なぜ、利他的行動?

資源をめぐって競争が生じる生態系において子孫が繁殖し、生存するという点で、利益を最大化する能力によって判断されます。利益を最大化する能力は、得ようとする利益に付随するコストやリスクとの関連からの見方では、ある個体が他の個体より得をするかどうかという点から容易に理解できるので、特にリスクが低い場合には、一連の社会的行動、たとえば攻撃行動を説明するのは容易であると言います。その場合、自然淘汰は、配偶者や資源を効果的に守るために攻撃行動を起こす個体に対して、明らかに有利に働きます。経済的観点からいうと、自然淘汰は利益がコストを上回る戦略に有利に働くのです。そのためたとえば、資源や配偶者を手に入れる機会を得るといった利益の方が死や負傷などの付随するコストを上回るなら、攻撃行動は選択されるでしょう。

攻撃行動に関連したコストが利益を上回る場合、たとえば、配偶者を確保するために衰弱するほどの傷を負う場合には、その攻撃行動は選択されないでしょう。攻撃性の適応度を説明するのは比較的単純ですが、進化論は当初、協力行動や利他的行動があることと折り合いをつけなければならないという困難を抱えていました。これまでの説明は、随分と難しく、回りくどい気がしますが、何度も言いますが、それが研究なのでしょう。要するに、私たちは進化の過程で、競争と協力の両面を持って生存してきました。その時、自分が生存するためには、相手を攻撃したり、相手の生存を阻止することで自分たちを守るということは容易に想像がつきますが、協力をするとか、自己犠牲を払うということは、一見自分たちの生存にどう結びついていくのかは見えにくいものです。とくに、自己犠牲の上で、他人のために行動すると行くことはどう理解したのでしょうか?また、、なぜ自然淘汰において有利に働くのでしょうか?

この問題を解決しようと試みたのが、群淘汰の理論だそうです。簡単にいうと、群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。

しかし、この理論は、分子生物学における発見や、 DNAコードの解読によって反撃を受けることとなったそうです。簡単にいえば、それらの進展により示唆されたのは、自然淘汰の単位は個体、より正確には遺伝子であり、集団ではないということなのです。したがって、進化論は利他的行動を説明するという難問に再び直面することになったのだそうです。

その中で、利他的行動を最初に説明したのは、ハミルトンの包括適応度の理論だそうです。この理論は後にトリヴァースが発展させたそうですが、この包括適応度の理論によると、個体の協力行動や利他的行動、反社会的行動は、相互作用する者同士の遺伝的血縁度の度合いによって変化するとしました。個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力すると言うのです。

なぜ、利他的行動?” への10件のコメント

  1. 「私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつく」ヒトは利己的な生き物でなく利他的な生き物であるという点、何とも興味深いのは、いよいよ利己的に生きる社会に限界がきつつあることが想像されるからです。テレビやニュースではそれぞれ角度を変えながらも、そのような話題に持ちきりのような気がします。利己的であることが遺伝子レベルで実はとても生きにくい生き方であるということ、このことがこれから益々理解され、支持されていくように思い、人類は誠実に進化することを望まれているように思えてきます。

  2. 「協力をするとか、自己犠牲を払うということは、一見自分たちの生存にどう結びついていくのかは見えにくいもの」とありました。しかし、見えにくいものにこそ、重要な要素を含んだものがあるように思えてきます。集団においても必ずと言っていいほど、表立っていませんが、欠かすことのできない「影の立役者」のような方がいる気がします。同義的に言ってしまうのは違うかもしれませんが、この影の立役者のようなものを協力や自己犠牲から感じました。さらに「私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつく」とあり、人が利他的な生存戦略を用いたということは、個人より集団を重視すると言いますか、集団には自分も含まれることを理解しているからこそなのかなと思えました。

  3. 今回のブログもかなり刺激的内容です。人間は協力し合う生き物だ、利他的な生き方が求められている、と私は思うのですが、やはり、事はそう単純ではないことが研究の結果から示されています。自然淘汰のルール?、すなわち利益とコストのルール。よくわかります。利益をもたらすとわかれば、争いや戦争をも辞さない要素を私たちヒトは持っている。逆にコストが利益を上回るとわかったら、コスパの悪い行為には手を極力だしたくなくなる。リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』という遺伝子論を展開しました。ご紹介頂いて貪るようにして読んだことを記憶しています。遺伝子レベルでは利己的なのだから利他行為は理屈に合わないことになります。今回のブログでは「ハミルトンの包括適応度の理論」を紹介しています。そして、これは実によくわかることですが、「個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力する」よって利他行為はこのレベルで可能であることがわかるのです。集団のための自己犠牲も、この観点から説明されるなら、わかるような気がします。

