親の養育

最近、先進国と呼ばれる国々では、少子化が進んでいます。その理由は国によって若干違うものの、多くは、育児の大変さや、自分を犠牲にすることを嫌がる傾向があるようです。しかし、私はよく話をするのですが、もし育児が、親にとって一方的に負担であれば、現在まで遺伝子をつないでくるはずがないと思っています。理屈上で、遺伝子を子孫につないでいかなければという認識のもと。子どもを産んできたはずはないのです。ただし、もしかしたら戦時中は、国民の義務だと思って子どもを産んだかもしれませんし、また、家長などは家を存続するために子どもを産んだことがあるかもしれませんが、それでも、たぶん親は子どもたちから何かしらの見返りがあったはずです。

ビョークランドは、「子どものしあわせに、親ほど重要なものはそうそうない。子どもの生存は、乳児期を過ぎて未成熟期、そして、おそらくそれ以降も親から受ける養育に依存している。しかし、子育てをすることによる利益は、親にもある。」と進化心理学的にみても、子育ては親にも利益があるだろうと考えているようです。さらに、このことについて、「子どもが生存すること、そして、子どもが繁殖に成功することほど、成人の適応に重要なことはないだろう。進化的な視点から考えると、子どもは自分の遺伝系列を継続させるための最も直接的な手段であり、自然淘汰を生き残ったことの真の証しなのである。子ども、そしてその親が、親子関係に莫大な投資を行っていることは、発達心理学や進化心理学が指摘してきたところである。」と言います。ビョークランドは、投資理論から家族というものを考えようとしています。

彼によると、進化発達的理論によれば、子どもは親から受ける養育を高めるために、そして、地域生態の条件に最も適合するかたちに個体発生を調整するために、心理的、そして身体的メカニズムを進化させてきたと言うのです。同時に親もやはり、乳児の価値を評価し、子どもへの投資量や投資期間を周囲の環境に応じて判断するためのメカニズムを進化させてきたと言うのです。また、親と子は、「親の遺伝子のコピーを有する子どもが生殖年齢に達する」という自己利益を等しくしていると言います。親子関係ほど相互作用相手との協力が促進される関係は他にないだろうと言うのです。

しかしその一方で、親と子の利益はまったく同じではないと言います。子どもにとっては、自身の生存がきわめて重要です。包括適応度の観点から考えると、子どもは、近縁者の生存と繁殖の成功からも「利益」は得られますが、一般に、自身が繁殖可能な成体となること以上の成功はないと言いますが、確かにそうかもしれません。しかし親にとっては、どの子どもも、自身の遺伝子を次世代につなぐための、潜在的にたくさん存在する子どものひとりにすぎません。親は子ども全員が生きのびることを望んでいると言ってよいのですが、現実には成功の可能性が高い子どもも低い子どももいます。そのため、子どもたちは全員、親からの注目や資源投資をめぐって、きようだいと本質的に、また潜在的に競争関係にあることになります。それだけに親は特定の子どもに「過剰投資」しないように気をつけなければならないと言うのです。

つまり、親は、ある子どもを養育するためのコストと、他の子どもや親自身が使う資源とのバランスをとらなければならないのです。それは、たぶん意識的ではないでしょうが、それぞれの子どもよりも大きな視野で捉えているのだというのです。これから示すように、その結果生じるのが、親子間、そしてきようだい間の競争だと言うのです。

親の養育” への10件のコメント

  1. かつて子どもとして親というものを意識していました。今や、親として子どもというものを意識しています。「子どもにとっては、自身の生存がきわめて重要です。」このことについては直観的にその通りだなと思いました。自分が子どもだった頃、親の指図の元に育ったか?自分の意志で育ってきた、そんな感慨を抱くのですが、毎日ご飯を食べられたり、学校に通えたり、ということを振り返ると、親の指図はなくとも、親の庇護の下に育ったという事実は厳然と存在します。そして今、子どもの育ちを見守る親として、日一日と成長していくわが子の有り様は何とも有難く、神に感謝するのです。「子育てをすることによる利益は、親にもある。」との進化発達心理学による見解は実際子どもの育ちを喜ぶ親の一人として私自身実感するところです。親になってもうすぐ16年になります。生意気なことを言われる今日この頃ですが、そのことが嬉しい。私の親も子どもの私をそうした思いで見守っていたのでしょう。何だか、とても有難く思われますね。

  2. 「進化心理学的にみても、子育ては親にも利益があるだろうと考えているようです」とありました。親にならないとなかなか分からないことなのかもしれませんが、様々な人がこのようなことを言われている言葉を目にすることどのような感情なのかなと知りたくなってきます。また、「親子関係ほど相互作用相手との協力が促進される関係は他にないだろうと言うのです」ともありましたが、そのように考えられているのですね。だからこそ、私たち人類はここまで、子どもを産み、育てるということで遺伝子を繋いできたのかもしれませんね。「子どもたちは全員、親からの注目や資源投資をめぐって、きようだいと本質的に、また潜在的に競争関係にあることになります」ということは多くの人が実感としてあることかもしれませんね。だからこそ、切磋琢磨するのかもしれませんが、やはり気をつけないとこういう部分でもめてしまいこともあるかもしれませんね。

