目の重要な役割

研究室での研究から、チンパンジーは目が知識の源であることを、本当の意味では理解していないことが示唆されているそうです。私は、「見守る」という行為は、進化上どのような意味を持つのかと関心がありますが、あらためて、「見る」という行為をチンパンジーで考察していることを初めて知りました。ポヴィネリとエディの研究では、保護施設で育ったチンパンジーに、ヒトに向かって手を伸ばすと、ごほうびの餌がもらえることを教え、チンパンジーと顔なじみの飼育員2名がチンパンジーの前に立ち、うち1名はチンパンジーが手を伸ばすしぐさが見え、食べ物を与えることができ 、もう1名にはチンパンジーが見えないようにしました。すると、後者の飼育員に手を伸ばすしぐさを示しても、見えないので、ほうびはもらえません。チンパンジーは、自分に背を向けている(すなわち、チンパンジーと反対側の壁に向かっている)人物に、手を伸ばす反応を示すことはほとんどなかったそうです。この場合は、チンパンジーは見ることのできる人(すなわち、チンパンジーの方を向いている人)に対して、手を伸ばすしぐさを一貫して示したというのです。

しかし、チンパンジーは、人物が頭にバケツを被っている、目隠をしている、あるいは目を閉じている場合には、見ることのできる人との区別があまりできなかったそうです。多くのチンパンジーにおいて、これらの条件の課題成績はチャンスレベルであり、見ることのできない人とできる人のどちらにもほば同頻度の反応を示したそうです。こうした結果から、チンパンジーは、人が背中を向けている場合はこちらが見えないということは理解しているものの(これは多くの場合正しいが、正しくない場合もある) 、目前の環境に関する有益な知識を獲得するためには、目が重要な役割を担っていることの理解が欠けていると考えられると言います。

しかし、より自然的な状態での実験で、ヒトの飼育員ではなく同種の仲間が見ることができるときとできないときで評価すると、状況によっては、チンパンジーが「視線を向けることは見ることという知識を確かに示すことが示唆されているそうです。ヘア、コール、トマセロたちは、地位の高いチンパンジーと低いチンパンジーを1つにつながった檻に入れ、檻の中のさまざまな場所に食べ物を置く一連の実験を行いました。上位、下位のチンパンジー両方から見える場所に食べ物を置いた場合には、上位のチンパンジーがほほ毎回食べ物を手に入れたそうです。しかし、食べ物が自身からは見えるが、上位のチンパンジーには見えない場所に置かれた場合には、下位のチンパンジーが食べ物の獲得に成功しました。ヘアたちはこの実験を変形させていくつか実施し、別の解釈の可能性(たとえば、下位のチンパンジーは上位のチンパンジーの行動を監視しており、上位のチンパンジーが食べ物がある方向へ動かなかったときにだけ、食べ物を取りに行った)を棄却したのです。そして、少なくともこの条件下では、チンパンジーは、他のチンパンジーに何が見えて何が見えないかがわかっており、その知識をもとに判断をしていると結論しました。

ヘアたちの研究は、野生のチンパンジーあるいは捕獲されたチンパンジーの群れでの社会生活に関する観察結果や、私たちの直観に合致するものであると言います。

目の重要な役割” への8件のコメント

  1. 対人間に対する実験では目の前の知識を獲得するのに目は重要な役割を担っていなかったということが示唆されましたが、同種間での状況だと「視線を向けることは見ることという知識を確かに示すことが示唆されているそうです」とありました。どういうことなのでしょうか。最後に、「少なくともこの条件下では、チンパンジーは、他のチンパンジーに何が見えて何が見えないかがわかっており、その知識をもとに判断をしていると結論しました」ともありましたが、同種間ということだからなのでしょうか。見るということにしても、何かを感じとっているのかもしれません。実際の行動の裏にあると言うのでしょうか、相手のあらゆる部分を総合的に見ることで、感じ取ることができる何かがあるのかもしれませんね。私たちも言葉や行動だけではない、何かを相手から感じることがありますが、そのようなことなのでしょうか。しかし、これは証明が難しそうですね。

  2. 人間にとって、他の感覚器官と同様、目は「知識の源」と言えるが、どうやらチンパンジーはそうではないようです。今回のブログで紹介されている実験を読むと、なるほど、とチンパンジーのある種の習性を理解できたような気になります。特に、対人関係の実験より対チンパンジーの観察結果には首肯できるものがありました。もっとも、私たち人間の中でもその集団内に上下関係を意識するファクターが存在するならば、チンパンジー集団と同様の現象を観ることができるだろうと思いました。直観と思考や判断に関わる「見る」という行為について考えました。私たちが見ることを直観に繋げるのは危険回避や生存それ自体に関わること、思考や判断に繋げるのはやがて「知識」や「知恵」として結晶していく「見る」行為なのだろうと考えてみました。園に掲示してあるポスターの一つに「見ることは学ぶこと」とあります。目で見る、目で見ないとは別に、「見る」とは「学ぶこと」そして理解することなのでしょう。「「見守る」という行為は、進化上どのような意味を持つのか」との藤森先生による問題提起は私たち日本人及び原初ホモサピエンスについて解き明かしていく鍵になるような気がしました。