  4. 〝自己犠牲の上で、他人のために行動すると行くことはどう理解したのでしょうか〟とありました。進化論から考えると、利他的行動をする生き物の行動を考察していくのは困難なことなんですね。
    自分が自己犠牲してまでも他人のために行動するのはなんでか?と問われての答えはシンプルだと思います。「そうしたくなったから」。それはなぜかと問われても分かりませんが、そのようにシンプルなことを考えていくことの困難さが理解できました。
    ですが、ヒトが利他的行動をとる意味として個人よりも集団全体の利益をとるのだと考えると説明がつく、と書かれてありました。遺伝子のレベルでは測りきれない集団のチカラみたいなものがあるのでしょうか。

  5. 「利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです」とありました。なるほど、利他的行動は個人にとってはコストが大きいということがはっきりしているのですね。個人の利益と集団の利益というものは区別されるというか、別物と考えてもいいのでしょうか。しかし「私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが」とあるように、私たち人類は個人の利益だけを考えて生きてきた訳ではないのですね。また「個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力すると言うのです」というのもとても印象的でした。自分と関係が近い人の存在というのは広い意味で自分であるという感覚なのでしょうか。

  6. 自然淘汰によってかわる生きる環境というものはとても重要であることと、”私たちは進化の過程で、競争と協力の両面を持って生存してきました”とあることは、生活のなかで、集団という個体の集合体があることで、進化した相手のとの関係性があるからこそ、生き延びる力を得たことは、十分な理解を持てます。なぜ、個体の協力行動、利他的行動、生きるために必要だったのか、様々な説があると思いますが、生きることがどのくらい奥深いものなのか、かんがえるうえで、より、人のもつ生得的なもの、社会に必要な能力というものがどのような存在なのかを考えます。

  7. 「利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです」というのは更にヒトの奥深さを感じます。利他的行動は個人にとってはコストが大きのにそう行った行動をするということは子孫がそういった行動をとることで集団に対する利益があるということを知った上での行動なのでしょうか。ふと子どもを連れて電車に乗ったときにどうぞと譲ってくださる方を思い出します。気を遣ってくださる行動というのは人類が生き延びてきた1つの戦略であり、集団の利益を得るためだったと考えると感動しますね。少し例えが違うかもしれませんがそんなことを感じました。

  8. 藤森先生の講演やブログから人類の生存について考える機会をいただきました。ヒトは協力することで生き延びてきたと知りましたが、そもそも協力する時点で集団で行動しないと、そういった関係は築くことができませんし、それこそ利他的行動が重要になってきます。それこそ人類が自己犠牲を払うということは、生きるか死ぬかの選択になってくると思いますが、そうでもして他人を守りたい、それこそ家族を守りたいという思いがなければ、利他的行動は生まれません。どんな形であれ、人の為に行動するといったシンプルかつ、とても深い考え方をヒトは元々持っているはずです。だからこそ今も生き延びてきているからです・・・それを繋いでいくことがヒトとしての役割だと思いました。

  9. 「個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力すると言うのです」というのもとても印象的でした。普段の生活の中でも、赤の他人の出来事はそこまで自分自身に影響はありませんが、自分と関係のある人ほど自分のことのように、喜んだり、悲しんだりすると思います。「協力」という言葉と少しずれてしまいますが、そんなことを思いました。また、先生のブログや講演を通して、人類が生き延びてきた背景には「集団」「協力」というのがカギだということを知りました。そして、社会人として働き始め、「集団」や「協力」の大切さは日々の生活を通して痛感しています。新宿せいが子ども園という良い集団の一人としてたくさんの人に支えられながら、生活できていることを改めてありがたいことだと実感することができました。

  10. ヒトは協力することが一つの特徴であるということは疑いようのない事実だと思います。そして、協力のためには利他的行動がなければ集団は成り立たなくなってきます。しかし、自分が生存することを最優先にした場合、自己犠牲ということは確かに説明がつきません。自己犠牲は自分の遺伝子を途絶えさせる危険性もはらんでいますからそうしたくはないでしょう。包括適応度はそういった意味では「遺伝的血縁度の度合い」とあるようにもう少し広い意味での遺伝子の残し方を優先しているということなのでしょうか。自分の持っている遺伝子に限らず、自分に近い遺伝子を残すというような考えに近いように感じます。そんとためとくに家族内での結束が強く出ているといえるのでしょうか。よく集団の最小単位は「家族」と聞きます。それはこういった遺伝子を残すためにあり、利他的行動になるのも少しでも多く残すことが生存戦略として優先された結果なのですね。

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