  3. 「子どものしあわせに、親ほど重要なものはそうそうない。子どもの生存は、乳児期を過ぎて未成熟期、そして、おそらくそれ以降も親から受ける養育に依存している。しかし、子育てをすることによる利益は、親にもある。」は、とても印象的に感じましたが、言葉や文章にするとより印象的に聞こえるものの、ほとんどの人が無意識ながらにもわかっていて、それこそが人類がつないできた最も重要で大きな伝承であるようにも感じました。しかし、子育てをすることによる親の利益の本当のところは自分が親になってみないとわからないとも感じました。また「子どもたちは全員、親からの注目や資源投資をめぐって、きょうだいと本質的に、また潜在的に競争関係にある」ことも印象的で、自分も幼いころに少なからず感じたことがあり、嫉妬のような感情を抱いたことを覚えています。これが頻繁と言いますか、その家庭内のスタンダードになってしまうと、グレてしまったりといった問題につながってしまうように感じました。

  4. つねづね感じていたのですが、〝もし育児が、親にとって一方的に負担であれば、現在まで遺伝子をつないでくるはずがない〟とあり、自分の中でのモヤモヤしていたものがスッと抜けていくような、そんな言葉で印象的でした。育児というのは確かに大変な部分もたくさんありますが、その分の報酬といいますか、見返りのようなものも確かにあるのは実感としてあるのが子どもが生まれてからの感想です。
    そして〝子育ては親にも利益があるだろうと考えている〟と進化心理学的にみてもそのようにいえるとのことでしたが、それは何の学のない自分からしてもいえる言葉であるように思えます。

  5. 「投資理論」から家族のことを考える。とても面白いですね。とても現代的な発想のように思えますが、読み進めるにつれ、進化心理学、つまり知らず知らずの内に人類がそのような方向性でもってして子育てを考えていたのではないか、それを言葉にした時、このような表現が選び出されたのではないかというような感覚になります。挙げられている具体例がその思いを濃くさせるのでしょう。
    「それだけに親は特定の子どもに「過剰投資」しないように気をつけなければならない」という一文はこの理論を応用した、世の中の親という立場を得た現代人への警鐘ですね。公平、平等という解釈は複雑さを持ちますが、子どもたちに優劣だけはつけたくないし、そういう感性でもって子育てをするならば、それこそ育つ子どもの姿から親は学ばなければならないことが山ほどあることに、遅かれ早かれ気付かされるのだろうと思います。

  6. 「もし育児が、親にとって一方的に負担であれば、現在まで遺伝子をつないでくるはずがないと思っています」というところが印象に残ります。「 たぶん親は子どもたちから何かしらの見返りがあったはずです。」とあるようにそうでなければ遺伝子を伝えることはないでしょうね。親と子で相互作用をしているというのはなんとなくわかります。そして違う見解として「 子どもにとっては、自身の生存がきわめて重要です。」というのは実際子どもだった頃を思い出すようです。確かに親がいなくては生きていけませんでしたが、実際に自分が健康に生きているということがきわめて重要だったのかなとも感じます。こうした人生の振り返りもいつもとは違う感覚になります。

  7. 親という存在があるからこそ、子どもは学ぶべきモデルがいるだけでなく、親も子どもから十分な利益を得ていることを今回、感じました。親が残した遺伝子をその子が遺伝子を残すために親は、知らずとも然るべき行動を伝えているように考えられました。それが自然淘汰の証と言われればそのように思えます。また、”親子関係ほど相互作用相手との協力が促進される関係は他にないだろう”とありました。確かにと思えるほど、遺伝子でつながりをもつこと、遺伝子を先へ先へとつなぐためには、協力すること、遺伝子レベルにおいてわたしたちにとって次世代につながためにやるべきことを人は知っていると思えました。

  8. 今日は次男の保育園のほごしゃ保護者会があり、初めて参加しました。その中で「食事の時間で子どもが集中して食べないし、こぼして大変・・・ストレスになってしまう」という相談がありました。確かに分からないでもありませんが、今回のブログに「親にとって一方的に負担であれば、現在まで遺伝子をつないでくるはずがない」と書いてあるように、親が子育てに対してネガティブだとしたら、遺伝子は途絶えていたかもしれません。とは言っても冷静に考えてみても、時代背景が違うというか、今は当たり前のように母親も仕事する時代と考えると、仕事と育児の両立が難しく、上手くいかない子育てに対してマイナス思考になってしまうのでしょうね。
    ブログの最後に親としての注意が書かれてありますが、息子二人のどちらかを
    「過剰投資」しないように気をつけなければいけませんね。

  9. 「子どものしあわせに、親ほど重要なものはそうそうない。…子育てをすることによる利益は、親にもある。」というように、そもそも育児とはWinWinの関係性でありながら、どこかで歯車が狂ってしまったのは、やはり人類の遺伝子が途絶えようとする始まりなのでしょうか。もう一度それを立て直そうとする際、大切になってくるのが「育児」の価値観であり、社会が育児に対して寛容で、周囲の人たちと補い合える仕組みの構築が必要でもあるのですね。そして、親と子、それぞれの利益は種類が異なるというのも、社会全体で把握するということが、育児の価値観を見直すきっかけにもなるように感じました。

  10. 「子どもが生存すること、そして、子どもが繁殖に成功することほど、成人の適応に重要なことはないだろう。進化的な視点から考えると、子どもは自分の遺伝系列を継続させるための最も直接的な手段であり、自然淘汰を生き残ったことの真の証なのである」とあります。つまり、子どもが遺伝子のバトンを次につないでいくということが「親の一番の利益」ということなのですね。確かに結婚しないと言っている人でも子どもが欲しいという人がいます。それはそういった心理がヒトにはあるかあらなのでしょうね。その反面、家庭に一人しか子どもがいなかったり、少子化が進んでいるというのは昔とは違い子どもが亡くなるリスクが減っているからなのかもしれません。時代や社会によっても、人の本質的なものの見方の変化が起きうることはあるのでしょうか。

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