母子の葛藤

ヘイグは、妊娠期間中のヒトの母子葛藤に関与するメカニズムを詳述しています。胎児にいくつかの欠損、たとえば、染色体異常があってその胎児への投資に価値がないと見なされたとき、受胎の瞬間から、母親の身体は胎児を流し出そうとするそうです。それに対し、胎児は、ヒト絨毛性ゴナドトロピンというホルモンを放出して、母親の子宮にとどまろうと努力するそうです。このホルモンは、新たな胚の着床を受けて、母親の月経を止め、子宮内層が剥がれ落ちないように作用するそうです。

また、胎児は母親の、発育中の胎児に栄養を供給する動脈である子宮内膜動脈に栄養膜細胞を伸ばして、母親の動脈が収縮して自らが得る血流量が減少することを防ぐそうです。胎盤への血流を調整できるようになると、胎児はヒト胎盤性ラクトゲンを放出して、母親の血中のインスリンから受ける影響を弱め、自身が使えるブドウ糖という燃料の量を高レベルに維持しようとするそうです。要するに、胎児は、自身が健康に発達するために必要な資源を、母親に提供させるよう強力な武器を備えていますが、胎児のこうした活動は、場合によっては母親に害を及ばす可能性もあるそうです。この妊娠期の胎児と母親の葛藤は、生存のための凄まじい戦いですね。

これまでに述べたように、外的な条件が子育てに理想的とはいえない場合、子殺しにつながることがあると言います。きようだい間の競争の結果、資源不足になってしまうことも多く、そうなると、きようだい2人共の生存が脅かされることになります。このような親子葛藤の原因となる条件のひとつが、双生児の出生なのです。伝統社会のなかには、資源が乏しい場合には、双生児の片方のみを生かし、親がもつわずかな資源を1人にだけ投資できるようにすることが認められているものもあるそうです。殺される子どもは、通常、2番目に生まれた子、病弱な子、あるいは女児なのです。もうひとつ、ディリーとウイルソンが、子殺しが生じやすい状況として指摘しているのは、2人の子どもの生まれた間隔が短すぎたために、資源が乏しくなる問題を解決する場合だそうです。年上のきようだいがまだ授乳を受けているときに新たに子どもが生まれると、年上のきようだいの資源が減るだけでなく、資源の量自体が少ないため、子ども2人共の生存が危うくなります。親子間の葛藤には、子が親から得られる資源の量に関する対立だけではなく、親が他のきようだいに与える投資量をめぐる対立も関連しているのです。

では、他の動物に関す研究も見てみると、ヒトが行う子殺しは他の動物よりも一部の動物を除いて、はるかに少ないようですが、子殺しが生じる状況は、ヒトも他の種も類似しているそうです。霊長類学者サラ・フルディは、他に受胎調節の方法がなく、さらに、それ以上子育てをする意思や能力がない場合に、母親は乳児を殺す可能性がありますが、特別な事例を除いて、母親が赤ちゃんを殺そうとすることは稀であるといいます。フルディは、こんなことを言っています。

「育児放棄は、投資の打ち切りから完全関与(母親が赤ちゃんを常に抱いて移動し、求められたら授乳をする)までの連続体の一方の極にある。育児放棄は、母親が投資を打ち切る際の標準設定ともいえるだろう。子殺しが生じるのは、環境(発見への恐れなど)が母親による乳児の育児放棄を阻害する場合である。法的あるいは道徳的にはこの2つは違うが、生物学的には切り離すことのできない現象である。」