個体の協力行動や利他的行動

包括適応度の理論によると、個体の協力行動や利他的行動、反社会的行動は、相互作用する者同士の遺伝的血縁度の度合いによって変化し、個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力すると言うのです。。したがって、たとえば、この理論によると、親と子、それは、遺伝子の50 %を共有している関係ですが、25 %しか遺伝子を共有していない祖父母や、12.5 %しか遺伝子を共有していないいとこよりも協力すると予測されます。このようにして、社会的行動に関連するコストは行為者が負うのですが、血縁者にも行為者にもその行動に関連する利益が生じることで、釣り合いがとれるのです。この議論と一致して、現代のイギリスにおける成人社会ネットワークのかなりの部分は血縁関係だそうです。ダンバーとスプールズによると、成人は援助やサポートの対象として、非血縁者に比べ高い割合で血縁者を指名することがわかっています。

血縁者との協力的な相互作用から非血縁者との相互作用までを考慮すると、これらの戦略が進化した環境ではないかと推測することができます。進化適応の環境において、個々の社会的集団は血縁者の割合が比較的高かったわけですから、個人が相互作用する集団は、遺伝子だけではなく、社会的な過去や社会的な未来をも共有する親族から構成されていたのではないかというのです。親族同士は、過去に相互作用をしたことや、将来も相互作用し続けることを認識しています。実際、親しさは個体が血縁者を認識できるようにするメカニズムであることが示唆されているそうです。この親しさと、将来関わっていくことの重要性により、同種個体との協力が生まれるのだと言うのです。言いかえると、親しさと将来相互作用をする見込み(あるいは恐れ)が、親族関係に代わるものとなったのかもしれないとビョークランドは考えています。

社会的行為者が互いになじみがあったり、繰り返し会ったりする場合に社会的行動が協力的になる傾向があることを示すのが、互恵的利他的行動の理論です。つまり、社会的行為者は、将来相互作用すると考えられる者同士で協力し合いますが。協力行動や利他的行動に関連するコストは相手から返礼を受けることによって最小化され、同様に、攻撃的な行為や欺まん行為も多大に返報されるでしょう。このようにして、安定した社会的集団で個体同士が関係をもつ場合、裏切りに関連するコストは利益を上回るのです。行為者がお互いに関係がない、あるいは親しくない場合や、将来出会う可能性がほとんどない場合には、個体は当面の自己利益で行動します。そういう状況では、欺きには復讐をし、協力や利他的行動を軽視することになるでしょう。要するに、親戚や親しい同種個体同士の協力は、利益がコストを上回るため、自然淘汰が有利に働きます。拡大解釈すれば、「欺き」や「裏切り」を検知する能力は、おそらくそういう圧力に対応するために進化した重要な認知スキルであると言うのです。

コストと利益を評価する社会的行動の経済モデルは、自然淘汰に有利に働く戦略を推測するのに役立ちますが、ある特定の環境におかれた個体が用いる特定の戦略の有効性は説明はできません。たとえば、協力や攻撃などのある戦略の最適性は、相互作用者間の一連の行動におけるその行動の順序、それはその行動は最初の働きかけか、反応か?という順序や、その他の協力的か攻撃的か?というような行動の性質、その相互作用が生じる場における資源の価値、集団内におけるその行動の頻度に応じて変化すると考えられます。

なぜ、利他的行動?

