親以外の養育者

情報化時代の文化や伝統文化社会、そして、近代、古代において、ヒトの男女が子どもへの投資を決定する際に、どのような要因がどのように作用するのでしょうか?もちろん、子育てに関与する人物は遺伝的親のみではありません。祖父母の孫に対する投資もあるでしょうし、さらに、離婚率の高い、現代社会では重要となっている継親の役割あるでしょう。それらを、ビョークランドは、進化論、特に親の投資理論を用いて、親とその子どもの生存と成功に非常に大きな影響を与えている複雑なデータをひも解いていっています。しかし、最初に、子どもを育てるために欠かせない、そして進化的過去において欠かせなかったこと、特に親以外の養育者の役割について、考察しています。

このことについて、ビョークランドは元大統領夫人のヒラリー・クリントンの主張を紹介しています。彼女は、「子どもを育てるのは村がかり」というアフリカの諺を引いて、子どもが社会の一員として成功するよう支援することは、親だけではなく、社会全体の責任であると主張したのです。今日では、どの社会の女性も、子育てのために他者からの支援を受けているのです。「親以外の養育」とは、遺伝子的母親以外の個体による子どもの世話のことであり、ヒトの子育てにおいて常に重要な役割を担ってきたと考えられます。

伝統社会の母親は、生後数年間は乳児の唯一の栄養源です。しかし、子ども一般的な離乳期(伝統文化社会では通常3 ~ 4歳)を過ぎでもなお、子ども期まで親への依存を続けます。このように子どもの依存期間が長いため、女性は子育てにおいて他者からの支援に頼ってきたと言うのです。現代社会では、専門の保育施設が多くの女性のためにこの役割を担っていますが、かつては、この役割は通常は近隣の社会グループの親しい人、多くの場合、女性の親族が担っていたと言うのです。

親以外の養育者はヒトに特有のものではないそうです。たとえば、共同哺乳はゾウ、ライオン、オマキザルやコウモリなど、母系集団で生活する動物に多く見られるそうです。このような集団では、他のメスの子どもに乳を与える親以外の女性は、姪や甥に資源を与えることで、自身の包括適応度を高めていると言われています。

ヒトの歴史においても、乳母はすっと存在してきましたが、伝統文化社会において、そして進化適応の環境において、女性が子どもの世話のために得る支援のほとんどは、間接的なものであった可能性が高いと言います。たとえば、パラグアイ東部の森に住む狩猟採集民であるアチェ族では、幼い子どものいる母親は、子どものいない女性よりも食料の採取量が少ないそうですが、この不足分は、全員ではありませんが、大部分が血縁関係のある他の女性の努力でまかなわれるそうです。また、多くの社会では「子守り」を思春期前の女の子、通常、年上のきようだいや祖母が行っています。

要するに、伝統社会では、そして、おそらく先史時代には、主に養育を支援する子どもの生存に自分の利益が絡んでいる女性の親族からなる、相互に関連し合う集団によって子育てが行われてきたと言うのです。父親も関与はしていましたが、そして、情報化時代の社会では父親の役割は大きくなってきていますが、古代では、子育てに関する任務の大部分は母親と女性の親族が負っており、今日でもこの傾向は続いています。

親以外の養育者” への9件のコメント

  1. 私が物心ついた頃より私の世話をしてくれたのは、父母以外の祖父母叔父叔母ご近所の方々でした。父親は出稼ぎで家を留守にすることが多かった。母親は家業で忙しかった。幼い頃の記憶を辿ると、残念ながら父母は身近な存在ではなかった、そんな気がします。私は父親として一人息子の育ちに寄り添ってきました。彼の母親も同じです。ですから、わが子は私のようには育ってきていません。私は叔母におんぶしてもらっていました。そのたびに叔母の髪をひっぱり、あっちへいけ、こっちへいけ、と指示していたようです。祖父と一緒に良く出かけました、汽車に乗って。デパートのある大きな町に連れて行ってもらっていました。それ以前はその祖父によって近くの停車場へ連れていってもらっていたようです。私の鉄道趣味のきっかけはこの辺にあるようです。そして、祖父母と一緒に夜寝ていました。「親以外の養育者」のおかげで育ってきました。それでも、父や母は私にとって特別な存在なのでしょう。父親と二人きりで10年近く暮らしたことがあります。母親と同じく10年近く暮らし、離れていても、今なおその母とやりとりをしています。祖父母はとうに他界し、叔父叔母も遠く離れ、父は亡くなり、母だけ。なにはともあれ、何であれ、親子は親子。だからこそ、親以外の養育者も生存戦略として存在を許してきたのでしょう。

  2. 乳母というは私はついつい春日局を思い出してしまいます。徳川家が好きということもありますが、小学生の頃に将軍にそのような存在がいるということを知って衝撃的だったのかもしれません。母親以外の人が育てるということに当時は驚きがありましたが、やはり少し前の時代をみても母親以外の養育者というのは当たり前のように存在していたということになるのですね。
    また「伝統社会では、そして、おそらく先史時代には、主に養育を支援する子どもの生存に自分の利益が絡んでいる女性の親族からなる、相互に関連し合う集団によって子育てが行われてきたと言うのです」という言葉も印象的でした。今のように少子社会ではないということからも属する集団を構成する人々が血縁である割合が高かったのですかね。それにしてもそれが「女性の親族」からなるというのは驚きました。ですが、確かに、母親側の祖父母が育児に参加している傾向はあるのかもしれませんね。