  3. 「チンパンジーは、人が背中を向けている場合はこちらが見えないということは理解しているものの、目前の環境に関する有益な知識を獲得するためには、目が重要な役割を担っていることの理解が欠けていると考えられる」とありましたが、「ヒトの飼育員ではなく同種の仲間が見ることができるときとできないときで評価すると、状況によっては、チンパンジーが視線を向けることは見ることという知識を確かに示すことが示唆されている」ともあり、「同種」かどうかを区別することに目の役割があるようにも感じ、区別できたことで目の本来の役割を発揮するような印象を受けました。そして「チンパンジーは、他のチンパンジーに何が見えて何が見えないかがわかっており、その知識をもとに判断をしている」という結論から、同種間ではできることが他種間では難しいことであることがわかります。これは幼いころの育ちの過程で他種との関わりが欠けていたことが一因としてあるように感じました。

  4.  まさに目は口ほどにものを言う、この言葉をヒトは体現しているということがわかります。相手の目の雰囲気、状況によっては逸らしたり、伏せたり、そこで直観のように相手の気持ちを察するに至ります。0歳児クラスの子どもたちも、不思議と目に興味を持ちます。昨年の10月に6ヶ月児が新しいお友だちとして加わりましたが、仰向けになっているその子の目を覗き込みにいったり、触ってみようとしたり、それはもう日常茶飯事のようなことでしたが、もしかすると、チンパンジーの赤ちゃん同士、幼いチンパンジー同士が関わっても、そこまで目に興味をもたないのかもわからないと足りない頭で想像してみました。

  5. 相手が見えているのかいないのかというのは、人間にとっては情報を共有する上では重要な情報ですね。見えている、見ていると知っていれば具体的でなくても、例えば「あれ」「それ」と伝えても伝わるものもありますが、逆の場合は細かく具体的な情報の説明が必要です。
    上位と下位のチンパンジーの実験の結果〝他のチンパンジーに何が見えて何が見えないかがわかっており、その知識をもとに判断をしている〟とあり、それはチンパンジーにも同じようなことがいえるということになるのでしょうか。この実験の場合は情報の共有というよりも生きていく術みたいなものであるように思いますが、チンパンジーでも目で見て学んでいる過程がみえるような実験であるように感じました。

  6. 乳児の部屋を通ると、必ず「凝視」されます。きっと、乳児にとってその行為というのは、情報を理解して整理して結びつけるといった様々な根幹となる行為であることはなんとなく想像つきますが、1歳や2歳になると、見ないという選択肢も選べるようになる印象があります。私の事を苦手としている1歳児は、私が通って目が合うとすぐに視線をずらして「見てないよ」ということをアピールします。つまり、相手が視線から情報を共有しているということを理解している姿でもあり、自らもそれを活用した解決策を行動に移したようにも感じます。このような行為は、チンパンジーにはできるのでしょうか。「他のチンパンジーに何が見えて何が見えないかがわかっており、その知識をもとに判断をしていると結論しました」となれば、こんな行為を可能である予感もしています。

  7. 見るということに特化して考えるだけでも幅広い見解がありることに驚きます。1つのことに着目するとその中身を知るというか覗くだけでもいつも驚き、感動を覚えます。当たり前にやっていることを掘り下げるというのはなんだか知らない世界に行くようでワクワクしますね。と話はずれましたが、「他のチンパンジーに何が見えて何が見えないかがわかっており、その知識をもとに判断をしていると結論しました」とあります。息子は怒られると目をそらします。そういった行為は見られているということがわかっているからこそやる行為であるように感じます。ヒトとヒト。チンパンジーとチンパンジーという同種の関係であると少し違った結果があり、チンパンジーだから目で見て感じるなにかがあるのかもしれないと少し感じました。と、理解がまだおよんでいる感じもあります。

  8. 目で見て情報を得るといったことは、チンパンジーの姿からもありますが、”目前の環境に関する有益な知識を獲得するためには、目が重要な役割を担っていることの理解が欠けていると考えられる”とあり、目の前に広がることへ対して目を向けることをし、情報を理解し、その情報をどう活かすのか、有益なものとすることが難しいのには、心の理論の発達が関わっていることを感じます。目から得た情報をどう自身にとって有益なものにするのか、乳児期から見て学ぶことをしている人類が見る時間の長さによってもその目の前にある変化に気づくことができる、といったことからもそのことを見てどう感じ、どう思うのか、また、共同注視することで、相手と共感できるために、目線を見たり、長さだったりと人類における目の役割というものの深さを感じます。

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