資源をめぐって競争が生じる生態系において子孫が繁殖し、生存するという点で、利益を最大化する能力によって判断されます。利益を最大化する能力は、得ようとする利益に付随するコストやリスクとの関連からの見方では、ある個体が他の個体より得をするかどうかという点から容易に理解できるので、特にリスクが低い場合には、一連の社会的行動、たとえば攻撃行動を説明するのは容易であると言います。その場合、自然淘汰は、配偶者や資源を効果的に守るために攻撃行動を起こす個体に対して、明らかに有利に働きます。経済的観点からいうと、自然淘汰は利益がコストを上回る戦略に有利に働くのです。そのためたとえば、資源や配偶者を手に入れる機会を得るといった利益の方が死や負傷などの付随するコストを上回るなら、攻撃行動は選択されるでしょう。

攻撃行動に関連したコストが利益を上回る場合、たとえば、配偶者を確保するために衰弱するほどの傷を負う場合には、その攻撃行動は選択されないでしょう。攻撃性の適応度を説明するのは比較的単純ですが、進化論は当初、協力行動や利他的行動があることと折り合いをつけなければならないという困難を抱えていました。これまでの説明は、随分と難しく、回りくどい気がしますが、何度も言いますが、それが研究なのでしょう。要するに、私たちは進化の過程で、競争と協力の両面を持って生存してきました。その時、自分が生存するためには、相手を攻撃したり、相手の生存を阻止することで自分たちを守るということは容易に想像がつきますが、協力をするとか、自己犠牲を払うということは、一見自分たちの生存にどう結びついていくのかは見えにくいものです。とくに、自己犠牲の上で、他人のために行動すると行くことはどう理解したのでしょうか?また、、なぜ自然淘汰において有利に働くのでしょうか?

この問題を解決しようと試みたのが、群淘汰の理論だそうです。簡単にいうと、群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。

しかし、この理論は、分子生物学における発見や、 DNAコードの解読によって反撃を受けることとなったそうです。簡単にいえば、それらの進展により示唆されたのは、自然淘汰の単位は個体、より正確には遺伝子であり、集団ではないということなのです。したがって、進化論は利他的行動を説明するという難問に再び直面することになったのだそうです。

その中で、利他的行動を最初に説明したのは、ハミルトンの包括適応度の理論だそうです。この理論は後にトリヴァースが発展させたそうですが、この包括適応度の理論によると、個体の協力行動や利他的行動、反社会的行動は、相互作用する者同士の遺伝的血縁度の度合いによって変化するとしました。個体は、血縁関係の遠い者や血縁関係のない者と比較して、自分と関係が近い者とより協力すると言うのです。

様々な戦略

ビョークランドは、彼の著作の中で、繰り返し「ヒトは社会的な種であり、お互いに協力竸争し、理解し合う必要があったことが大きく関与して、現代のヒトの心が進化したのである。ホモ・サピンスは、進化によってヒトの集団生活への備えをもった。」と述べています。しかし、そういう準備があるからといって、繰り返し起こる社会的問題に対処する既成の解決方法を子どもがもっているということではないと言います。ヒトの社会的環境は多種多様であるため、よく相互作用をする相手と付き合っていくための方法を柔軟に身につけなければならないと言うのです。ということは、ヒトは社会的な生き物でありますが、それを人との関係の中で学んでいかなければならないということです。

代替可能な社会的戦略があること、そしてそれらを用いることは、生物の発達環境を概念化する上で重要な例であり、環境は単に、ある行動やローレンツのいう意味での一連の行動を「解発する」だけではないということなのです。それどころか、生物には選択の余地があり、適合性を最大化する環境を選んだり、形づくったりしていきます。したがって、個体の発達は、個体と環境の相乗的相互作用の結果として起こる変化のプロセスとして概念化することができ、個体はさまざまな方法で発達的問題を解決していくのだと言うのです。つまり、発達に「王道」はないのです。ヒトが生まれるニッチの多様性、さらに、遺伝にもとづく個人差を考慮すれば、ヒトは繰り返し生じる発達的問題に取り組むためのさまざまな戦略をもっていることが必須なのだとビョークランドは言うのです。

