他者の視線を追う

チンパンジーは他者の視線を追っているし、欺きについての多くの観察には、「見ることは知ること」の理解が必要と思われるとビョークランドは言います。これは、大切なことです。子どもを「見守る」ために「見る」ということは、子どもの姿や発達、子ども同士の関係性を知ることが大切なのです。この「見ることは知ること」という言葉に、私たちヒトにおいても当てはまるでしょう。

しかし、ポヴィネリらの研究の妥当性をビョークランドらは疑っているわけではないと言います。ポヴィネリのチンパンジーは、目から知識が得られることを明らかに理解していませんでした。ヘアたちの結果とポヴィネリたちの結果に認められるこのような矛盾から、 EDDモジュールは、提唱者であるバロン=コーエンが言うよりも、複雑で領域固有性が高いモジュールであることが、少なくともチンパンジーに関しては示唆されます。ポヴィネリの研究とヘアの研究で認められた、この差の原因となっている条件を正確に特定することはできませんが、ヘアたちの研究では条件、同種の仲間との食べ物をめぐる竸争というような、より自然的であったことが、大きな要因であると考えられると言います。生後間もなくからヒトと相互作用している研究室のチンパンジーが、同種の仲間については見ることの源が目であることを理解しながら、ヒトの飼育員についてその推論ができなかったのは、少し意外だとビョークランドは言っています。この結果からは、見ることに関する理解は、単に経験と結びついているだけではなく、いくつかの重要な文脈、たとえば、食べ物の獲得や食べ物をめぐる竸争や、おそらく、同種であることの認識と関連があることが示唆されます。

大型類人猿が心の理論をもつことをめぐる近年の議論で中心的なテーマとなっているのが、文化化の問題だそうです。コールとトマセロは、大型類人猿の文化化を、「意味のある相互作用において、ヒトやヒトが作った物と、ほぼ毎日接触すること」を含む養育環境と定義しています。こうした環境が、種に特異的な個体発生の軌道を変更することとなることがわかっているようです。類人猿がこうした環境にさらされることによって、母親に育てられた類人猿が示すよりも、ヒトの子どもに近い認知能力を示すようになる証拠が得られているといいます。

たとえば、言語訓練に成功した類人猿は、その全例が、ヒトに近い養育環境を長期間経験しています。たとえば、チンパンジーのワショー 、ボノボのカンジ、オランウータンのチャンテ、ゴリラのココという存在があるようです。彼らの例から、即時的模倣や延滞模倣は、ヒトとの接触が多いチンパンジーやオランウータンにしか認められないことがわかっているそうです。

また、研究所で育った類人猿や母親に育てられた類人猿が、統制された条件下で意図的なコミュニケーションや意図の理解を示したという観察例はこれまで一例もないそうですが、暫定的ながら文化化した類人猿がそうした能力を示したという証拠が存在するそうです。そこで、ビョークランドは、この意図的なコミュニケーションや意図の理解について詳しく考察しようとしています。