文化の創造

私たちが考えているような文化は、仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかっただろうと考えられています。少なくともトマセロたちが述べているような模倣学習程度の複雑性をもつ社会的学習ができなければ、儀式や科学技術、そして生態に関する重要な知識を、次の世代に効果的に伝達してゆくことはできなかっただろうと言います。また、心の理論がなければ、形成される社会的関係性は3歳児やチンパンジーの群で見られる程度のものにとどまるだろうと言います。そのような関係性もときに非常に複雑であり、優位性の階層およびたくさんの仲間や過去の相互作用の歴史に関する記憶が関わっているのです。しかし、「心の理解を欠く(マインドブラインド)」個体が集まって形成する文化は、複雑性や結東性が非常に乏しくなるのです。

子どもは、他者の意図を推測する能力をもっては生まれてはきません。しかし、ヒトのこの能力は生後早期に発達し、4 ~ 5歳までに、大型類人猿は絶対に達成できないと思われる社会的認知を示すようになります。この例外が、ヒトに近い養育環境で育てられた類人猿です。いくつかの課題では、文化化したチンパンジーやオランウータンはヒトの飼育員の意図を推測できるようです。この「文化化仮説」への決定的な結論はまだ得られていませんが、これらの知見から、ホモ・サピエンスの社会的知能のルーツは、ヒトがオランウータンとの共通祖先を最後に分かち合っていた、おそらく1500万年前にまでさかのほることが示唆されます。社会の複雑さの変化や未成熟期が長くなったことで、養育環境の修正が促進され、その結果、他者の意図を理解する能力が生じ、最終的に文化の創造に至ったと思われます。

このような社会的知能の発達の知見を見ると、まず、生後早期からの環境が大切であることがわかります。そして、それは幼児期までの期間が重要なのです。また、社会的知能による文化の創造は、他者との日々の相互作用の中に反映されているといことからも、他人との関係性の大切さがわかります。しかも、それは模倣学習程度の複雑性を持つ社会的学習が必要であると言うことからも、子どもたちの異年齢集団における学びの大切さもわかります。そして、それらは、私たちホモ・サピエンスがヒトとして進化していった大切な要因であるのです。

この項の最初にビョークランドが指摘したように、「ヒトに特有な知能の進化は、社会集団内の仲間とのやり取りをする必要性から生じた」という観点を、少子時代を迎えた現代、もう一度振り返る必要があります。そして、そのやり取りから学ぶ必要な力とは、他者の知識、欲求、意図を表象する力です。それがなければ、成人として成功することは困難なのです。協力のしかた、競争のしかた、そして一般的な社会的方略の中で、どの方略が最善か学ばなければなりません。他者との協力と競争に共に成功した個体が、社会性の乏しい個体よりもうまく適応し、私たちの先祖となったと考えられているのです。

そのために必要なのが、「社会的認知」と呼ばれるものなのです。それは、社会的関係性や社会的現象に関する認知なのです。そして、社会―個体モジュールとして、非言語的行動、言語、顔の処理、心の理論に関連する情報処理が含まれ、社会―集団モジュールとして、血縁、集団内の地位、集団外の地位、社会的イデオロギーに関連する情報処理が含まれるのです。

文化の創造” への10件のコメント

  1. 今回のブログを読みながら「人間は社会的動物である」と言い切ったアリストテレスのことを思い出しました。今からほぼ2400年前のヒト。災害や戦争等によらず生まれてくる子どもの数が減り続けている国に生きている一人として、この「社会的動物」である我について振り返る必要性を痛感するのです。「社会的認知」力を鍛えることが教育の最大の目的でしょう。そしてそのことは「どの方略が最善か」を見つけ出す訓練とも言えるでしょう。「社会的知能の発達の知見を見ると、まず、生後早期からの環境が大切であることがわかります。」就学前教育に携わる私たちが常に念頭に置いておかなければならないことでしょう。それから「社会的知能による文化の創造は、他者との日々の相互作用の中に反映されている」文化は社会的知能によるものであり、「他者との日々の相互作用」によって創造されるものであることがわかります。伝統、伝承を文化と読み解くならば、伝統、伝承は他者との日々との相互作用の成果であることも忘れたくない事実ですね。

  2. ブログを読みながら、私たち人類にとって他者と関わるということがいかに重要であるかということを改めて強く感じました。どんどん便利になるにつれて人と関わらなくても様々なことができるようになってきました。これから先、他者と一切、関わらないようにしようと思えば、できてしまうのかもしれません。しかし、それは私たちが種を繋いできたきた歴史とは逆行しているのだと思うと、いかに他者と関わる環境を作っていくかということを改めて大切にしていかなければいけない時代になっているのですね。冒頭に「私たちが考えているような文化は、仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかっただろうと考えられています」ということからもそのようなことを感じます。また、「子どもたちの異年齢集団における学びの大切さもわかります。そして、それらは、私たちホモ・サピエンスがヒトとして進化していった大切な要因であるのです」に至る部分からも、乳幼児期の異年齢の関わりがどれだけ重要になってくるのかということを教えていただきました。