社会的行動は、資源を得て、それを利用する機会を保持するために用いる戦略という点から概念化することができます。資源は繁殖や生存に関係しているからです。この点から考えると、社会的行動はさまざまな次元から分類することができるとビョークランドは言います。たとえば、行動価を記述することができると言うのです。それは友人関係や利他的行動や協力を反映したポジテイプなものかもしれないし、攻撃行動のようにネガテイプなものかもしれません。社会的行動は、もっと連関的なカテゴリーでも説明可能です。行動生物学者ロバート・ハインドは、たとえば、社会的行動は、相互作用、関係、構造という観点から記述できると主張しました。なお、構造とは社会的集団における行動を指します。ここで、ビョークランドは、ハインドの明確に進化的視点に立つモデルに従い、相互作用や関係、集団の中に見出されるポジテイプな社会的行動(協力)と、敵対的な社会的行動の発達を、ヒトの子どもと他の社会的な種に関して検討しようとしています。しかし、社会的行動の詳細を評価する前に、ます、社会的行動に関する進化論のいくつかの側面について彼は論じています。特に、自然淘汰と適応度において果たす役割という点から社会的行動を評価する方法について以下のように述べています。

進化論はその当初から、生存し、繁殖するための「闘争」の中で、個体が単独で、また集団の中で相互作用する方法を問題にしてきました。実際、行動や戦略の「機能」は、進化的な意味では繁殖価のことを指します。その際、行動の価値は、資源(配偶者や食料)の量が変化し、それらの資源をめぐって競争が生じる生態系において子孫が繁殖し、生存するという点で、利益を最大化する能力によって判断されます。利益を最大化する能力は、得ようとする利益に付随するコストやリスクとの関連から検討されると言います。

進化と家族の関係

人類は、子育てをするために家族を作りました。その中で特に重要な存在は、もちろん「親」です。人間は未成熟で生まれるために、その生存は親から受ける養育に依存しています。そして、それは、子どもからだけではなく、親の方にも利益があることです。

また、進化発達的理論によれば、子どもは親から受ける養育を高めるために、そして、地域生態の条件に最も適合するかたちに個体発生を調整するために、心理的、身体的メカニズムを進化させてきました。

しかし、子どもが社会の一員として成功するように支援することは、親だけではなく、社会全体の責任です。そこで、遺伝子的母親以外の個体による子どもの世話が必要であり、そのような存在がヒトの子育てにおいて常に重要な役割を担ってきたと考えられているのです。かつては、この役割は通常は近隣の社会グループの親しい人、多くの場合、女性の親族が担っていたようです。

進化と家族の関係性に関して、20世紀後半のアメリカの政治家は、健全な社会には「家族の価値」が重要であると、盛んに訴えました。このとき政治家たちが思い描いていた価値や家族は、現実のものというより、広告宣伝によって作り出されたものであったかもしれませんが、家族は、何らかのかたちで、子どもの生存と成功、それは社会にとっても、きわめて重要なものです。子どもには親が絶対に必要であり、そして、親にとって子どもは自分の遺伝子を絶やさないための道なのです。親子は互いに強く恩恵を受け合い、与え合う関係にあります。そして、それぞれが、数十万年もの進化の過程で、その関係性を最大限活用できるよう準備されてきたと言われています。

しかし、子どもをもつこと、そして親やきょうだいがいることによって生じる問題に対処するための後成的なプログラムが、自然淘汰によって形成されているとしても、こうしたメカニズムは環境条件に敏感です。家族の中にあらかじめ決まっている結果など存在しません。事実、「生得的な」要因と出生後の経験要因とが相互作用して発達を形成することがおそらく最も明らかなのは、家庭においてでしょう。その結果、家庭は協力、葛藤や競争すべてが同時に存在する環境となり、進化によるメカニズムに支えられて、家族の構成員それぞれが適応度を最大化させようとしているのだとビョークランドは考えています。

