様々な戦略

ビョークランドは、彼の著作の中で、繰り返し「ヒトは社会的な種であり、お互いに協力竸争し、理解し合う必要があったことが大きく関与して、現代のヒトの心が進化したのである。ホモ・サピンスは、進化によってヒトの集団生活への備えをもった。」と述べています。しかし、そういう準備があるからといって、繰り返し起こる社会的問題に対処する既成の解決方法を子どもがもっているということではないと言います。ヒトの社会的環境は多種多様であるため、よく相互作用をする相手と付き合っていくための方法を柔軟に身につけなければならないと言うのです。ということは、ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならないということです。

代替可能な社会的戦略があること、そしてそれらを用いることは、生物の発達環境を概念化する上で重要な例であり、環境は単に、ある行動やローレンツのいう意味での一連の行動を「解発する」だけではないということなのです。それどころか、生物には選択の余地があり、適合性を最大化する環境を選んだり、形づくったりしていきます。したがって、個体の発達は、個体と環境の相乗的相互作用の結果として起こる変化のプロセスとして概念化することができ、個体はさまざまな方法で発達的問題を解決していくのだと言うのです。つまり、発達に「王道」はないのです。ヒトが生まれるニッチの多様性、さらに、遺伝にもとづく個人差を考慮すれば、ヒトは繰り返し生じる発達的問題に取り組むためのさまざまな戦略をもっていることが必須なのだとビョークランドは言うのです。

社会的行動は、資源を得て、それを利用する機会を保持するために用いる戦略という点から概念化することができます。資源は繁殖や生存に関係しているからです。この点から考えると、社会的行動はさまざまな次元から分類することができるとビョークランドは言います。たとえば、行動価を記述することができると言うのです。それは友人関係や利他的行動や協力を反映したポジテイプなものかもしれないし、攻撃行動のようにネガテイプなものかもしれません。社会的行動は、もっと連関的なカテゴリーでも説明可能です。行動生物学者ロバート・ハインドは、たとえば、社会的行動は、相互作用、関係、構造という観点から記述できると主張しました。なお、構造とは社会的集団における行動を指します。ここで、ビョークランドは、ハインドの明確に進化的視点に立つモデルに従い、相互作用や関係、集団の中に見出されるポジテイプな社会的行動(協力)と、敵対的な社会的行動の発達を、ヒトの子どもと他の社会的な種に関して検討しようとしています。しかし、社会的行動の詳細を評価する前に、ます、社会的行動に関する進化論のいくつかの側面について彼は論じています。特に、自然淘汰と適応度において果たす役割という点から社会的行動を評価する方法について以下のように述べています。

進化論はその当初から、生存し、繁殖するための「闘争」の中で、個体が単独で、また集団の中で相互作用する方法を問題にしてきました。実際、行動や戦略の「機能」は、進化的な意味では繁殖価のことを指します。その際、行動の価値は、資源(配偶者や食料)の量が変化し、それらの資源をめぐって競争が生じる生態系において子孫が繁殖し、生存するという点で、利益を最大化する能力によって判断されます。利益を最大化する能力は、得ようとする利益に付随するコストやリスクとの関連から検討されると言います。

様々な戦略” への9件のコメント

  1. 「ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならない」至言溢れるこの度の内容です。つまりヒトは人間関係の中で成長を求められる生き物である、ということなのかもわかりません。「発達に「王道」はない」主観ですがこの言葉からは、個性を活かすというフレーズが浮かび上がってきます。それぞれに持ち得る個性を活かし、人間関係の中で成長をしていく。共生と貢献、という理念を思った時、社会、集団、人間関係というものが言葉の大前提にある、ということに気付かされます。ヒトとの関わりの中でヒトは成長していく、人工知能が発達したとして、そこまで高度にヒトの進化に携わることが可能なのか、疑問の湧く思いです。

  2. 今回のブログから、藤森先生が日ごろ提案されている保育教育に関連する点を読み取ることができます。まず、ブログにはこう書いてあります「ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならない」と。「見守る保育藤森メソッド」のポイントの一つが子どもの同士の関係の構築です。子どもは私たち大人が考えている社会を最初から生きているわけではなく、子ども同士の関わりを通して、すなわち子ども同士が織りなす社会を通じて成長していくのではないだろうかと思ったところです。また、「個体の発達は、個体と環境の相乗的相互作用の結果として起こる変化のプロセス」この点もその一つです。特に、「個体と環境の相乗的作用」の部分が重要でしょう。「保育は、環境を通して子どもの発達を保障」することです。子どもの取り巻く環境に対して自発的に関わることにより子どもの発達が保障されるということでしょう。「ヒトは繰り返し生じる発達的問題に取り組むためのさまざまな戦略をもっていることが必須」ともありました。そのためには、取り巻く環境との主体的な関わりを通して柔軟に生存戦略を身に着けていくことが必要なのだろうということにも気づきます。ビョークランド博士の進化発達論、勉強になりますね。