  3. ヒラリー・クリントンの主張にあった「子どもを育てるのは村がかり」というのは、正に「地域で子育てをする」ということですね。現代では保育施設が担っている役割を「かつては、通常は近隣の社会グループの親しい人、多くの場合、女性の親族が担っていた」とあったことが印象的でした。そして、親以外の養育は人特有のものではなく、他の哺乳類にも見られることなのですね。哺乳類という大きな視点となると、親のみでの子育てがいかに難しいかがより伝わってきます。また「乳母」の存在は前々から時代劇や大河ドラマで出てきていたことで気になっていました。乳母のような存在が昔からあることからも親以外の養育という観点がいかに重要であるかがわかりますね。それを現代では保育施設が担っている部分が大きいことをしっかりと受け止め、保育という仕事と向き合っていきたいと思えました。

  4. 日本という国が子育てをし易い国なのか、困難な国なのか、日本以外の国に住んだことがない為に判断することが難しいのですが、先日も通帳に児童手当給付金が振り込まれていました。小児科に行けば無料で子どもを診てくれます。経済的な援助を確立して下さった方々のご尽力の賜物で、こんにちの生活を送ることが出来ています。直接的に子どもの面倒を見てくれるといったアプローチではないかもわかりませんが、たくさんの人の恩恵の中で子どもを養育できている、ということを改めて感謝と共に感じました。

  5. 自分はほぼ母親のみに育てられてきたといった感じだと思います。父は仕事で朝早く、帰りは自分が寝た後で、顔を合わせることはほぼありませんでしたし、母は東京から単身熊本に来ていたので、頼れる人も近くにいない状況での子育てでした。そのため、母は軽いノイローゼになっていたと父が言っていました。そのようにならないために誰かに頼ることはとても大切なことであると感じます。やはり、頼りやすいのは自分の親やきょうだいということになるのでしょう。
    ヒラリークリントンさんの言葉である「子どもを育てるのは村がかり」というのは地域で子育てしていくことがより良いということですね。そのような親以外の養育者がいることでのメリットは親も子どもにも大きいものです。昔から哺乳類はそのメリットを最大限に利用しているということなんですね。

  6. 「「親以外の養育」とは、遺伝子的母親以外の個体による子どもの世話のことであり、ヒトの子育てにおいて常に重要な役割を担ってきたと考えられます。」とあり、どの時代を見たとしてもやはり子育てというのは親だけで行うわけにはいかないといいますか、親だけでは育てることは出来ないと言っても過言ではありませんね。実際に子育てをしている身としてはやはり、現代の保育園といつのは大きな役割を担っているように感じます。平日は朝と夕方しか我が子と接していないことを考えると養育者は日中先生となります。その影響というのは大きく反映されていることがわかります。

  7. “「親以外の養育」とは、遺伝子的母親以外の個体による子どもの世話のこと”とあることからも私たちという存在はこどもにとっての養育者であることを意識しなければならないことを感じます。さらに、専門的視点から子どもを見ること、客観的視点が”養育”によい影響を与えると思えました。また、”伝統社会では、そして、おそらく先史時代には、主に養育を支援する子どもの生存に自分の利益が絡んでいる女性の親族からなる、相互に関連し合う集団によって子育てが行われてきた”とあることには、母親の周りにいるグループのような存在が十分にあり、互いにささえあっていたことがわかり、現代社会では、なかなか少なくなっているような気がします。その部分の関係性を考える必要があると思います。

  8. 「子どもを育てるのは村がかり」初めて聞く諺ですが、とても素敵な言葉だと思います。見守る保育10カ条の3条『子どもは多様な大人、子ども同士の体験から、社会を学んでいくこと。(シティズンシップ)』と書かれてありますが、子育てというのは親だけで行うのでなく、祖父母はもちろん、社会、地域でしていく事が大切ですね。前回のブログに子育てをサポートできる量が環境によって違ってくると書かれていました。私は妻も出身が地方のため祖父母の協力を得ることが難しいですが、職場はもちろん、友人などがとても協力してくれます。まさに社会が息子たちを育ててくれています。とても感謝です。こうしたサポート少しでも受けられるような環境を作っていける社会になっていけばいいですね。

  9. 人が子どもを未熟な状態で産むというのは社会を作るための遺伝子のためあえて未熟に生むのではないかと感じる内容です。そして、教育基本法にある「社会の一員としての資質を持った」というように子どもが社会に適応していくための力を育てる必要があります。それが「教育」であるとしたときに、果たして今の教育が本来の教育なのかと考えてしまいます。それよりもアフリカの諺のように「子どもを育てるのは村がかり」という意識のほうがより教育に近いように感じます。いつの間にか社会の人口が爆発的に増え、寿命も長くなっている最近の社会において、大きなボタンの掛け違いが出てきているように感じます。そんな時代の中「現在社会では、専門の保育施設が多くの女性のためにこの役割を担っています」とあるように保育施設が担う役割はとても大きいですね。

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