D.Fビョークランドは、進化発達心理学の中で、ヒトの本性の起源を探ろうとしています。ヒトは、社会的な種であり、お互いに協力し、理解しあう必要があったことが大きく関与して、現代のヒトの心が進化したのだとビョークランドは言います。ホモ・サピエンスは、進化によって人の集団生活への備えを持ちました。しかし、そういう準備があるからといって、繰り返し起こる社会的問題に対処する既成の解決方法を、子どもが持っているということではないと言います。ヒトの社会的環境は、多種多様であるため、よく相互作用をする相手と付き合っていくための方法を柔軟に身につけていかなければなりません。

代替可能な社会的戦略があること、そして、それらを用いることは、生物の発達環境を概念化するうえで重要な例です。環境は単に、ある行動やローレンツの言う意味での一連の行動を「解発する」だけではないと言います。

進化によるメカニズム

2つ目の研究では、兄弟姉妹との性的関係に関する質問紙への回答者を求める広告を、トロントの大手新聞に出してボランティアを募りました。この手法により、全体のサンプル数は178名と小さくなりましたが、きょうだいとの性器性交の経験をもつ回答者数は54名と多かったそうです。性交の報告があった54例のうち、35例は射精を伴う膣性交、10例は射精を伴わない膣性交、9例は膣性交未遂だったそうです。また、性交渉以外の性的行為の報告もあったそうです。この2番目の研究結果も、最初の研究報告と同様であり、幼少期に別居をしたきょうだいは、別居経験のないきょうだいよりも性器性交を行う傾向が高く、「未成熟な」性的行為については、別居の有無の影響は見られなかったそうです。

ベヴックとシルヴァーマンは、彼らの知見が、ウェスターマーク効果の主要な解釈を修正する必要性を認めるものだと述べています。幼少期から一緒に暮らすことによって、生殖的な性行動、たとえば、性交などの減少にはつながりますが、性交渉以外の性行動、たとえば、愛撫や露出などは必ずしも減少しないのです。さらに、ウルフの説と一致する仮説として、近親婚の回避効果に対する敏感期は3歳までであると指摘しているそうです。

ベヴックとシルヴァーマンの調査では、回答者の約3分の1がきょうだいと性器性交を行っていたそうですが、もちろんこの高い値は一般的な母集団の近親婚の割合を表すものではありません。ただ、子ども期以降のきょうだい間の性的関係の発生率が、「成熟した」「未成熟な」共に0よりは多いことから、同居きょうだい間の近親婚回避効果は完全なものではないと考えられるとビョークランドは言います。

幼少期からの同居と「なじみ」がウェスターマーク効果の最近接的な原因であると指摘するだけでは、近親婚回避の生物学的メアニズムや心理的メカニズは明らかになりなりません。同居となじみの何が、きょうだいの性的関心を減少させているのでしょうか?最近の研究では、嗅覚的な手がかりが、幼少期からの同居者との性的関係に対する嫌悪を生じさせるメッセージを運んでいることが示唆されているそうです。たとえば、動物研究では、免疫系、特に、主要組織適合性複合体(MHC)がもつ特徴の違いが、嗅覚的手がかりを通して感知されることが示されているそうです。動物は、MHCの遺伝子型が自身と異なる異性を交配相手として好む傾向があり、その差を匂いで感知しているのだそうです。それは、先に述べた免疫系に多様性があることで、寄生虫への抵抗性が高くなることを思い出します。同様に、ヒトの女性も、ゲノムのMHC 領域が異なる男性の匂いを好むという証拠が得られているそうです。

また、 411組の隔絶的な生活をし、固有の文化を維持しているキリスト教の宗派集団であるフッター派の夫婦を対象とした研究では、自身とはMHCの型が異なる人と結婚している傾向があることが報告されているそうです。シュナイダーとヘンドリックスは、子どもは同居者の臭いに対する性的嫌悪を発達させること、そして、この嫌悪、あるいは、異なる臭いをもつ人に対する選好性の発達には敏感期があると主張しているそうです。近親婚回避を引き起こす最近接な要因や、近親婚回避が生じる条件や生じない条件を整理するためには、さらにさまざまなレベルでの研究が必要だとビョークランドは言います。しかし、進化によるメカニズムが、環境要因や発達的制約と相互作用することで、一般に適応的な行動が生成されているのは明らかなようです。

