義務的推論

コスミデスとトゥービーは、抽象的な問題の解決に用いる論理と、同じ論理を社会的約定問題の解決に用いる場合とを比較する一連の実験を実施しましが、この問題は難しいので、大学生でもできないかもしれないと言います。しかし、彼らは、抽象的な問題の解決に用いる論理と、同じ論理を社会的約定の間題に適用するよう参加者に求めた場合に、どうなったかを調べてみました。たとえば、成人に、「ビール コーラ 1 6歳 25歳」というカードを提示しました。そして、参加者には次のルールを確かめるよう求めました。「ある人がお酒を飲んでいたら、その人は21歳以上である。」昨日のブログの間題と同様に、参加者は裏返す枚数をできるだけ少なくして、ルールの真偽を判断するよう求められます。成人はほとんどが、「ビール」と「16歳」のカードを裏返し、この問題を簡単に解決しました。参加者は、「25歳」のカードの裏と「コーラ」のカードの裏には、何が書いてあっても関係がないことが即座にわかったのです。コスミデスとトゥービーは、世界中のどの文化でも、大人は「ビール/ 16歳」問題のような社会的約定問題は簡単に解決できますが、より抽象的な、あるいは社会的約定以外の問題の解決には、通常、これと同じ論理を用いることができないことを示したのです。
彼らは、同じ論理を用いる問題であっても、「抽象的」な問題と「社会的約定」の問題とでは成績に差が生じた理由として、論理的な問題を解決する際に、人は常に一般的な問題解決能力を用いるのではなく.社会的約定に限られた、領域固有に進化した「ごまかし検知」メカニズムを用いると提唱しています。同様の観点から、社会的約定問題には、義務的推論が関連すると考えられています。義務的推論とは、人がするであろう、すべき、あるいはする義務があることに関する推論です。それに対し、抽象的問題には、記述的推論または指示的推論が関連すると言います。これは「事実」の単なる記述に関する推論であり、社会的ルールの違反は関与しないと言うのです。
この議論をさらに進めて深化させたのがプルーナーだそうで、彼は、「物語的思考」は個人的な義務的事項に関するものであり、「論理―形式的思考」はより論理数学的な推論と関連があると指摘しました。この考え方では、人は両方のタイプの思考を利用でき、そのどちらを使うかは、その時点の環境の要因によって決まると言います。最も基本的なレベルでは、慣例違反や、個人的価値や義務を示す「must」や「should」などの義務的な法助動詞で示される個人的な葛藤によって、物語的思考が「誘発」されると言います。ヒトは明らかに形式の異なる2つの論理(形式的では、抽象的な論理と、具体的な社会的相互作用に関与する論理)を自由に用いることができると考えられるのだと言うのです。
義務的推論は幼児期にも認められることがわかっています。前述の4肢選択課題を簡略化した課題を3 、4歳児に実施した実験で、状況を単に描写した問題の場合に対して社会的逸脱をはらんだ問題として呈示された場合には、チャンスレベル以上の成績を示すことが報告されているそうです。たとえば、ハリスとヌニェスでは、決められたルールの違反が含まれる短い話と、同じ内容でルール違反がない短い話を子どもに聞かせました。

義務的推論” への10件のコメント

  1. 推論が成り立つのは、未来あるいは可能性、蓋然性のある事柄に対してだと思われます。そして、私たちが立てる推論はそれまでの経験値に裏付けられているか「社会的約定」を背景として組み立てられることでしょう。「~だろう」「~かもしれない」「~に違いない」、これらはmustあるいはshouldを背景としているということだろうと思われますね。今回のブログでは「義務的推論」ということが取り上げられています。この義務的推論こそ社会的約定を支える思考論理であると考えられます。抽象的問題に関わる推論はそれ自体社会的ルール違反にならないこともあり、ある種の制約を超越している。よって抽象的問題に関わる推論のことを哲学の世界では「形而上学」と言うのだろうと気づきました。いずれにせよ、私たちの考え方、というものに抽象的問題と社会的約定問題双方を扱う思考が存在するということを認識するのが重要なことなのでしょう。さらに前者が芸術に繋がり、後者が法文に繋がるのだろうともう一つ気づいたところです。

  2. 前回にあった抽象的な問題の解決に用いる論理と、同じ論理を社会的約定問題の解決に用いる場合とを比較する一連の実験問題は私も失敗しましたが、今回の社会的約定問題においては簡単に正解できました。同じ論理を用いる問題であっても、「抽象的」な問題と「社会的約定」の問題とでは成績に差が出るのは面白いですし、興味深く感じます。そして、その理由として『論理的な問題を解決する際に、人は常に一般的な問題解決能力を用いるのではなく、社会的約定に限られた、領域固有に進化した「ごまかし検知」メカニズムを用いる」とあり、人類は全ての能力を進化させてきたわけではなく、その時代に合わせて必要な部分だけピックアップして進化してきたことがわかります。また、社会的約定問題には、義務的推論が関連するとありました。社会で生きていくには、その社会の規則に従い、それを義務化することが必要であるように思えます。それの根本を学ぶ時期と場が、乳幼児期であり、保育園などの子ども集団が保証されている場であると感じました。

