社会的推論

ハリスとヌニェスでは、決められたルールの違反が含まれる短い話と、同じ内容でルール違反がない短い話を子どもに聞かせました。たとえば、規範的(義務的)条件では、子どもに「ある日、キャロルは絵を描きたいと思いました。キャロルのお母さんが、絵を描くのならエプロンをつけなさいと言いました。」と話します。記述的条件の子どもたちには「ある日、キャロルは絵を描きたいと思いました。キャロルは、絵を描くときにはいつもエプロンをつけると言いました。」と話します。その後、子どもに実験者が説明をしながら4枚の絵を見せました。たとえば、キャロルがエプロンをつけて絵を描いています。キャロルがエプロンをつけないで絵を描いています。キャロルがエプロンをつけて絵を描いていません。キャロルがエプロンをつけないで絵を描いていません。といいます。そして、義務的条件の子どもには「キャロルがお母さんに言ったことをしないで、悪いことをしている絵を教えてね。」と言い、記述的条件の子どもには「キャロルが言ったことをしないで、違うことをしている絵を教えてね。」と言います。3歳児、4歳児共に、義務的条件でも記述的条件でも、正しい絵を選択した割合が4つの選択肢のなかで最も高かったのですが、両群共に、義務的条件( 3歳児、4歳児それぞれ72%、83% )において、記述的条件(3歳児、4歳児共に40%)よりも正答率が高かったそうです。成人と同じように、幼児は、社会的約定の違反が起こる問題については正しく推論できますが、社会的義務が明示されていない問題の場合にはそれほどよく推論できなかったのです。

カミンズは、子どもの義務的推論能力は生得的であり、霊長類の群れにおける優位性の階層の文脈で進化したと主張しているそうです。優位性の階層内で生き残るためには、自分の地位で許される行動、あるいは、許されない行動はどんなことかを知り、他者がルールに従っているときあるいは違反しているときを認識しなければならないと言うのです。それが、階層におけるその個体の地位に影響を及ほしかねないのだと言うのです。これだけでは、心の理論も社会的推論も必要ありませんが、カミンズは、階層的に組織化された霊長類の複雑な社会システムと、大きな脳との複合的な力によって、社会的推論が進化したと主張しているのです。ビョークランドらは、この主張に同意していますが、それに加えて、子ども期が長いことも、義務的推論の進化の必須要素であったのではないかと考えているようです。

こうした観点から、この推論は「生得的」なのではなく、子どもは社会的約定や社会的交換に関連するフィードバックに注意を向けやすい傾向があり、またそうしたフィードバックに敏感であることにより、義務的推論の発達が促進される、とビョークランドらは考えているようです。

ヒトという種のすばらしい知的達成について考えるとき、新しい科学技術の発明や、衰弱性疾患の医療処置や治療法の発見、あるいは、アインシュタインの相対性理論のような抽象的あるいは数学的な発見に注意を向けがちであると指摘しています。しかし、私たちの最も際立った知能は、少なくとも広い視点から見れば、他者との日々の相互作用のなかに反映されているのです。私たちが考えているような文化は、仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかっただろうと考えられています。

社会的推論” への10件のコメント

  1. 進化論的に類人猿と根っこを同じくする私たちホモサピエンス。その生得的習性としての社会的推論に関する記述には興味深いものがあります。カミンズ博士による「階層的に組織化された霊長類の複雑な社会システムと、大きな脳との複合的な力によって、社会的推論が進化した」という主張は傾聴に値します。そしてビョークランド博士が付加する「子ども期が長いことも、義務的推論の進化の必須要素であったのではないか」との推測には、なるほど、と思いました。ホモサピエンスの寿命は他の類人猿に比較して長いと思われますが、「子ども期」が18年もある、このことは他の生物と比してやはり特異なことなのでしょう。そしてこの時期があるからこそ「社会的約定や社会的交換」そして「義務的推論の発達が促進され」「仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかっただろう文化」を生み出すことに繋がった。文化誕生のしくみを少しわかったような気がします。

  2. 「幼児は、社会的約定の違反が起こる問題については正しく推論できますが、社会的義務が明示されていない問題の場合にはそれほどよく推論できなかったのです」ということから、その能力は「生得的」なんだと思ったのですが、そうではなく、「子どもは社会的約定や社会的交換に関連するフィードバックに注意を向けやすい傾向があり、またそうしたフィードバックに敏感であることにより、義務的推論の発達が促進される」ということになってくるのですね。この話は藤森先生がされる「性差」が生まれる傾向と似ているようで、おもしろいです。また「階層におけるその個体の地位に影響を及ほしかねない」ということも印象的でした。それを集団内の全員が共有していることも不思議だと思いますし、集団内をうまく維持していくための人の能力というのはすごいなと思います。