別居経験

近親婚回避の進化的な説明は、19世紀後半までさかのぼり、フィンランドの人類学者エドワード・ウェスターマークの著作に見ることができるそうです。ウェスターマークは、著書『人類婚姻史』の中で、子どものころに多く接触した者同士は、配偶者となる可能性がある場合でも、結婚することは非常に少ないことを指摘しています。その理由は、子どもの頃からなじみがあることによって、必ずしも侮蔑にはつながりませんが、性的魅力がなくなるからだと言っているのです。

一緒に育った人は近い血縁関係にある可能性が高いため、そのような人との交配を嫌忌することで、近親婚による退化が生じるリスクが低下します。そのため、子ども期の親交が、近親婚回避の近接メカニズムとなるのだと言うのです。ウスターマーク効果を支持する証拠としてよく引用される研究が、 2つあるそうです。その1つが、人類学者アーサー・ウルフの約40年間にわたる、台湾の「小婚」の伝統に関する研究です。19世紀後半から20世紀初期にかけて、家族間で幼い子どもの縁談がとりまとめられていました。このような場合には、女児は男児の家庭の養子となり、将来の新郎新婦は兄弟姉妹として一緒に育てられました。ただし、ここで留意すべきは、このやり方は、父方家族による配偶者確保の一種として機能し、父系の確実性が増すということです。ウルフの観察では、このような女児は、特に生後30ヶ月以内に養子となった場合に、義理のきようだいとの結婚に抵抗を示すことが多かったそうです。そして、このような結婚が現実となった場合には、「通常の結婚」と比較して離婚率が3倍高く、子どもの数は40 %少なく、妻が婚外関係をもっていると認めることが多かったそうです。

ウェスターマーク効果の証拠として多く引用される2番目の研究は、以前ブログで紹介したイスラエルのキブツで共同で育てられた人々に関する研究です。血縁関係のない子どもたちが、子ども期を通じて多くの時間を共に過ごし思春期に達する以前から異性同士で遊ぶことも多いのです。しかし、青年および成人となると、同じキブツの仲間同士が性的関係を結ぶことはきわめて稀であり、211のキブツの2769組の夫婦のうち、同じキブツの仲間同十の結婚は1例もなかったそうです。

これらの研究からは、非血縁者が幼少期から一緒に育てられると、両親共に同じきようだいの場合と同様に、互いを性交渉の相手とするのを回避することが示唆されます。では、きょうだいはどうでしょうか?きょうだいにおける近親婚回避を、非血縁者と対比してみて系統的に検討した唯一の研究が、べヴックとシルヴァーマンによる研究です。その最初の研究では、500名の大学生を対象に行った調査をもとに、子ども期以降の「成熟した」性的行為(性器性交、肛門性交、口腔性交など、またはその未遂)の発生率が、別居経験のないきょうだいよりも、幼少期に別居したきょうだいで高いことを報告しています。子ども期以降の「未成熟な」性的行為(愛撫、露出、接触など)の発生率については、別居の有無との関連はなかったそうです。しかし、この調査対象での「成熟した」性的行為の事例は絶対数が少なかったため、2つ目の研究が計画されました。

近親相姦の回避

2個体の遺伝的特徴を混ぜ合わせると、両方の親から良い特徴を引き継いだ子どもができるだけでなく、子どもごとに違った特徴の組み合わせを引き継ぐことができます。自然淘汰はこの多様性に対して作用すると言われています。有性生殖によってもたらされる多様性がもつ明らかに重要な特徴のひとつが、寄生虫への抵抗性であるそうです。繁殖速度の速いある微生物が、ある親の身体に感染することができたとしても、もうひとりの親の遺伝子も半分もっている子どもには感染しにくい可能性がある。それぞれの違いは、生存戦略としては、かなり有効ですね。これは、他の生物にも言えることで、たとえば、以前のブログでも書いたと思いますが、トンボ池と言われるビオトープの意味もそのような役割があると言われているのです。

