、知ることでそうなのか、思うと同時に情緒的な面で色々と考えてしまいますね。

  9. 再婚し、継父が継子のことを本当の血のつながったわが子のように愛せるのか?というとかろが書かれていました。自分の周りにも、再婚している家庭はありますし義理の親とうまくいっていたり、いなかったりする家庭があります。生物学的に考えても有意な差があると書かれていましたが、仕方のないことなのですね。保育士という職業も、似たところがあるのかもしれません。他人の子どもたちのことを、本当に愛し、その子のためを思って尽くすことができるのか問われる部分でもあるように感じます。無理してでも、他人の子どもを愛さなくてはいけないということではなく、保育士になるために必要な資質でもあるのかもしれません。そういった面から見ると、「保育士が誰でもできる職業である」とは言えないですね。

  10. 「継親は、自分の生物学的な子ではないことが明らかな子どもの繁栄に、ほとんど興味を示さないはず」という文面に、継親とはまた違いますが、保育者としての気持ちを考えてしまいました。最後に「継親子間に、固い情緒的な絆が成をしないわけではない」ということが書いてあり、少しほっとした気持ちが浮かびましたが、保育という現場の中でいかに子どもたちに気持ちを注ぐことができるかということを再認識させられた気がします。

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