  3. 人は他者の意図を推測する能力を生後早期に発達し、4 ~ 5歳までに、大型類人猿は絶対に達成できないと思われる社会的認知を示すようになるとあり、さらに例外として「ヒトに近い養育環境で育てられた類人猿」とありました。社会的認知においても人の養育環境が重要な要素を含んでいることがわかります。そして、それが子ども集団での生活や異年齢での関わりであるように思えました。また「ヒトに特有な知能の進化は、社会集団内の仲間とのやり取りをする必要性から生じた」という観点が印象的で、その経緯から生まれた能力を豊かに育むには、その経緯に該当した形の環境である必要があることは否めませんね。人にある様々な能力のルーツを紐解くことで、その能力をより豊かに、または向上させていく環境を考えていく上で欠かせないことであり、そこからわかることを参考にしていかなければと思えました。

  4. 〝他者との協力と競争に共に成功した個体が、社会性の乏しい個体よりもうまく適応し、私たちの先祖となった〟とありました。ヒトの進化からみれば社会性の乏しい人間はどうなるのか、というのは想像すると恐ろしいものです。
    読んでいると、他者との関わりが自分たちにとってどれほどに重要なものであるのかということが伝わります。現代でも社会性の乏しいヒトは適応が難しい世の中だというのは変わらない、これからもそうだと思います。ですが、いろんなことが便利になる反面、今回のブログにあるようなものは、人間にとって忘れてはならないものであるように感じました。

  5. 最近、子どもたちが遊びや集団や文化をどのように伝承していっているのかが気になります。子どもたちに聞いてみると、興味があることをじっくりみることとか、楽しい部分を真似するとか、相手が何をどのようにやっているかを自分なりに解釈したりしながら、伝承しているようなことを言っていました。「私たちが考えているような文化は、仲間の意図を推測できる社会的な種でしか進化しなかっただろう」とあるように、それらを伝承できるのも、仲間の意図を推測しようと試みた行動が、進化を生んだのだと感じました。そして、「「心の理解を欠く(マインドブラインド)」個体が集まって形成する文化は、複雑性や結東性が非常に乏しくなる」ともあり、いくら行動のみを真似して伝承しても意味はなく、その文化の意味を司る人の心の理解がなくてはうまく機能しないということが感じられました。

  6. 社会的知能の発達の知見 から「生後早期からの環境が大切であることがわかります。そして、それは幼児期までの期間が重要なのです。また、社会的知能による文化の創造は、他者との日々の相互作用の中に反映されているといことからも、他人との関係性の大切さがわかります。」というところからいかに私たちがヒトとして大切な時期に関わっているかが理解できます。人のルーツは1500万年前に遡るという社会的知能の発達から見て、「社会的知能による文化の創造は、他者との日々の相互作用の中に反映されているといことからも、他人との関係性の大切さがわかります。」とあり。納豆理論というのがいかに大切かというのもよりわかる気がしました。

  7. これまでの内容を総まとめするようなこの度のブログです。「そのやり取りから学ぶ必要な力とは、他者の知識、欲求、意図を表象する力です。」成人としての成功の鍵を握る力を乳幼児期に育む。保育の重要性を語る上で、特に現代においては、とても説得力のある言葉のように思われます。未来を担う子どもたちを保育する。保育に携わることとはなんと素晴らしいことなのかと改めて声を大にしたくなりますね。
    話は逸れますが「成人としての成功」というフレーズを目にした際、至高の自己啓発書を読んでいる時のような感覚を味わいました。考えてみれば藤森先生のブログは保育者を啓発する役割をも担われているのですから当然のことではないかと、一人感動と納得をしました。

  8. ブログのテーマが「文化の創造」という事ですが、私たち人類がどのようにして文化を作り上げてきたのか?今まで考えたことがなかったテーマなので、今回のブログはもちろんそれまでに書かれてきた内容を思い返してみると、とても重要であり、また私たち教育現場にも通じている事が理解できます。「心の理論」「社会的認知」「社会的知能」といくつか重要なキーワードが書かれていますが、どの言葉にも必ず必要なのは集団だと思います。私たち人類には「集団」で生活することで文化を創造してきたという事がはっきり理解できますし、これからも大切にしていきたい事です。そうしないと後世に伝承されていかず、文化が気がついた時には途切れてしまう可能性もあります。

  9. “子どもは、他者の意図を推測する能力をもっては生まれてはきません。しかし、ヒトのこの能力は生後早期に発達し、4 ~ 5歳までに、大型類人猿は絶対に達成できないと思われる社会的認知を示すようになります”という文から私たちがいかに重要な時期にある人類にとって必要と役割をもったヒトでなければならないのかを考えさせられます。生得的にもっているものは、この他人の意図を推測する
    能力ではないものの、それに必要な要素を持っていることは、文章からも感じます。そして、そのための環境として必要なものが社会的集団であることも認知できます。人は集団から学び、集団を通して社会に必要な力を身につける、発揮していく、文化化されているものが発揮できる環境を考えるには、人にとって必要なものはと日々考えなければならないことを感じます。

  10. 「社会の複雑さの変化や未成熟期が長くなったことで、養育環境の修正が促進され、その結果、他者の意図を理解する能力が生じ、最終的に文化の創造に至った」とあります。人が生まれてくる中で、未成熟期が長く生まれてくるのにはやはり意味があったのですね。現在における社会性の育ちやコミュニケーション能力の課題は他者との相互作用の経験に大きく課題があったのかもしれません。「ヒトに有能な知能の進化は、社会集団内の仲間とのやり取りをする必要性から生じた」とビョークランド氏が言っているように様々な価値観の集団に触れることは子どもの発達上だけではなく、社会に出たときに非常に重要な力として出てくるのだと思います。乳幼児教育の重要性がこのことからもよくわかります。

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