すなわち、免疫系に関連する遺伝子を混ぜ合わせることで、寄生虫との闘いで一歩先を進み続けることができるのだというのです。また、遺伝的多様性がもつ2つ目のよく知られている役割は、欠損のある劣性遺伝特質の回避だそうです。親が同じ対立遺伝子を多く共有していると、同じ劣性の致死的遺伝子をいくつかもっている可能性が高くなります。そのため、近親交配をすると、劣性遺伝子が次世代まで表現型としてつながる可能性が高くなり、死亡率や罹病率の上昇につながるのだと言うのです。

この近交退化の影響を受ける種は、必ずこの効果を最小化する手段を発達させているそうです。その多くが、きようだい、親、子どもという近親者が交配する可能性を低下させるものだと言うのです。たとえば、社会的な霊長類のほとんどの種は、通常、どちらかの性が生まれ育った群れを成人期までに離れ、他の群れに入って行くのです。

新世界ザルと旧世界ザルでは、ほとんどの場合、移住をするのはオスです。ヒヒチンパンジーや先史時代のヒトでは、配偶者を求めて生育場所を離れるのはメスだそうです。さらに、ヒトでは家族内での交配に対する文化的禁止という近親婚タブーが普遍的に見られます。フロイトは、このような禁止が必要な理由として、特に子どもは異性の親との性的関係に対する強い欲求、これをエデイプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスと言いますが、これをもっており、その欲求は異性のきようだいにまで拡大するという説を提唱しています。

それに対し、進化的観点では、このような文化的なタブーは進化によるメカニズムを基盤にしていると考えられています。フロイトが提唱したような、近親相姦の関係を志向するバイアスがあるのではなく、他の動物と同じように、ヒトにも近親交配の可能性を防ぐバイアスがあると考えられているのです。フロイトは、確かに心理学では偉大ではありますが、いつも首をかしげる説が多い気がしますが、これが熱狂的に受け入れられていた時代もあるのです。現在も、多くの人に支持されている説も、後世ではもしかすると修正されるかもしれないものがあるかもしれません。

きょうだい差

サロウェイは、出生順位は重要な要因ではあるものの、相互に関連しながら性格の発達に影響を及ばしている子どもと家族のいくつかの特徴のひとつにすぎず、他には、親子間の葛藤の大きさ、きょうだい数、性別、年齢、親を亡くした年齢、社会階級や気質が、相互作用しながら性格に影響を与えていると言います。彼のこのモデルについては、これを支持する研究、不支持する研究が混在しているそうです。たとえば、サロウェイは自身の研究のなかで、科学や政治の「革命」の指導者は第二子以降であることが多く、それに対し、現状の支持者は長子である傾向が強いという証拠を示しているそうです。サロウェイが第一子は、誠実性が高い、経験への開放性が低いという特徴があり、第二子以降の子どもは、同調性が高い、反抗的であるという特徴的があると予測した性格因子を検討した研究では、サロウェイの仮説を支持する結果も、否定する結果も得られているようです。

行動遺伝学者ジュディス・ハリスは、サロウェイの主張と一致して、出生順位効果は家族内での子どもの行動に大きく影響していると言っているそうです。しかしハリスは、サロウェイとは異なり、子どもはそれを家庭外での行動に一般化しないと主張しています。ハリスによると、学習はむしろ文脈に依存しているため、家族内で獲得された行動や態度は、その文脈でしか使えないものであり、家族外での行動には大きく影響するものではないと言います。デルロイ・ポーラスたちの成人の自分自身およびきょうだいの性格に関する認知を評価した研究では、サロウェイの仮説と一致して、出生順位効果が最も高かったことを報告しているそうです。このように、家族内で比較をした場合には、サロウェイの予測と一致する出生順位効果が認められています。しかし、家族間の比較では結果の頑健性は低くなり、ハリスの仮説と一致します。