  3. 抽象的な問題よりも、社会的約定問題の方が解きやすいというのは感覚的に分かります。また、「 社会的約定問題には、義務的推論が関連すると考えられています」とありましたが、これは、人が集団の中で生きているからということになるのでしょうか。社会的役定問題は、体験してきたことと結びつくので、より解決しやすいように感じます。「 義務的推論は幼児期にも認められることがわかっています」というのも頷けますね。幼児期の教育が何かを教えこむものではなく、経験に基づくものである経験カリキュラムであるということと繋がっているようにも思いました。子どもに対して抽象的な事例で「教育」をさせよう、何かを教え込もうということをどうしても大人はしてしまいがちですが、抽象的なものの考えはまだまだ先でもいいんだろうなということを感じるようでもあります。

  4. 〝義務的推論は幼児期にも認められることがわかっています〟ということで、義務的推論という言葉を初めて知りましたが〝人がするであろう、すべき、あるいはする義務があることに関する推論〟とあり、推論ということで、少し先を予測する、そしてそれが「社会的約定」に基づいての推論ということなんですね。
    「社会的約定」は約束や決まりということで、子どもはルールに基づいて判断しているということになり、そのルールをまずは知り、理解しておくことが必要であるということなんでしょうか。
    自分的に理解が難しく、検索しながらのコメントとなりました。また新しいものを知ることができました。

  5. 「論理的な問題を解決する際に、人は常に一般的な問題解決能力を用いるのではなく.社会的約定に限られた、領域固有に進化した「ごまかし検知」メカニズムを用いる」という部分が印象的でした。問題解決能力にも様々な分野が存在するのですね。論理的な面では、社会という規範が念頭に置かれ、その範囲から逸脱しないような領域の中から、「ごまかし検知」をおこなうことで最終的に解決する方法を探し出すのですね。ごまかし検知という作業がイマイチ想像つきませんが、これのおかげで論理的な面が保たれているという想像はできました。それに対して抽象的な問題解決の論理というのでは、「記述的推論」「指示的推論」「事実の単なる記述に関する推論」というものが関連し、育ってきた環境によって大きく変わってくる印象を持ちました。

  6. 「論理的な問題を解決する際、 社会的約定に限られた、領域固有に進化した「ごまかし検知」メカニズムを用いる」「社会的約定問題には、義務的推論が関連する」「 抽象的問題には、記述的推論または指示的推論が関連する」「 これは「事実」の単なる記述に関する推論であり、社会的ルールの違反は関与しない」という言葉たちを理解しようとすることも難しいというのがまず先にきますね。社会的約定問題をまず解くには義務的推論が関連するということからその義務的推論が身につける必要性があるのでしょうか。乳児でもヒトはこうするであろうということがわかるというのは元々そういった義務的推論を元にヒトと関わり社会的約定問題を解決しているのですかね。まだまだ難しく感じます。

  7. 「抽象的な問題の解決に用いる論理と、同じ論理を社会的約定問題の解決に用いる場合とを比較する一連の実験」とても面白いですね。頭の中をこういうことだろうか、そういうことだろうかと、今まで言葉にしたことがなかったけれども確かにそういう方法で物事に対峙してきたような、そんな感覚的なことを言葉にできるその凄みを味わうような、この度の内容です。言葉にして解釈に至るは大人の世界のことなのかもわかりませんが、「義務的推論は幼児期にも認められることがわかっています。」子どもは感覚的に、先天的に持ち合わせたもので、理解をしています。そのことに改めて子どもの凄さを感じます。

  8. ヒトが何かを考えるときに問題解決能力によってその場にあった適応した対応方法を陽いて解決しているように思えましたが、今回のような内容では”論理的な問題を解決する際に、人は常に一般的な問題解決能力を用いるのではなく.社会的約定に限られた、領域固有に進化した「ごまかし検知」メカニズムを用いる”とあることが言えるのですね。あまり理解ができていませんが、論理的な問題を解決する際には、その社会で決まっている約定となっているものから瞬時に判断し、その場にあったものへうまく対応するといったようなヒトの適応能力のようなものを感じました。

  9. 「義務的推論」人がするであろう、すべき、あるいはする義務があることに関する推論と書いてありますが、おそらくこういった推論をするには子ども同士はもちろん、集団の中で生活し、他人の行動などを見たり、聞いたりすることで自然と身につく推論のように感じます。例えば2歳になると集団を意識し始め、自然と集団の中で順番を守る、みんなも物を大切に使うなど、それこそ「するべき」義務があるという事を学んでいくのだと思います。そういった経験から問題解決能力が身につき、物事を論理的に考えることができるようになるということでしょうか・・・。

  10. 抽象的な問題の解決に比べ、社会的約定問題は簡単に解決できたのですね。確かに問題の内容を見ても、同じような判断をするにしても、社会的約定問題のほうが想像しやすく、解決にもつながり易いです。それは人の「ごまかし検知」メカニズムによるものなのですね。確かに幼児期の子どもたちでもルールをしっかりと守りますし、そういったルール違反している子どもに子ども同士で話し合ったりしている様子も見られます。それは「義務的推論」ができているからなのですね。一方で抽象的問題においては記述的推論または指示的推論といったものが関連するとあります。そして、社会的ルールの違反は関与しないとあります。同じような内容の問題を比べてみても、「社会ルール」というものを中心にすることで正答率が上がるというは面白いですね。それぞれに「領域固有」があるということを感じますし、人はそれほど社会につながる能力というものがやはり強くあるということがわかります。

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