  3. 〝子どもの義務的推論能力は生得的であり、霊長類の群れにおける優位性の階層の文脈で進化した〟とあり、大型類人猿のは複雑な社会がそのような能力を発達させ、また、させなければならないというようなことであるということでした。
    やはり環境というか、周りの状況や自分の立場など敏感になっておかなければ生きていけなかったという背景が認知能力にはあるということが理解できます。
    また自分たちの能力は〝他者との日々の相互作用のなかに反映されている〟とあり、日々の生活、他者との何気ないコミュニケーションなどそのようなものが、実は素晴らしい能力を使って行われているということなんですね。

  4. 成人と同じように、幼児は、社会的約定の違反が起こる問題については正しく推論できますが、社会的義務が明示されていない問題の場合にはそれほどよく推論できなかったのですね。そして、義務的推論能力が「生得的なのではなく、子どもは社会的約定や社会的交換に関連するフィードバックに注意を向けやすい傾向があり、またそうしたフィードバックに敏感であることにより、義務的推論の発達が促進される」と考えられるとありました。このような傾向があることを保育者は踏まえておくべきだと感じましたし、「私たちの最も際立った知能は、少なくとも広い視点から見れば、他者との日々の相互作用のなかに反映されているのです」とあることからも乳幼児期から社会に触れられる環境が必要だと改めて思えました。

  5. 「優位性の階層内で生き残るためには、自分の地位で許される行動、あるいは、許されない行動はどんなことかを知り、他者がルールに従っているときあるいは違反しているときを認識しなければならない」という、霊長類の群れで進化してきたとされている義務的推論能力ですが、普段の園生活においても、子どもたちは自分たちの集団をそのような視点で見ているように思いました。自分が何かの役割を担っていると自然に思うのは生得的な現れでもあるのでしょうか。また、自分たちでその場の社会を成り立たせようとしているようにも感じるのは、「子どもは社会的約定や社会的交換に関連するフィードバックに注意を向けやすい傾向」があるからなのでしょうか。謎は深まるばかりですが、私たちの知能は「他者との日々の相互作用のなかに反映されている」という、集団の中にこそ生まれる産物でもあるということが伝わってきました。

  6. 「子どもの義務的推論能力は生得的であり」とあり社会の中で義務的なことを生得的に持っているのかと驚きましたが、 「子どもは社会的約定や社会的交換に関連するフィードバックに注意を向けやすい傾向があり、またそうしたフィードバックに敏感であることにより、義務的推論の発達が促進される」ということも続いていることから子どもがいかに集団でヒトとの関わりの中で学んでいることがわかります。義務的と記述的な理解というのは言葉かけに影響してくるということですかね。考えさせる言葉かけのようなことにも関わってくるのではとも感じました。

  7. 「私たちが考えているような文化は、仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかっただろうと考えられています。」藤森メソッドへの惜しみない肯定が詰められたようなこの度の研究内容です。生得的に携えたその力を、進化の歴史が説明しています。保育を人類の進化という観点から見ることは最早必須のことなのですね。人類が生きてきた歴史を知ることで、生きて行く流れを見つけることができる。それは、逆を言えばその流れに沿わない生き方は息苦しいものであり、その息苦しさを強いるような保育からの脱却を、日本の保育は当面の課題としなければならないのかもわかりません。

  8. 幼児は、社会的義務が明示されていない問題へ対しては、推論することが難しいところがあるのですね。義務的条件があることによって自ら、選択し考えることを生得的に持っているのですね。”子どもの義務的推論能力は生得的であり、霊長類の群れにおける優位性の階層の文脈で進化”とあり、そのことから、生きていくなかで、自分の立場を知り、自分の立場でできる行動などを能力的に持っていることを改めて考えると、私たちは、生きるために立場を選びとることを選択できる、といった選択する力を感じました。さらに”子ども期が長いことも、義務的推論の進化の必須要素であったのではないか”とあることも乳幼児期に進化するためのその時期があること、また、集団でいるからこそ、進化する力だと思えました。

  9. 冒頭に書いてある実験結果から、感じたことは子どもたちに何かを伝える時、特に注意をして欲しいときなどは、具体的にそして明確な内容を伝える必要があるようですね。また子ども達を見ていたり、自分の幼児期の時を思い出してみると、ルールを守れなかった友達がいると決まって「先生に言うよ」という決まりセリフを言っていたかもしれません。ブログの最後に「仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかった」と書かれてあります。私たち人類は人同士のコミュニティが必要であり、そうした環境の中で日々生活することが最も重要であると再認識しました。

  10. 「優位性の階層内で生き残るためには、自分の地位で許される行動、あるいは許されない行動はどんなことかを知り、他者がルールに従っているときあるいは違反しているときを認識しなければならない」とあります。これらのことは社会規範や社会倫理の理解にもとても重要になってくる能力でしょうし、社会的推論がヒトができるからこそ社会といったものが維持できるのだと思います。ここでも人は社会を形成するという能力を持っているということがわかりますし、その力に特化しているということも同時に感じます。そして、それは人にとって「不易」な能力というものになっていくのですね。今の社会、義務的推論がわかっていても、情動が抑えられない人が増えてきているように思います。ここに育ちの難しさを感じます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です