進化発達心理学の視点からは、子どもの家族内での出生順位がその子どもの発達に重要な影響を与えないとは考えられません。資源をめぐるきようだい間の競争は現実に存在し、そして、親は、意識的であるにしてもないにしても、ある特定の子どもを他の子どもよりもひいきするものなのです。また、長子には年上であるという強み、つまり、 2番目の子どもが生まれるまでにすでに数年間生きのびているという利点があります。乳児死亡率が高い環境では、このことが、たとえ短期間ではあっても年上のきょうだいの直接的な強みとなります。

しかしビョークランドは、出生順位が子どもの行動や性格に影響を与えることは認めますが、出生順位の影響は家族内で最も大きいとするハリスの主張に概ね同意しています。ハリスの主張と異なるのは、きょうだいとの相互作用を含む家族内での経験が、性格や発達全体に大きな影響を及ばすと捉えている点だと言います。しかし、子どもの学習はほとんどが文脈に依存しており、子どもの家庭内の行動と家庭外の行動を区別する際には、この点が特に重要であると、彼も考えているようです。

子どもたちの性格や特徴が、どのような要因を持って決まるのか、どのような影響を受けているのかということは置いておいても、このような違いを持っているということの基本的な目的は、多様性を生み出すことなのです。

第何子?

一夫多妻の家庭では、母親の行動が、同父同母きょうだい間の結束を促進していると考えられていますが、父親からすれば、子どもは全員、自身の遺伝子の半分を保有しているので、自身との関連度は同じです。母親が誰であれ、自分の子ども全員が協力し合うことで、父親の包括適応度は高まります。しかし、一夫多妻の家庭で母親がもつ視点はこれとは違うようです。社会および宗教的価値観に反するものではありますが、母親の包括適応度は、自分の子ども同士の結束、一夫多妻の家庭では同母きょうだい間の結束を促進することによって、最も高まると言うのです。

きょうだいと比較して、自分にどれだけの投資を親がしてくれるかということに、子どもが敏感であるとすれば、家庭内の出生順位はその子どもの行動に重大な影響を及ぼしているはずです。このことは、上述の新しいきようだいが生まれたときの第一子の反応を検討した研究結果でも触れています。出生順位が性格の発達に与える影響については、心理学でも長く研究が続けられてきたそうですが、得られたデータは相反するものが非常に多いそうです。家族内の出生順位がその人の発達を形づくる上で顕著な要因であることは確かなようだと言うのです。しかし研究では、たとえば、長子、末子あるいは中間の子であることが、発達に普遍的な影響を、それは個人に特有の影響ではなく、どの程度与えているか、ということが争点とされてきました。

科学史学者であるフランク・サロウェイは、出生順位が性格の発達に与える影響を進化的視点から解釈し、自然淘汰によって子どもは家族内の相対的地位と関連のある資源関連要因に敏感となったと主張しているそうです。特に、子どもたちは家族内のニッチを得るために互いに競争をし、それが子どもの性格形成につながると言います。サロウェイの説では、長子は親の注目や資源を伝統的な社会的ルートから獲得するため、誠実性が高いのですが、経験への開放性が低い傾向があるとされているそうです。

その一方で、長子は自身の高い地位を年下のきょうだいからの脅威から守らなければならないため、同調性は低くなると言うのです。後に生まれる弟妹は反対に、成功や親の注意を得るための別のルートを探し、地位の高い兄姉から頻繁に受ける圧力に抵抗しなければならないと言います。その結果、弟妹は共感性が高く、個人主義的傾向が強く、また、サロウェイのことばを引けは「反逆者」である傾向が高いと言うのです。こんな分析を聞くと、自分のきょうだい関係を見直してみてしまいます。また、自分はきょうだいの中で何番目かを意識してしまいます。そして、確かにと思い当たることも多くあります。でも、それだけでもないという気もしてきます。