  3. 「ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならない」とあり、生まれながらに備えている社会的の能力を引き出すには、人との関係の中で学んでいく必要があることがわかります。それだけでも乳幼児期から保育園という集団で子ども間、親以外の大人との関係を構築できる環境が重要だと改めて感じることができます。また「発達に『王道』はない」とあったことが印象的で、結果的には同じ発達を遂げるにしても、過程は多種多様であるということでしょうか。1つの形にこだわり過ぎず、多種多様を認めてあげながら見守っていくスタンスがより子どもたちの発達を豊かにしていくと思えます。見守る保育の中にある5Mの1つの「結ぶ」の意味にある「子どもたちを結ぶ」ことを環境を通してより充実させていけるように実践していけたらと思います。

  4. 〝ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならない〟とあり、ヒトというのは常にヒトとの関係の中で生きて、学んでいくのだろうということを感じました。ヒトとしての能力を引き出すには、社会というヒトとヒトとの関係が築ける、保障できる環境が必要であり、そこにはいろんな人がいて、いろんな考えがあるという多種多様さを認めていけることが必要であると思います。
    このようなことは、子どもの頃だけのものではなく、大人になっても同じことが言えるのだと思います。社会から人間関係を学ぶことは生涯学習ということがいえるのかも知れません。

  5. 「ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならないということです」とありました。とても印象的な言葉です。社会的な生き物ではありますが、人との関係の中にいないとそれを学ぶことができないということになるのですね。教育というのは子どもの持っている力を引き出すことと、藤森先生も言われますが、まさに本来持っている力を引き出すための環境が重要であるということをこのことからも感じます。「個体はさまざまな方法で発達的問題を解決していくのだと言うのです」ともありました。これもやはり、子どもが持っている力、その人が持っている力の可能性を感じるようでもあります。その力の発揮が保証される場が必要になるのですね。

  6. “生物には選択の余地があり、適合性を最大化する環境を選んだり、形づくったりしていきます”とあり、人類もそのようにして、様々な選択をするなかで、環境のなかで、自分のもつ能力を最大限に発揮できるものを選んだり、適合するためには、必要な多種多様な社会の集団を必要としていると思いました。そして、”発達に「王道」はない”という言葉の通り、環境の変化、進化に合わせた適応力、その柔軟さがあるからこそ、人は、生きながら進化し、そして、社会行動を学び、集団のなかで、協力しあいながら生活しているのだと思うと、自然にその環境に適応していくためには、集団的のなかでの、行動(協力や助け合い、また、争いなど)が生き方を学んでいることを感じます。

  7. 「ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならない」というのはやはりインパクトがあります。この言葉を聞くと共生と貢献を思い浮かべます。共生はヒトがなければできませんし、貢献もヒトのためにということになります。ヒトがいて成り立つ言葉であることからより、この「共生と貢献」という言葉の奥深さを感じます。ヒトは生まれた時から人との関係の中にいるわけですから赤ちゃんの時なら学んでいかなければならないというのは当たり前のことですね。そう考えると赤ちゃんから様々な主張があっておかしくないことがわかります。

  8. 「発達に王道はない」この言葉に皆さんが反応しているように、私も読んだ瞬間に心に響きました。確かに保育者として保育室の環境を整えたとしても、全員が同じように理解し、行動するとは限りません。中には全く意図としない行動をとる子ども出てくるはずです。そこで大人の主観で判断するのでなく、個性をちゃんと理解してあげることですね。こうしてコメントを書いていると自分自身の行動を振り返ることができます。ここでは理解しているように書いていても、実際に現場では矛盾していることが多々あります。その矛盾を少しずつでも減らしていければいいですし、今回のブログは、見守る保育の真髄に近いものを感じました。

  9. 前回の話でもあったように環境に対する柔軟な適応度が必要とありますし、その社会的環境は多種多様とあります。そう考えると「発達に王道はない」というのはその通りなのだと思います。あくまで目安としての見方はあるでしょうが、その出方に個人差があるのは当然であると思います。しかし、最近の保育においては固定化された教育課程に子どもを当てはめすぎているように感じます。王道というものをつくりそこに乗せようとしているように感じます。「個体の発達は、個体と環境の相互的相互作用の結果としておこる」とあるように一人一人の子ども理解をすることがなによりも重要であり、こういった保育を進めていくことが必要とされるのですね。教育や保育というものがいつのまにか社会に向けてではなく、「学校に向けて」や「成績」という型にはまったものになりがちになっている昨今ですが、こういったヒトの進化を見ていくとそれらに大きな疑問がわいてきます。

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