そんなこともあって、サロウェイは、出生順位は重要な要因ではあるものの、相互に関連しながら性格の発達に影響を及ばしている子どもと家族のいくつかの特徴のひとつにすぎない、と指摘しています。出生順位の他には、親子間の葛藤の大きさ、きょうだい数、性別、年齢、親を亡くした年齢、社会階級や気質が、相互作用しながら性格に影響を与えているということは、予測されることです。

同父同母きようだい、同父異母きょうだい

社会学者ウィリアム・ヤンコウィアックとモニーク・ディーデリクは、アメリカ合衆国南西部におけるモルモン教の一夫多妻制の共同体に住む家族を対象に、文化的慣習に起因する効果と包括適応度とを分離することを試みるために、大規模な面接調査を行いました。この共同体では、父親が家長であり、家族生活に関する公の教えは、父親が同じ子どもは皆平等であるというものです。また、父親を頭として家族がまとまることの重要性が、教会での礼拝、日曜学校、そして地域の学校で一貫して強調されています。子どもの家庭は、公的には母親ではなく父親で特定され、一夫多妻の家庭内では協力が最優先事項です。つまり、社会通念上は、両親共に同じきょうだいと片親が違う(同父異母)きょうだいとを区別することなく、家族内の非常に強い協力関係が求められているのです。

ヤンコウィアックとディーデリヒは、両親共に同じきようだいと片親が違うきょうだいがいる一夫多妻の32家族70名を対象に、結東に関連する面接を行いました。成人の面接協力者に、たとえば以下のような質問をしたそうです。きょうだいにお金を貸したり、きようだいのために子守りをしたりするか?それは、「機能的結束」とします。また、きょうだいそれぞれとの親密さはどれくらいで、父方の家族で一番好きな赤ちゃんはどの子か?それは、「情緒的結束」とします。そして、誕生日パーティ、結婚式に出席する等のやりとりがきようだい間でどの程度行われているか?などの質問です。

そして、各質問項目に対し、同父同母きようだい、あるいは同父異母きょうだいが回答された割合を示しました。差はすべて統計的に有意であり、すべての項目について、同父同母きようだいが、異母きようだいよりも多くあげられました。これらの結果が目を引くのは、結果に一貫性があることはもとより、同父同母きょうだいを好むというこの結果が、「家長の子どもはすべて等しく扱わなくてはならない」ということを強調する共同体の価値観に反している点だと言うのです。

このデータは、きょうだい間の結束する気持ちや行為は、単に同じ家庭で一緒に育つことで生じるものでも、きょうだいの協力を促す社会的拘束によって生じるものでもないことを、はっきりと証明しています。むしろこのデータは包括適応度の理論と一致するものであり、きょうだいの結束には遺伝的な類似性が決定的な役割を果たしていると考えられると言うのです。しかし、子どもたちが「本能的に」自分のきょうだいを認識し、きようだいとの結束の感情を発達させるというわけではありません。ビョークランドは、両親共に同じきょうだいを片親が違うきようだいよりも強く結びつける要因として、近接的な効果があると確信しているそうです。たとえばヤンコウィアックとディーデリクは、「母親は自分の子どもを特別扱いすることが多く、それは他のきょうだいがすぐ気づくようなかたちで行われる」と述べているそうです。

たとえば、多くの家庭で、母親は自分の子どもを自分の寝室へ連れて行って、テレビを見たり、本を読んだりします。他の子どもはこうした集まりから排除されるわけではありませんが、子どもは自分の母親および同母きようだいと集まる傾向が高いそうです。このように、一夫多妻の家庭では、母親の行動が、同父同母きょうだい間の結束を促進していると考えられるのだというのです。